エリアは「必要なものを持ってきます」と言って、水の神殿に入っていった。ユウたちは入ることが出来ないため、入り口で待っていた。とくに会話は交わさなかったが、ジョーはメグがじっと空を見ているのに気づき、訊いてみた。
「そんなに見なくても、雨なんてふらねえよ。まあ、少しは雲が出てもいいとは思うけどな」
 この日の天気は、これ以上望めないくらいの快晴で、じっとしていても汗ばんでくるほどだった。空の色は、エリアの瞳の色をうつしたような鮮やかな青だ。
「ううん・・・綺麗な空だと思って。浮遊大陸も、これと同じ空なのかな?」
「そりゃそうだろう。空はひとつしかないんだから」
「そうでもないぞ、ジョー。地方によって天気は結構変わるんだ。もしかしたら向こうはくもりかもしれないな」
 いつしか話題は天気のことに移っていた。と、
「お待たせしました」
 エリアが神殿から出てきた。右手を握り締めている。そして、胸につけていたブローチは彼女の左手にあった。
「何を持ってきたんだ?」
 ユウの問いに、エリアは手を開いて見せた。ブローチとよく似た作りの青い水晶のかけらが乗っていた。
「水のクリスタルのかけらです。ふたつに分けられていて、片方は神殿に祭られ、もう片方は代々の巫女が持つ決まりになっているのです。これを・・・」
 エリアはかけらとかけらを合わせた。と、ふたつのかけらはほのかな光を放ち、やがて融合してひとつのかけらとなり、朝日の中でも一瞬まぶしいほどに輝いた。
「よかった・・・まだ光が残っていたわ。これを使えば水のクリスタルも、きっと・・・」
「そうすれば、沈んだ大陸ももとに戻るの?」
 頷いたエリアを見た瞬間、メグの胸をゆうべと同じ痛みが走った。ざわっとした、なんとも形容しがたい痛みだ。
「おい、そろそろ行くぞ」
 ユウの声で現実に戻される。
「うん、わかった・・・」
 メグとエリアは、ユウとジョーのあとを急いで着いていった。メグは胸の痛みのことを忘れようと、今日の献立は何にしようか、ジョーは喜んでくれるかななどと考えて、気を紛らわせようとしていた。一方エリアの心もまた、絶対クリスタルを復活させようという決意で一杯だった。

洞窟に入ってからすぐのところに、扉があった。見た目は普通の木の扉のようだが、
「水の巫女にしか開けられない封印の扉です。今開けますね」
 進み出たエリアは、扉の前にひざまずくと、クリスタルのかけらを挟んだ両手を組み合わせた。
「クリスタルを守る封印よ――我は求め訴えん。汝にこいねがう。光受け継ぎし者たちに新たなる力への道を解き放ちたまえ。我が名はエリア、水のクリスタルに仕えし者。汝に我が声が聞こえたなら、汝と扉をつなぐ枷を砕きたまえ」
 詠唱が終わると同時に、エリアの手の中のかけらが、ピカーッと青い光を放ち、光は扉全体を覆い尽くした。カチャッ――小さな音がしたと思うと、扉がゆっくりと開いた。封印が解除されたのだ。ユウたちが巫女の力に感心していると、
「さあ、行きましょう」
 エリアはそう言い、再び最後列に回った。と、クリスタルのかけらがまた光った。さきほどのものより一段と強い光だった。
「ど、どうしたの?」
「共鳴の光です。クリスタルはまだ光を失っていません。どうやら、間に合ったようです」
 エリアは安堵のため息をついた。ジョーはかけらを見ながら、
「じゃ、いよいよだな」
「はい。そうなればわたしの役目も終わりです」
「終わりって、どういうこと?巫女を辞めるってこと?」
「大地震の際、かなり力を使ってしまいました。水のクリスタルに光を取り戻せば、わたしは完全に巫女としての力を失うことになります」
「じゃあ・・・これからどうするの?」
「儀式をすませたあとは、故郷のアムルに帰ります。これで・・・自由になれる・・・」
 最後は独り言のように呟いたが、メグのほうを見て微笑んだ。
「だから・・・外のこと、色々教えてくださいね」

「ここです」
 エリアは、水のクリスタルの部屋の扉を開けた。とたんに水の匂いが鼻を突いた。
 部屋の四方には、水晶の柱が一本ずつ建てられ、その中心に、「水を清めるクリスタル」と刻まれた祭壇にのった水のクリスタルがあった。音が持ち去られたのかと思うくらい、そこは静かな空間だった。泉の上には、クリスタルへの道を案内するかのように、真っ白い通路が横たわっている。
 色がくすんで暗い色のクリスタルは光を放ってはいなかった。グツコーに力を奪われたときの火のクリスタル以上だ。
「ここで待っていてください」
 エリアはクリスタルに歩み寄った。そして、抱きしめるように両手を回す。表面は氷のように冷たかった。
「水のクリスタルよ・・・」
 かけらを、クリスタルの一部分が欠けたところに当てはめた。かけらが光り始める。
「光を取り戻して・・・呪いを振り払って・・・世界のためにも、そしてあなた自身のためにも!」
 エリアは、クリスタルを励ますように言った。それに応えるかのように、クリスタルが仄かな光を放つ。
 一方、ユウたち三人も、真剣な面持ちでエリアとクリスタルを見守っていた。そのせいで、注意力が緩慢になっていた。
 ふっ・・・線のような物体がふたつ、宙を舞った。だが、それも一瞬のことだった。次の瞬間には、
「エリアッ!」
「メグッ!」
 ユウとジョーの叫び声が空間の静寂を打ち破った。線のような物体は、毒々しい紫色に塗られた矢。一本はエリアの胸に、もう一本はメグの脇腹に突き刺さった。痛みを感じる間もなく、ふたりの身体が崩れ落ちる。ユウはエリアに、ジョーはメグに駆け寄った。
 ――あの痛み、気のせいなんかじゃ、なかったのね――
 メグの口から、咳と共に血が吐き出された。傷口から流れ出る真っ赤な血が、透明な床を赤く染め上げる。ジョーに渡すはずだった包みが破れ、飛び出した腕輪が血だまりの中に沈んでいった。

「エリア!」
 ユウが倒れたエリアに呼びかけたとき、メグを抱き起こしたジョーが叫んだ。
「前から来る、伏せろ!」
 ユウはエリアを抱きかかえるようにして突っ伏した。ユウを狙った三本目の矢が頭の上を鋭く通り過ぎていき、柱に当たって折れた。
「誰だ、出てこい!」
 ふたりが矢が飛んできたほうを向くと、そこにはゼザが立っていた。
「じ、じいさん!?なんであんたが・・・!?」
 愕然としたふたりに、ゼザはククッと笑った。と、その姿は見たことのある男のものに変わっていった。
「グ・・・グツコー!?」
 火のクリスタル絡みで二度戦った、盗賊グツコーだった。だが、以前に比べるとまとっている雰囲気がまるで違う。外見こそ人間だが、気配は魔物のそれと変わりなかった。左腕には、矢と同じ色の腕輪をはめていた。
「貴様らが船に来る直前、あのじいさんに死んでもらったよ。すぐ目の前にいるのに気づかないとは間抜けなヤツらだ・・・」
「じいさんまで殺したのか・・・なんでこんな真似をした!?」
 ユウの絶叫にも似た問いかけに、グツコーは当たり前のように言った。
「貴様らに復讐するためだ。そのために、悪魔と手を組み、闇の力を手に入れたのさ」
「なんだって・・・!?」
「おれたちに復讐?たったそれだけのために、じいさんやエリアまで・・・」
「・・・ぶっ殺してやる。てめえひとり殺ったところで、後悔なんかしねえよ。いや、してたまるかっ!」
 ジョーは動かないメグを床に横たえて立ち上がった。
「面白い。やれるものならやってみろ!もうこの間の俺とは違う、こんな力まで手に入れることができたんだからなっ!」
 グツコーが腕輪を上に掲げると、腕輪が発した紫の霧がグツコーを包み込んだ。霧が晴れると、一匹の魔物がそこに立っていた。
 それは、上半身は半魚人のものに酷似してはいたが、下半身は蛸の足が生えている奇怪な生物だった。ユウは憎悪の目で醜悪な魔物をにらみつけた。
「・・・そんなもののために、人間を捨てたのか!?」
「その通り。今の俺の名はクラーケン!水のクリスタルも貴様らも、ここで終わりだ!」
「終わるのは・・・てめえのほうだっ!」
 瞬間、ジョーの中で何かが激しく爆発した。人間だろうと何だろうと関係ない!最早こいつは魔物、それ以外の何者でもないんだ!
「ユウ・・・おまえは手を出さないでくれ。メグとエリアを頼む・・・」
「ジョー・・・?」
 ユウの呼びかけに、彼は答えず、グツコー――クラーケンを見据えた。