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夕食の支度をするニーナの背後で、扉が「パタン」と開く音がした。こんな控えめな音を立てるのは自分とトパパを除けばひとりしかいない。
「メグ?お帰り・・・」
言いかけて、その後の言葉を思わず飲み込んでしまった。
メグの服も顔も泥だらけで、汚れていない部分のほうが少ないくらいだった。両手で服のすそをつかみ俯いているが、どんな表情をしているのかは見なくとも容易に想像がつく。最近は泣くことはなくなったが、それは単に泣く気力すら失っているせいだった。
また、いじめられたのね・・・。
お湯とタオルを用意しながら、ニーナは深いため息をついた。
この村には、タチの悪いいじめっ子のロイ、ダイ、セイの三兄弟が住んでいる。メグだけでなく、村の子供たちのほとんどが被害に遭っていた。まともに太刀打ちできるのは、大人を除けばユウとジョーだけだ。ふたりがその現場に遭遇すれば、迷わず割って入って三兄弟を撃退する・・・のだが、翌日になればまた同じことを繰り返すのだ。だからといって、四六時中ユウたちが見張っているわけにもいかない。
三兄弟の両親には、トパパやニーナだけでなく、ほかの子供の親たちも何度か抗議に行っていた。だが、
「証拠があるのか?」
「うちの子を悪者にする気か!」
「子供の喧嘩に口出しするな」
と開き直られるばかり。だから村の中では密やかに、「怪物一家」などというあだ名をつけられていた。
メグの身体を拭いて着替えさせたとき再び扉が開き、今度はユウとジョーが帰ってきた。こちらもメグほどではないが服は汚れ、身体のあちこちに擦り傷を作っている。そしてユウの手には、メグがいつも身につけている、青い宝石の首飾りが握られていた。
「これ、取り返したよ」
この言葉に反応するかのように、メグが初めて顔を上げた。
「あ、ありがとう・・・」
ニーナが代わりに首飾りを受け取り、メグの首にかけてやる。これでやっと、ホッとしたような表情を作ってくれた。それを見届けたジョーが口を開くなり、
「母さん、腹減ったよ」
狙って発した言葉ではなかっただろうが、この台詞で場の空気が少し和らいだようだ。
「その前に着替えてらっしゃい」
ユウとジョーが部屋に入るのを見届け、中断していた料理を再開したニーナは、あの一家には強硬手段に出るしかないのかしら、と考えていた。
もうすぐトパパさまがカズスから帰ってくるから相談してみよう。でもそれより、メグの心を癒す方が先ね・・・。
その夜。帰宅したトパパと話し合った後、ニーナは徹夜して作業にとりかかった。炊事や掃除は得意なほうだが、裁縫はそれほどでもないので思ったより時間がかかってしまった。
それでも、目的のものは無事完成させることが出来たので、翌朝を楽しみに床についた。
「今日からこの子がメグのお友達よ」
朝食後、ニーナはメグを呼び、自分が徹夜して作ったもの――ウサギのぬいぐるみを差し出した。手作りなのでやや綻んでいる部分もあるが、丁寧に作ってあった。
「わあ、かわいい!お母さん、ありがとう!」
ぬいぐるみを受け取って喜ぶメグの表情は、この半年間に見たものの中で一番明るかった。一緒に暮らしているユウとジョー以外に打ち解けた子供がいないせいか、いつも寂しげにしていることが多かったのだ。
そんなメグの様子を見ながらニーナは、やっぱり女の子ね、などと思っていた。
しばらくしてトパパとニーナは、「近所回りに行ってくる」と言い残して家を出た。と、待ち構えていたかのようにジョーが、
「おい、今日は家を探検しないか?」
「なんで?」
いつもは先頭に立って外に出るのに、彼らしくない発言にユウが驚いたように訊く。メグはといえば、ぬいぐるみを抱いたまま無言で二人のやり取りを聞くに留まっていた。
「この家に何があるのか気になってたんだ。じっちゃんから入るなと言われていたところがあるだろ?でもすごく気になるじゃないか」
「ああ・・・」
ユウはあいまいに肯いた。物心ついたときから、危ないから天井裏と倉庫には入らないよう何度も聞かされていたのだ。だが逆に、するなと言われていることほど逆らってみたくなるのが子供の心理というものだ。
「大丈夫、大丈夫!じっちゃんと母さんは夕方まで帰ってこないよ。近所に行くときはいつもそうじゃないか」
「そりゃまあ、たしかに・・・」
ユウはとくに強く反対するつもりはなかった。親の言いつけに背くこと、身近にある未知の領域に入ることへのふたつのスリルへの期待が勝っていたからかもしれない。それに、昨日の今日だから、メグは外に出たがらないだろう。
思い立つが早いか、三人は食堂の椅子を踏み台にして天井裏に潜入した。
だがこの日の出来事について、後にユウはこう語ることになる。
「あのとき強引にでも止めていれば、メグにあんな思いをさせるようなことはなかったと思う」
「そんな格好して、一体何やってたの?ユウとジョーはともかく、メグまで・・・」
帰宅して三人の姿を見るなり、ニーナはあきれたような口調で言った。ユウたちは揃いも揃って埃まみれだったのだ。遠目には白っぽい服をまとっているように見えたが、軽く叩いただけでも綿埃が立ってしまう。天井裏でうっかり昼寝をしてしまい、目が覚めたときはすでに日が暮れかけていた。急いで下に降りてきたのと、トパパとニーナが帰宅したのはほぼ同時のことだった。
「え、えーと・・・ちょっと、探検!探検してたんだ!なっ?」
ジョーが慌てて答え、ユウとメグに同意を求めるように振り返ると、ふたりはややためらいがちに頷いた。言葉がたりないだけであって、別に嘘ではない。
「何を探検していたかは知らないけど、とにかく着替えてきなさい。顔もちゃんと洗うのよ」
ニーナは昨日と同じ台詞を繰り返し、ユウたちは根掘り葉掘り聞かれなかったことに安堵しながら部屋に入った。
「まったくもう・・・」
ブツブツ言いながらも咎めたりしなかったのは、村人たちとの話し合いの結果が頭の中に残っているせいだった。議題はもちろん、「怪物一家」に関してのことだった。
「あの一家には、もう出て行ってもらうしかない」
というのが、トパパの意見だった。被害に遭った子供たちの中には、お金を脅し取られたり、数日間寝込むほどの大怪我を負った者までいたから、ほとんどが賛同した。中には、「暴力はいけない」「話し合いで済ませよう」と言う者もいたが、そんな生ぬるい綺麗事が通じるほど、事態は容易なものではないのだ。
とはいえ、さすがに手荒な真似は避けたいところだが、血の気の多い者たちは何をするかわからない。とりあえずトパパが、「決行日まで勝手な真似はしないように」と釘を刺しておいたが。
決行日はあさっての夜に決まった。それまで子供たちには悟られないように気をつけなければならないが、いつも通りに振舞っていればいいことだ。
そう、いつも通りに・・・。
翌日、ユウたちはいつものように外で遊んでいた。ただひとつ普段の光景と違うのは、メグがウサギのぬいぐるみをしっかり抱きしめていることだった。
「よっぽど気に入ったんだな、それ」
半ばあきれたようにジョーが言ったとおり、昨日ニーナからぬいぐるみをもらって以来、メグは風呂に入るときを除けば、片時も手放そうとしなかった。食事のときも寝るときも一緒で、ユウとジョーにも触らせないくらいだ。
「お友達だもん、いつもいっしょだよ!」
メグは嬉しそうに言ったが、ユウは別のことが気になっていた。
「友達なのはいいけどさ、外に出すと汚れちゃうぞ」
「ちゃんと洗うから大丈夫よ」
「いや、そういうのは、洗うと縮んだりボロボロになったりするって聞いたことあるよ。だから、家に置いてきたほうがいいんじゃないかな」
「えー、そうなの?」
「母さんの受け売りだけどな。だから、外に出るときは持っていかないほうがいいんじゃないか?別に盗られるわけじゃないんだし」
ユウの言葉に、メグは少しためらってから、
「じゃあ、そうする」
「ぼくもいっしょに行ってあげようか?」
三兄弟と出くわすことを想定してユウが言ったが、
「大丈夫、ひとりで帰れるよ」
メグはそのまま小走りに駆け出していった。
――やっぱり、一緒に来てもらえばよかった。
三兄弟に取り囲まれて涙目になりながら、メグは先の言動を後悔していた。「今日は何をされるのか」という恐怖が勝ってしまい、大声を上げてユウとジョーを呼べばいいということまで頭が回らない。
「よーう、昨日はいなかったから心配していたんだぜ?」
長兄ロイが、その両目に十歳児のものとは思えない、獣じみた残忍な光を湛えて言った。左頬にまだ新しい絆創膏が貼られているが、もしかしたらユウたちにつけられたものかもしれない。子供とはいえ、彼の悪賢さと狡猾さはウル随一だろう。
「本当本当。メグちゃんがいないとオレたち寂しくってよお」
次兄ダイがニヤニヤ笑いを浮かべながら言った。ユウと同じ八歳だが、三人の中では一番身体が大きく、腕力も強い。「大男、総身に知恵が回りかね」という言葉に合わず、力に反比例して悪知恵もそれなりに働くのがまたタチが悪い。
「さびしくてよー」
末っ子のセイはまだ五歳だが、性格はしっかりふたりの兄に似てしまったようだ。本人にとっては幸かもしれないが、周りにとっては不幸だ。
メグは少しでも後ずさりして逃れようとしたが、素早く後ろに回りこんだダイに捕まってしまった。ぬいぐるみをパッと取り上げられ、
「あ!」
「何だよこれ、きったねえぬいぐるみだなあ」
ダイはぬいぐるみをロイに放った。
「返して!」
メグはロイに飛びつこうとしたが、あっさり突き飛ばされて地面に転がった。ロイは冷淡な笑みを浮かべて、
「こんなもののために何必死になってんだか・・・」
「返してよ!その子はお友達なの!」
メグの言葉に、三兄弟は大笑いした。
「こんなのがお友達だって?変な奴だな!」
「じゃ、もっと格好よくしてやるよ!」
言うなりロイは、ぬいぐるみの耳に手をかけた。ビリッと言う嫌な音とともに詰め物の綿が飛び散る。それを見た瞬間、メグの頭の中が真っ白になった。
――ウサギちゃんが!
「お、いいな、もっとやってやるか」
「こんな変なもの、こうしてやる!」
ダイがぬいぐるみを地面に叩きつけ、セイが汚い靴で踏みにじる。メグの叫び声を聞いたユウとジョーが駆けつけたのはそのときだった。
「あいつら、また・・・!」
「おい、おまえらやめろ・・・」
ユウが三人に怒鳴りつけようとしたときだった。座り込んだままのメグが、三人に指先を向け、
「やだっ!」
そう叫んだ瞬間、不思議なことが起こった。突きつけた指先が赤く輝き、火球が迸る。子供の拳くらいの小さなものであったが、狙いたがわずロイたちに命中した。
「ぎゃあああっ!!」
三人の身体が炎で覆われる。幸い一瞬で消えたものの、あたりに髪が焼けた異臭が漂った。やや間を置いて、セイが大声で泣き出した。
「なっ・・・!?」
思わぬ出来事に、ユウもジョーも呆然としたが、一番驚いていたのは当のメグだった。
今の、何・・・?
セイの泣き声を聞きつけてか、三兄弟の母親が飛んできた。何があったか聞かれ、ロイたちは一斉にメグを指し、口々に言い放った。
「こいつガキのくせに魔法を使いやがったんだ!」
「母ちゃん恐えよ、こんなヤツの近くになんていたくないよ!」
「魔女だ、こいつは魔女だ!」
言葉の刃に心をぐさぐさと傷つけられ、みるみるうちにメグの瞳から大粒の涙が溢れ出した。
「メ・・・」
ジョーが声をかけようとしたが、
「わたし・・・わたし、魔女じゃないもん!」
メグは声を上げて泣きながら走り去った。大切なぬいぐるみを拾うことも忘れていた。
ユウとジョーがわれに返ったときにはロイたちと母親の姿はすでになく、その場にはボロボロにされたぬいぐるみだけが残されていた。
「ユウ、ジョー、何があったの!?」
家に帰るなり、血相を変えたニーナが訊いてきた。二階の部屋からは、メグの泣き叫ぶ声がかすかに聞こえてくる。帰ってくるなり部屋に閉じこもり、鍵をかけてニーナさえも近づけようとしないのだ。トパパがなんとか宥めようとしたが状況は変わらず、少し落ち着くのを待つしかなかった。
「また・・・あの三人にいじめられた?」
ユウの手にあるぬいぐるみを見て、ニーナはそれと悟った。
「うん・・・でも、それだけじゃなかったんだ・・・。メグが、あいつらに魔法を使ったんだ。火の魔法」
「なんですって?」
「なんじゃと?なんでまた」
「オレたち、昨日天井裏に行ったんだ。そこで・・・」
ユウとジョーは、前日の探検のことを話した。
天井裏には期待していたようなものは何もなかった。埃まみれの古い魔法書が何冊かあったが、ユウとジョーに理解できたのは、その本は自分たちが読める字で書かれてあったことだけ。だがメグだけは、その本を真剣な表情で読んでいた。ユウとジョーはといえば、読み終わるまでの時間を昼寝に割いていた。
「あの本を・・・読んだと?」
「うん。だから、魔法を使えたんじゃないかって・・・」
トパパは愕然としながらふたりの話を聞いていた。あの魔法書は、名のある魔道師だった父が愛読していたものだ。自分にはその資質はあまり受け継がれなかったので、父の死後さっさと本を片付けてしまったのだ。
それにしても、自分がほとんど読めなかった本を、幼いメグが読破してしまうとは・・・いや、今はそんなことを気にしている場合ではない。
トパパは天井裏にあがると、取ってきた本をまとめて台所のかまどに放り込んでしまった。乾ききった数百枚の紙はあっという間に炎の中に消えていった。
「これ、直せる?」
一方ユウは、ニーナにぬいぐるみを見せていた。片方の耳が引きちぎられ、身体には靴跡がべったりついている。
「ひどくやられたのね・・・耳は付け直せるけど、身体は作り直したほうがいいわね」
早速裁縫道具と布と綿を用意して繕い始める。
ジョーは、探検の件で怒られなかったことにホッとした反面、なんとも言いようのない罪悪感に襲われていた。
夜になって、ユウとジョーは作り直してもらったぬいぐるみと、夕食代わりのサンドイッチを持って部屋に行った。もう、中から泣き声は聞こえてこない。
「メグ?入るぞ」
扉を叩いたが返事がなかったので、トパパから鍵を借りて入室した。中は真っ暗だ。
「メグ・・・なんだ」
泣き疲れたのか、メグは毛布をかぶったまま静かな寝息を立てていた。
「起こすか?」
ジョーの問いに、ユウは首を振った。夕食を机に置いて出ようとしたとき、
「あ、そうだ」
ジョーが何か思いついた様子で便箋とクレヨンを取り上げた。さらさらと何かを書き付けると、その紙をぬいぐるみの手に持たせるようにした。ユウが覗き込むと、
「たすけてくれてありがとう メグのともだちのうさぎより」
とあった。お世辞にも上手とは言えない字だったが、それに突っ込むのはやめておいた。
「ふーん・・・ま、いいんじゃないの?」
ユウはぬいぐるみを取り上げると、眠るメグの腕にそっと抱かせてやった。
「これでいいだろ。さ、行こう。今日はそっとしておいたほうがいいよ」
「うん。なあ、ユウ」
「なんだい?」
「オレたち、どこで寝ればいいんだ?」
「じっちゃんの部屋で寝ればいいだろ」
――ユウとジョーが部屋を出るのを見計らって、メグは目を開けた。
目にまた涙を浮かべていたが、それは嬉しさのあまり出たものだった。
ユウたちが、「怪物一家」が村を出て行ったと聞かされたのは、その翌日のことだった。