「髪焦がし事件」以降、メグは外に出るのを極端に嫌がるようになった。「また魔女と言われるんじゃないか」という不安が要因のようだった。
 一度ユウとジョーが半ば無理やり外に連れ出そうとしたことがあったが、途端にひどい腹痛に襲われて倒れてしまった。水を浴びたように汗をかき、荒い呼吸を繰り返す状態に、ユウたちはうろたえるしかなかった。
 幸いニーナが鎮静作用のある薬草を飲ませてなんとか収まったが、ユウたちはその後トパパからメグの症状について、「今のメグにとっては、外に出たり、外の景色を見ることが何より恐ろしい」「気持ちだけではどうしようもない」「焦らせてはだめ」ということをこんこんと諭すように説明された。ふたりにとっては、頭ごなしに怒られたりするよりよほど堪えた。
 それからは、子供なりに少しでもメグの心を和らげようと努め、どんな風に接すればいいのか村の白魔道師に話を聞きに行ったりもした。
 その結果、「普段と同じように接していればいい」という結論に達した。また、一緒に遊んだり本を読んだりして、出来る限りひとりにしないように気をつけた。
 それでも、夜中に泣き叫びながら飛び起きることが時々あったので、そのときはユウとジョーがかわるがわる抱きしめたり背中をさすってやったりした。
「みんながね、『魔女は出て行け』って言うの・・・石も投げられたの」
 メグはこのとき、「魔女」「バケモノ」と罵られる夢をよく見ていたのだ。ユウとジョーは黙ってそれを聞いた後で、
「心配するな」
「オレたちがいるだろ?」
 と声をかけていた。
 時が少しずつ経つにつれてメグの症状は少しずつ回復し、家では普通に過ごし、悪夢を見ることはほとんどなくなった。
 まだ外に出るところまではいかなかったが、急ぐ必要はないと皆思い、むしろ徐々に回復する様子を見て喜んでいた。
 そして、一年の月日があっという間に流れた。

 その日の昼、ひとりの男がトパパの家を訪ねてきた。アーガスの若き兵士長であり、ユウの剣の師匠でもあるユージン・マックスウェルだ。ニーナとはともにカナーンの孤児院で育った仲でもあった。
「ユージン兄さん、いらっしゃい」
「変わりないようだな、ニーナ」
 ユージンは日焼けした顔をわずかに綻ばせた。
 ニーナとユージンは二年前、トパパたちが一家揃って所用でアーガス城を訪問したとき偶然再会した。そしてそれが、ユウが弟子入りするきっかけにもなったのだ。今は月に一度のペースで、ユウの腕がどれほど上達しているかを確認するためウルにやって来る。ジョーとメグも彼には懐いているため、いい遊び相手にもなっていた。
「師匠、ご無沙汰しております」
「こんにちは、ユージンおじさん」
「こんにちは・・・」
 ユウたちはそれぞれに挨拶をした。ジョーに、「お兄さんと呼べと言っただろ」と注意した後、ユージンは持っていた袋をテーブルに載せた。
「お土産だ。カナーンで買ってきたんだ」
 開けてみると、ユウたちが見たこともないようなお菓子や干した果物などがたくさん入っていた。ジョーが真っ先に目を輝かせる。
「まあ、わざわざありがとう。今からお昼にするから、そのあとで頂きましょうか」

 六人で昼食をとった後、ユウたちはお土産のお菓子を少しだけもらって食べた。正直なところ満足には程遠い状態だったが、トパパは「いっぺんに食べたらいかん」と言って袋をどこかに持っていってしまった。
「・・・じゃあ、馬車も来たことだし、私たちそろそろ出かけるわ。子供たちをお願いね」
「任せておけって」
 お菓子を食べ終わるころ、トパパとニーナはカズスに行く準備をしていた。タカに注文していた農具を受け取りにいくのだ。
 カズスで用事を済ませてウルに戻るのに二、三日はかかる。子供たちを残すわけにはいかないので普段はトパパだけが出かけているが、ユージンが滞在する間は安心して家を留守に出来るというわけだ。
「行ってらっしゃーい」
 メグを居間に残し、ユウたちは迎えの馬車に乗るトパパとニーナを玄関で見送った。ユージンもメグの症状を知っているので、とくに何も言わなかった。
「・・・さて、と」
 馬車が完全に見えなくなると、ユージンは夕食の下ごしらえを始めた。アーガスの郷土料理で、これもユウたちの楽しみのひとつだった。一時間ほどかけて、あとは火を通すだけという状態まで仕上げると、
「これでよし。さ、行くぞ」
「はい、師匠」
 ユウとユージンは家を出、いつも剣の稽古をしている裏の森に向かった。ジョーが夕方までどうやって過ごそうかと思ってメグのほうを見ると、ジニー女史から渡された宿題に取り組んでいた。
「真面目なやつ」
 ジョーは呆れたように言ったが、自分にも宿題を出されていたことを思い出した。怒られるのも嫌なので、自分もかなり渋々だが、同じように取り掛かることにした。

「・・・腹減った」
 宿題を始めてから一時間もしないうちに、ジョーが愚痴った。
「さっきお昼食べたばかりでしょ」
「頭使うと早く腹が減るんだよ」
 と言いながらも、ジョーの頭の中はユージンが持ってきたお菓子のことで一杯だった。要するに、つまみ食いがしたいだけなのだ。これは今に始まったことではなかったので、トパパは頻繁にお菓子や果物の隠し場所を変えていた(それでも見つけられる確率のほうが高かったが)。
「腹が減っては勉強は出来ぬってね・・・」
 言いつつ宿題を中断し、椅子を引きずりながら台所まで移動する。目指すは食器戸棚の一番上の扉だ。今までの隠し場所の法則性から言うとおそらく今回はここだろう。
「どうするの?」
「オレの勘が教えてくれてるんだ。あのお菓子はこの中だって」
 椅子を戸棚の前に置いたが、それだけでは全然届かない。ジョーは手近なところにあった木箱をヨイショと持ち上げ、椅子の上に載せた。
「や、やめようよ。お母さんに怒られるよ」
 メグは止めたが、ジョーは意に介さず木箱の上に上がった。扉を開けて中を覗き込み、かき回す。もちろん、皿や鉢を落としたりしないように注意を払っていた。
「大丈夫だって、ちょっともらうだけだから・・・あった!」
 お目当ての袋を見つけて手を突っ込んだとたん、木箱がグラリと大きく傾いた。
「あ・・・」
 慌ててバランスを取ろうとしたが、木箱の傾きを完全に直すことは出来ず、そのままジョーの身体は床に落下した。ほぼ同時に、ドン、という鈍い音と食器が割れる鋭い音が重なって響きわたる。
「・・・ジョー?」
 何が起こったかすぐには理解できなかった。突然の出来事に呆然としていたメグは、われに返ると床を見下ろした。皿やカップの破片を全身に浴びるようにしてジョーが横たわっている。額からは一筋の血が流れていた。落ちたときに強打したのだろう。
「あ・・・」
 全身が震える。一瞬死んでしまったのかと思ったが、ジョーがかすかにうめき声をあげたのでそれは否定された。だが、目を覚ます気配はない。このまま放っておいたら、本当に死んでしまうかもしれない。何とかしなきゃ!
 誰か呼ばなきゃ。こう考えて、メグの表情が凍りついた。どうやって?トパパとニーナの留守は知っているので村人たちも訪ねてこない。ユージンとユウは稽古が終わるまで帰ってこない。それまで待っていたら取り返しのつかないことになるかもしれない!
 自分が外に出て知らせるしかないと思ったとき、メグの顔からさーっと血の気が引いた。――外に出る?まわりから変な目で見られ、「魔女」と言われる、あの怖ろしい、外に。
 気がつくと、呼吸が荒くなって心臓が早鐘を打ち、全身にはびっしょり汗をかいていた。外に出るのは嫌だ。でも、でも・・・ジョーを助けられるのは自分しかいないんだ!
 意を決するより先に、メグは玄関まで走り出していた。扉の取っ手をつかんだ瞬間、激しい腹痛に襲われる。ユウたちに外に連れ出されそうになったときのそれと同じ痛みだ。
「い、いたい・・・」
 思わずその場に倒れこんだが、それでも震える手を必死に持ち上げて取っ手をつかみ直し、体重をかけるようにして押しやった。わずかに開いた隙間から転がるように外に出ると、刺されるような太陽のまぶしさに目をつぶる。このまま自分が焼けてしまうのではないかと思った。地面に爪をつき立てるようにして立ち上がろうとしたが、膝が言うことをきいてくれない。
 メグはまわりを見回したが、運悪く、村人たちは見当たらなかった。村の小さな教会にお祈りに行く時間とかぶっていたのだ。
 森にいるユウたちを呼ぶしかない。メグは立つのを諦め、這って進んだ。一年前の記憶を頼りに裏の森を目指す。進むたび痛みが増していくような気がしたが、気力を振り絞ると、必死に堪えて進み続けた。

 ユウはユージンの指導のもと稽古に励んでいた。家にいたときとは一転、ユージンの顔は厳しいものに変わっていた。
「前と比べると少しよくなった。だが、まだまだ無駄な動きが多いぞ」
 冷徹な目で、素振りを終えたばかりのユウの長所と短所を鋭く指摘する。その分、腕が上達したときはちゃんと褒めてくれるのだ。
「よし、実戦行くぞ」
 ユージンは自分の木刀を取り上げると身構えた。ユウも同じように木刀を構えて、険しい表情を作る。
 これが子供の目か、とユージンは思った。まるで、親の仇でも見ているような目つきだ。今のところは自分の全戦全勝だが、それでも時々剣さばきにヒヤリとさせられることはある。
 今のまま鍛錬を続ければ、数年のうちに追い越されてしまうに違いない。それが楽しみでもあり、恐れてもいた。
「来い!」
 ユージンはそう言って・・・ユウの背後の光景にぎくりとした。そこにあるものに気をとられて完全に無防備になってしまい、脇腹を木刀が直撃する。
「ウゲッ」
 やや聞き苦しいうめき声を上げて、ユージンはその場にしゃがみこんだ。
「師匠!ごめんなさい、大丈夫ですか!?」
 ユウが駆け寄ったが、ユージンは「なんでもない」と首を振って、「そこにあるもの」を指した。
「え?・・・!」
 振り向いたユウは愕然とした。ユージンが指す先に、メグがうずくまるように倒れていたのだ。
「メグ!」
 ユウが駆けつけて声をかけたが、メグは荒い呼吸を繰り返すだけだった。髪を振り乱して服と手は土で汚れ、全身水をかぶったように汗まみれだ。
「メグ!しっかりしろ!」
 少し遅れてやってきたユージンが、メグを抱き上げて揺すると、うっすらと目を開ける。
「どうしたんだよ!?外に出るなんて・・・」
 思わず声を荒げるユウを制し、ユージンはメグの口もとに耳を寄せた。
「ジョー・・・が・・・」
「ジョーが?あいつがどうしたんだ?」
「け、怪我、したの・・・早く、来て!」
 やっとのことで言い終えると、メグの身体から力が抜けた。

 ユージンからの伝書鳩を受け取ったトパパとニーナが帰ってきたのは夜中のことだった。
 ジョーもメグも薬で眠っていたが、診察した白魔道師が症状を説明すると、ホッとしてその場にへたり込んでしまった。
 ジョーの怪我は、幸い軽い脳震盪と食器の破片で切った傷だけで済み、メグも体力を極度に消耗していただけだったので、翌日になれば目を覚ますということだった。
 ユージンから、メグが外に出たという話を聞いたトパパとニーナは呆然として言葉も出ない様子だった。
「なんとしてでもジョーを助けたかったんだろ。まったく、なんて子だ」
 ユージンは呆れとも感心ともつかない口調で言った。
「メグ・・・辛い目に遭わせてごめんね・・・」
 ニーナは涙ぐみながら、寝息をたてるメグの隣にウサギのぬいぐるみをそっと置いた。と、ユウが口を開いた。
「ジョーを助けたい気持ちが強かったんだから、辛くはなかったと思うよ」
 
 翌日、ふたりが目を覚ますのを見届けたあと、ユージンは帰って行った。
 メグを外に出すきっかけを作ったとはいえ、それとこれとは別ということで、ジョーはトパパからつまみ食いと食器を割ったことについてみっちり説教される羽目になった(ユウに言わせれば「自業自得」ということだが)。
 メグはといえば、昨日の出来事をほとんど忘れてしまっていたが、外に出たことだけは覚えていた。そのあと、こう続けたのだ。
「お空って本当は綺麗だったんだね」

 夕食の支度をするニーナの背後で、扉が「パタン」と開く音がした。こんな控えめな音を立てるのは自分とトパパを除けばひとりしかいない。
「メグ?お帰り」
 ニーナが振り向くと、メグは買ってきたものを食卓の上に並べ始めていた。
 あれから二月経ち、メグは家から一番近いパン屋までなら買い物に行けるようになった。先日から、「人を治せるようになりたい」と言いだして、白魔法の勉強も始めた。焦ることはないのだ。と、
「ただいま」
 再び扉が開き、今度はユウ、ジョー、ユージンの三人が帰ってきた。あの事故があって、ニーナはカズスに行くことを止めることにしたのだ。
「お、これ美味そうじゃん」
 ジョーの手が食卓に載っていた皿に伸び、ヤギのミルクで作ったチーズをひとつ取り上げた。
「お行儀悪いことしないの!」
 ニーナが叱りつけたときには、既にチーズはジョーの腹の中に消えていた。結局、あれだけ痛い目に遭っても彼のつまみ食いは直らずじまいである。

「起きろ!」
 ユウの怒鳴り声で、ジョーは目を覚ました。といっても、まだ半分眠っているような状態だ。
「いつまで寝てるんだ、そろそろ宿を引き払う時間だぞ」
「うるさいな・・・起きたからそれでいいだろ」
 文句を言いつつ、大きく伸びをしながら欠伸までするという動作を同時にやってのけた。
「ところで、朝飯は?」
「美味しく頂いたよ」
 ユウの言葉に、ジョーは一瞬ポカンとして、
「・・・ちょっと待て、オレの分まで食っちまったのか?」
「冗談だ。宿の人に包んでもらったから、飛空艇の中で食べればいいさ」
「悪いな」
「おまえが寝坊するのを見られたのは貴重だったからな。ほら、さっさと着替えて準備しろよ」
「その前に顔洗ってくるわ」
 ジョーは洗面所に行くとバシャバシャと顔を洗った。冷たい水を顔に叩きつけると、夢で味わった嫌な気分が少しは洗い流される。
「なんであんな昔のことを・・・」
 彼にとって、つまみ食いに失敗した上、怪我をし、トパパに説教を食らったことは人生最大の汚点なのだ。その出来事について、メグには逆に感謝されているということは露ほども知らない。
 ジョーは顔を拭うと濡れた髪を払い上げた。額の真ん中に、当時の傷跡が三日月のような形になって残っていた。
「『負の勲章』ってヤツだな、こいつは・・・」
 鏡を見ながら忌々しげにつぶやくと、前髪をたらして傷跡を隠した。