ジョーの強烈なまわし蹴りがゴブリンの横面に命中すると、ゴブリンは他愛もなくひっくり返ってしまった。
「・・・ふう」
 下水道の中は、ゴブリンの住処と化していた。ユウとジョーは、メルチェットから借りてきたランプを手に、奥へと進んでいった。
 しかし・・・。
「くせえ・・・」
 ジョーは、うんざりした顔で鼻をつまんだ。下水道には、絶えず悪臭を放つ生活排水が流れ込んできていた。この水は、最終的に出口の浄化槽を通って海に流れ込んでいくのだという。
「よくこんなとこに住めるよ、全く。物好きな婆さんだな」
「慣れてんだろ」
 ユウが、ジョーの方を向きながら言ったとき、ふと今のうちに水の洞窟でのことを聞いておこうかな、と思った。あのとき、何が起こったんだろうか?
「なあ・・・」
 と言いかけたときだった。ジョーが、ユウを制して、
「今、何かが聞こえてこなかったか?」
「いや――」
 ユウが否定の言葉を口にしかけたとき、
「ぎょえええーっ!」
 四人分のしわがれた悲鳴が聞こえてきた。
「あっちだ、ユウ!」
「ああ!」
 声のしたほうへ駆けつけてみると、四人の老人たち――アービン四人衆が、八匹のゴブリンに取り囲まれていた。四人は武器をふるって必死に応戦するが、魔物たちにじりじりと追いつめられていく。
「い、いつの間にここに来たんだ・・・?」
「仕方ねえ・・・」
 ジョーは舌打ちするとゴブリンたちに飛びかかり、あっという間に片づけてしまった。
「ほおーっ・・・」
 老人たちが、感心したようにそれを見ている。
「大丈夫か?」
 ユウが問いかけると、老人たちは照れたように、
「先回りしようと思ったんだが、やはり年には勝てんのう・・・」
「本当だな」
 息ひとつ切らしていないジョーが、皮肉っぽく言った。
「いや、デリラのところに行って靴を借りてきたまではよかったが、帰り道で襲われてのう。ゴブリン程度の敵も倒せんとは、やはりわしらは違うのかの」
 ふうとため息をつくアービンに、ユウは首を振って、
「いや・・・そんなことはないと思うけど。平和を望む人は、みんな戦士になれる・・・少なくとも、おれはそう思っている。一番大事なのは、力の強さじゃなくて、心の強さなんだ。だから、そういう意味ではじいさんたちも戦士なんだよ・・・って、ちょっと説教じみてしまったけどな」
「ちぇっ・・・またそんなこと言って」
 ジョーがぼやいたが、すっかり感銘した様子のアービンは、
「ありがとうよ。ほら、浮遊草の靴だ。持っていきなさい」
 浮遊草の靴は、七色に輝く草を丹念に編んで作られたものだった。
「こんな靴で、本当に沼を渡れるのか?」
 ユウは靴を道具袋にしまい込むと、まだ半信半疑のジョーとアービン四人衆とともに、下水道を出た。メグがまだ目を覚ましていなかったので、メルチェットに伝言を頼むと、すぐさまゴールドルの館へと足を向けた。

 ユウは、濃緑色に濁った底なし沼を見た。
 沼の中に生物も植物も見ることは出来なかったが、それでもかなりの深さを思わせた。ここに落ちて生命を落とした者も少なくないという。いったん足を突っ込めば、どんな泳ぎの達人でも、何かに引き込まれるように沈んでしまうのだという。
「本当に大丈夫なのか、こんなちゃっちい靴で・・・」
 ジョーは、靴を履きながらもまだ疑いの色を隠していなかった。
「疑り深い奴だな。じゃあ、先におれが行く。おれが大丈夫だったらお前も来いよ」
 そう言うなり、ユウは躊躇なく右足を沼の水面に付けた。
「おい!」
 だが、ユウはお構いなく、アメンボのように水面をすたすた歩いていく。それを見たジョーも腹を決めたのか、やっと沼に踏み込んだ。
「おっ!」
 ジョーは思わず感嘆の声を上げた。沼の表面を歩いているように見えたが、そうではない。水面の上をわずかに浮いているのだ。
「すげえや、これは!」
「ほら、やっぱり大丈夫だっただろ?」
 ユウが、それ見たことか、と言わんばかりの表情をした。

 沼の奥にゴールドルの館があった。
「悪趣味な野郎だ」
 と、ジョーが言ったとおり、館は黄金づくしで、注目するな、と言われるほうがムリだと思うくらい派手なものだった。
 まず、屋根から玄関、窓枠には純金の板が貼られ、壁には黄金を薄く伸ばしたものが使われ、とにかく館の中の目につくものは全て黄金で出来ていた。剥がれかけていた黄金の床板を目ざとく見つけたジョーは、調べるふりをしてこっそり懐に入れておくのを忘れなかった。
 ゴールドルと思われる人物を模した黄金の像があちこちに置かれ、黄金の扉には全部、鍵という鍵がかかっている。
 扉は頑丈で、いくら蹴ろうが体当たりしようが、びくともしない。シーフの出番だった。
「・・・ったく、なんて奴だ」
 ジョーは、鍵穴に先を丸く曲げた針金を突っ込みながら呟いた。もともと手先は器用なので、シーフはぴったりのジョブといってもよかった。
「ここまでするなんて、用心深いにもほどがあるぜ・・・」
 ジョーが鍵と戦闘を繰り広げている間、手持ち無沙汰なユウは下水道で聞きそびれたことが聞きたくなってきてしまった。
「ジョー・・・ちょっといいか?気が散るようならやめるけど・・・」
「別に構わねえよ」
 ユウは意を決して聞いた。
「じゃ、訊くけど・・・水の洞窟で、何があったんだ?」
 ジョーの手が、一瞬止まった。
「そ、それは・・・」
「メグが言ってたんだ、『あれはジョーじゃない』って。おれもそう思ってる・・・本当のこと教えてくれないか?」
 ジョーは、しばらく黙って針金を動かしていたが、ゆっくり口を開くと、
「何かがオレの身体を乗っ取っていたんだ。あのとき、自分の身体が自分の意志に逆らっているような、そんな感じだった。オレ自身は、まるでどこかに閉じ込められていたような感じだったんだ・・・」
「ふうん・・・」
「なあユウ。そのことはもう二度と訊かないでくれ。オレだって、もう思い出したくないんだよ!」
 と言って、苛立ったように針金を持った手を動かした。ガチャリという音とともに、鍵が解除される。
「わかったよ、悪かった」
 ユウは頷いた。あの出来事は、彼にとっても忌まわしいことなのだろう。
 扉を開けながら、ジョーはこう思っていた。
 ――「人間離れ」という意味では、クリスタルの力も、オレのあの力も同じようなものかもしれないな――

 いくつかの扉を開けてみたが、すべて空き部屋だった。広すぎる館で迷いつつも、三階の部屋でやっとゴールドルと対面することが出来た。
 黄金で出来た大きすぎる玉座に、ゴールドルは腰を降ろしていた。
 小太りの、頭が禿げ上がった五十過ぎの男で、派手な服を纏い、数多の宝石をちりばめた、やたら金はかかっているが趣味の悪い首飾りや腕輪や指輪をいくつも身につけていた。それを見たジョーが、露骨に嫌な顔を見せ、鼻を鳴らした。
「なんの用だ」
 ゴールドルは、ふたりを見下すような傲慢な口調で言った。
「それはもうわかってるんじゃないのか?人の船に手を出しておいて、盗人猛々しいとはこのことだぜ」
「本物の盗人に言われたくないな」
 ジョーの言葉にゴールドルが言い返した。
「何だと?ジョー、まさか・・・」
 ユウが怪訝な顔で問うと、ジョーはばつの悪い顔で先ほどくすねた金を投げ捨てた。
「盗んだことは悪かったよ、だけど船がないと旅が続けられないんだ。だから鎖をといてくれないか?」
 ユウの言葉にゴールドルはフフンと笑い、
「それはできないな。お前たちは目ざわりな存在。これ以上うろちょろされては、ザンデさまの迷惑になる」
「ザンデ・・・?貴様、ザンデの部下か!」
「だから、土のクリスタルも奪ったのか!?」
 ジョーの問いに、
「クリスタル・・・?もしかして、これのことか?ほしいならくれてやるぞ」
 ゴールドルは加工されていない原石のようなものを取り出し、ユウたちの前に放り投げた。その正体は、クリスタル――には違いないが、なんの力も感じられない普通の水晶の塊だった。
「騙したのか!」
「・・・まさか、おれたちをおびき寄せるために?」
「飛空艇のこともあわせて、クリスタルの存在を匂わせておけば、ここに来ないわけにはいかなかっただろう?」
 そう言うなり、ゴールドルの姿が急激に変わり、やがて、金色の武具を身につけた巨人の姿になった。ゴールドウォリアだ。
「魔物・・・!?本物のゴールドルはどうした!?」
「そやつなら、とっくの昔に骨になっておるわ!さあ、覚悟しろ!」
 ゴールドウォリアは、剣を振りかざすと、ふたりに襲いかかった。
「貴様もかっ・・・!」
 ジョーは、床を蹴ると、ゴールドウォリアに飛びかかった。が、敵の動きは、ジョーの予想を遥かに上回っていた。足が空を斬ると同時、金色の巨人は、ジョーの後ろに回り込むと、彼の肩口を切り裂いた。勢いで身体が吹っ飛んだ。
「わあっ!」
「ジョー!」
 ユウは、剣を手にゴールドウォリアへ斬りかかった。ユウの剣と、ゴールドウォリアの剣とが激しくぶつかり合い、乾いた金属音が響いた。
「く・・・」
 ユウと魔物は、睨みあいながらも、手の力をけして弱めようとはしなかった。
 押したり押されたりがしばらくの間続いた。だが、段々ユウの方が劣勢になってくる。腕は既に感覚を失い、小刻みに震えていた。歯を食いしばるユウの額に、玉のような汗が浮かぶ。
 ゴールドウォリアの顔に不敵な笑みが浮かんだときだった。
 ジョーが投げつけたブーメランが、ゴールドウォリアの顔面めがけて飛んできた。
「フン!」
 ゴールドウォリアが片手を払うと、ブーメランはあっけなく床に落ちた。だが次の瞬間、ゴールドウォリアは悲鳴をあげ、大きくのけぞった。
 その左目には、やはりジョーが投げつけた短剣が深々と突き刺さっていた。最前投げたブーメランは囮にすぎなかったのだ。
「やああっ!」
 すかさずユウが宙に身を躍らせ、剣を思い切り振り下ろすと、
「ぐわあああーっ!」
 再び悲鳴があがり、大きく切り裂かれた眉間から、黒い血が怒濤のように噴き出した。
 さらに、返す剣でユウはゴールドウォリアの喉を突き刺した。首の反対側まで刃が突き出ていた。
 ゴールドナイトはゆっくりと倒れ込んだ。そのまま、その身体は風化してひとかたまりの塵になってしまった。後には、金色に輝く鍵が残された。
 ユウは、息をついて剣をしまうと、鍵をつかんだ。同時に消失し、鎖がほどけるジャラジャラという音がユウの頭の中に響いた。
「やったな、ユウ・・・うっ!」
 ユウに歩み寄ったジョーが、斬られた肩を押さえて呻いた。
「ジョー、大丈夫か?」
 傷はかなり深く、押さえた指の間から血が流れ出る。ユウは布で傷をきつく縛った。
「薬草、買っときゃよかったな・・・」
 ぼそっと呟く。道具袋に入っていた薬草は、湿って使いものにならなかったので全部捨ててしまったのだ。
「大丈夫だって・・・用は済んだんだから、さっさとアムルに戻ろうぜ。メグももう起きてるんじゃないか?」
 と、勢いよく立ち上がった途端に肩に電流を流されたような痛みが走り、
「いでで・・・」
「おい、あまり無理するなよ」
「へいへい」