水のクリスタルの神殿近くにあるアムルの街に、意識不明の三人の少年たちが運び込まれてきた。
 少年たちは、宿の手厚い看護を受けたが、何日経っても彼らの意識は戻らず、死んだように眠り続けていた。
 そして、時が流れた。

 三月下旬。アムルの宿屋の女主人メルチェットは、摘んできた白いスイセンの花を花瓶に生けると、二階の部屋に向かった。
 返事がないのはわかってはいるが、一応扉を叩いてから入る。その部屋のベッドには、亜麻色の髪の少女が眠っていた。ここに来たときと比べると、顔立ちも幾分大人っぽくなっている。肩につく位だった髪は、背中まで伸びていた。
 少女は、ふたりの少年とともに発見された。部屋に寝かせ、医者を呼んだり薬湯を飲ませたりと手を尽くしたが、三人は目を覚まさなかった。それでも顔色はよく、呼吸も規則正しく繰り返されている。まるで冬眠しているかのようだった。その現象を訝しがる人々の耳に、不思議な声が聞こえてきたのだ。
 ――私は水のクリスタル。その者たちは世界を闇から救う光の戦士なのだ。だが、心身ともに傷ついたので、私の力で休ませている。時間はかかるが、彼らが目覚めるまで見守っておいてほしい――
 クリスタルの言葉に街人たちは納得し、いつ目覚めるのかわからない三人を世話することにした。といっても、クリスタルの力で食事は必要としないので、役割といえばときおり身体を拭くこと、部屋を掃除しておくこと、花を飾っておくことくらいだったが――。
「もう、七ケ月も経つんだね」
 ベッドのサイドテーブルに花瓶を置きながら、メルチェットは反応を示さないメグに話しかけた。
「あのときと比べてあんたたち、大分雰囲気が変わったように見えるよ。いつ目が覚めてもいいように、船もちゃんと綺麗にしてるし、武器の手入れも欠かさないからね」
 簡単に部屋の掃除を済ませたメルチェットは、ユウとジョーが眠っている部屋に向かおうと扉を開けた、そのときだった。
バタバタと階段を慌しく駆け上がる音が聞こえてきたと思うと、武器屋の主が廊下に飛び出してきた。彼はメルチェットを見つけるなり叫んだ。
「おかみさん、大変だ!あの子たちの船が・・・!」
 その言葉が届いたのかどうかはわからないが、今まで微動だにしなかったユウたちの身体がぴくりと動いた。

「・・・?」
 メグが目を覚ましたのは、その日の真夜中のことだった。身を起こしてみて初めて、自分がベッドの中にいたことに気づく。といっても、見慣れた飛空艇の船室ではないようだ。ユウとジョーの姿はここにはなかった。ほかの部屋にいるのか、それとも・・・?
 なぜここに・・・?こう思ったとき、水の洞窟での忌まわしい出来事がはっきりと蘇ってきた。矢を貫かれた部分に触れてみるが、痛みはまったく感じない。
「エリアさん・・・ごめんなさい・・・」
 メグの目から涙があふれてきた。刺されてからのことは、朦朧としていたのでほとんど覚えていない。それでも、闇の中でエリアに抱きしめられたときの感触と、サンダガを使ったときの感覚ははっきり記憶の中に焼きついていた。
 メグは自分の手のひらを見つめた。
 あのとき、わたしは黒魔法を使った。あの一件以来、何があっても黒魔法は一生使わないと決めていたのに・・・。
 窓の外の月を見ながら、メグは幼少時の記憶をたどっていった。心の底に鍵をかけて閉じ込め、できる限り思い出すまいと努力していたあの出来事を・・・。

 家から一歩出れば、生き地獄が待っていた。
 ウルに住む三人兄弟に狙われ、服を泥だらけにされる。お使いのお金を盗られる。首飾りを取り上げられ隠される。そのたびにユウとジョーが間に入って助けてくれたが、それで事態が収まりはしなかった。結局、自分がいじめられ、それを見たユウとジョーがいじめっ子を撃退するの繰り返しだった。いじめられていたのは他の子供たちもだが、まともに太刀打ちできるのはユウとジョーだけだったため、実質やりたい放題と変わりなかった。
 見かねたトパパやニーナ、他の子供たちの親が三人組の親に何度も抗議しに行ったが、「証拠がない」と開き直るか、逆に「うちの子たちを悪者にするのか!」とムキになるかどちらかだったので、誰も相手にしなくなった。そして、子供たちが外に出るときは、常にユウかジョーが一緒だった。
「あの一家には、もう出て行ってもらうしかない」
 トパパがそう決め、村人たちも一致団結して行動を起こそうとした、その直前のことだった。
 メグはいつものように三人組に取り囲まれていた。前日にプレゼントしてもらった、ニーナ手製のウサギのぬいぐるみを取り上げられてしまい、
「返して!」
 メグは飛びつこうとしたが、あえなく突き飛ばされてしまった。
「こんな変なもの、こうしてやる!」
 ぬいぐるみの耳を引きちぎられ地面に叩きつけられた瞬間、メグの中の何かが爆発した。ちょうどそこに駆けつけたユウとジョーも、いつものようにそれを止めようとした、そのときだった。
「やだっ!」
 叫び声と同時に、突然自分の指から生まれた炎。それがいじめっ子たちに当たった。幸い三人とも髪を焦がした程度で済んだ。だが、悲鳴を聞いて飛んできた母親に向かって、三人は言い放ったのだ。
「こいつガキのくせに魔法を使いやがったんだ!」
「母ちゃん恐えよ、こんなヤツの近くになんていたくないよ!」
「魔女だ、こいつは魔女だ!」
 それを聞いたメグは、泣きながら逃げるように家に駆け込んでいってしまった。血相を変えたトパパに事情を聞かれたユウとジョーは、つい前日のことを話した。
 トパパとニーナが留守の隙に天井裏を探検した三人は、分厚い魔法書をたくさん発見した。ユウとジョーには読解不可能だったが、メグだけはその本を貪るように読んでいたのだ。
 それが原因と思ったトパパは、すぐさま本を全部焼却してしまった。
その日のうちに、三人組と親は村を出て行った。自分と同じく、連中にいじめられていた子には感謝されたりもしたが、それで気が晴れるわけでもない。それから、村人たちの目つきが変わったように見えた。表面上は、いつもと同じ態度を取っているように見えたが、それをかえって不自然に感じてしまったのだ。
人間不信と恐怖から家に閉じこもり、普通に接することができるのは家族であるユウとジョー、トパパとニーナだけだった。そして、再び外に出られるようになるまで一年を要したのだった。

「でも・・・間違ったことはしていない。わたしはただ、ジョーを助けたかっただけ・・・」
 あのとき魔法を使わなければ、ジョーはクラーケンに刺されていたはず。だから、あれでよかったんだ――そう自分に言い聞かせようとしていると、
 ――バケモノのクセに、開き直るな!――
 ――熱い・・・身体が、溶けそうだ・・・――
 ――おまえはオレたちにとっちゃ疫病神なんだよ!――
 嫌な声が耳をついた。はっとなって見回すと、
「な、なんでここに!?」
ベッドのまわりに自分をいじめていた三人組が子供の姿のまま立っていて、メグを見下ろしていた。しかも、その姿は醜く焼け爛れ、顔は包帯でぐるぐる巻きになっていた。包帯の隙間から、ぎょろりとした目が覗く。
 ――オレたち、おまえのせいでこんな姿になっちまったんだ・・・――
 ――もう表を歩けない。どうしてくれるんだよ・・・――
 ――こうなったら、おまえの皮膚をもらうしかないよなあ・・・――
 黒ずんだ三本の手が、いっせいにメグに伸びる。
「やめて、やめてーっ!」
 メグは咄嗟に、近くにあったものを手当たりしだい投げつけた。陶器の花瓶が鋭い音をたてて扉にぶつかり、無惨に砕け散った。その音で、メグはわれに返った。三人の姿はどこにもない。花瓶から落ちたスイセンが、暗闇の中でほのかに光った。
「やだ・・・なんで、こんなこと・・・」
 メグは掛け布団を頭からかぶり、見えるものをすべて拒むかのように、目をきつくつぶる。やがて、気を失うように眠りに落ちていった。

「幻覚の術はこんなものか・・・」
 アムルの宿のそばにある大木の枝に腰掛けていたヘキナは、はめていた紫色の腕輪をはずし、ほくそ笑んだ。
「ほかのふたりはともかく、あの娘は普通に殺すだけじゃ飽き足らないからな・・・先ほどの後遺症もある、もうしばらくは目を覚まさないだろう。・・・次はあいつの出番だな」
 ヘキナは、音もなく姿を消した。強い春風が、枝を軋ませた。