三日後の夕方。飛空艇は、三日前と何も変わらない状態で、海上をさまようように飛んでいた。
「・・・ヒマだ」
 甲板に座り込んでいたジョーが、その場にごろりと寝転がり、大あくびをした。ユウは無言のまま、視線を下にやった。そこに広がるものは、波ひとつ立たない青い景色だけで、ほかには何もない。
 ユウたちは飛空艇を自動操縦にし、交代でひたすら望遠鏡を覗いていた。だが、島影ひとつ見えることはない。しまいにはここにはもともと大陸なんてありはしないのでは、と思うようにもなっていた。魔物に襲われないのは幸いだったが、何もないのを苦痛に感じるほどだった。最初は、海や空の鮮やかな青さに見とれていたのだが、数時間後には飽きてしまっていた。今では会話もほとんど交わさなくなっている。
 今日もだめかな・・・とユウが思いかけたとき。
「船が見えたわ!」
 嬉々とした表情で、メグが船室から飛び出してきた。サイトロの魔法で地形を見ていたのだ。こ知らせに、ジョーの眠気も吹っ飛んだ。
「本当か?で、どこだ!?」
「東のほう。そんなに遠くないから、暗くなる前に着けると思う」
「了解!」
 ジョーは起き上がると、操縦室に飛び込んでいった。

 メグが見つけた船は、難破船だった。訪ねてみると、七十歳位のやせた老人が応対してくれた。ユウたちが浮遊大陸から来たことを話すと、老人はゼザと名乗り、ため息をついて語り始めた。
「あの大地震の影響で、この世界は海に沈んでしまったのじゃ。わしはそのとき、この船に乗っていたので助かったが、どうやら生き残ったのはわしらだけのようじゃ・・・」
「わしら?ほかに誰かいらっしゃるんですか?」
「ああ、隣の船室で眠っているよ。板切れにひっかかるようにして漂流していたので、溺れずにすんだんじゃろう。だが、まったく目を覚まさないのが気がかりじゃ・・・」
 ユウたちが足音を殺しながら船室に入ってみると、ベッドに誰かが横たわっていた。近づいて見てみると、そこに眠っていたのはひとりの少女だった。
「綺麗な人・・・」
 メグが呟いた。豊かな黒髪、整った顔立ち。だが、その顔は蒼白で、唇からは血の気が引いていた。額に手を当ててみると、かなり熱い。それでも不思議なことに、少女の表情はほとんど動かず、呼吸も正常なのだ。
 ただの病気じゃなさそうね・・・メグは、少女にケアルの力を送り込んだ。顔にわずかに血の気が戻る。
「これで大丈夫だと思うわ・・・」
 それを見ていたユウ、ジョー、ゼザはほっと安堵のため息をついた。

 ユウたちは、少女の部屋で、ゼザに地図を見せてもらっていた。
「今、わしらがいるのはここあたりじゃ」
 ゼザは一点を指した。そのまま指を南のほうに滑らせると、ひとつの島に到着する。
「唯一沈まなかったと思われる島。ここに、水の神殿と、水の洞窟がある」
「水の洞窟?ということは、この中に水のクリスタルがあるんですか?」
 ユウの問いにゼザは頷き、
「そう思ってもよさそうじゃ。だが、選ばれし者以外は洞窟に足を踏み入れることが出来ないので、それを確認したことはないのじゃよ」
「選ばれし者?」
 ひょっとしておれたちのことかな?とユウが考えたとき、
「大丈夫?」
 少女の様子を見ていたメグが声をあげた。顔を向けると、目を覚ました少女が上体を起こしたところだった。まずゼザが、
「おお、気がついたのか!よかった・・・」
「助けてくれてありがとうございました、おじいさん。そして・・・」
 少女はゼザに深々と頭を下げたあと、ユウたちをじっと見つめた。涼しげな青い瞳で見つめられ、ユウとジョーは思わずドキッとした。メグの瞳の色を深海に例えるなら、こちらは晴れ渡った青天の色だ。
「光の戦士ユウさん、ジョーさん、メグさん・・・」
「ど、どうしておれたちのことを・・・!?」
 少女は微笑んで答えた。
「あなたたちの心から、風と火の力が感じられますから・・・申し遅れました。わたしはエリア・ベネット。水のクリスタルに仕える水の巫女です」
「水の巫女だって?そうか、だからオレたちのことを・・・」
「エリア・・・さん?」
 ユウたちは、目の前の少女を呆然と見つめた。年齢は自分たちとそう変わらないだろうが、気品があって大人びた顔と、まわりに漂わせる神秘的でしっとりした雰囲気が、「巫女」という肩書きにふさわしいような気がする。白い服の胸にとめた青いブローチが印象的だった。
「教えてくれ。水のクリスタルはどうなったんだ?なぜ大陸は沈んだ?」
 ユウの問いに、彼女――エリアは答えた。
「土のクリスタルのことはご存知ですよね?操られた土のクリスタルが、あの大地震を起こしたのです。水のクリスタルと大陸は地中に沈み、人々は石にされました。わたしは、水の力のおかげで石化は避けられましたが、その際に体力と精神力をほとんど消耗してしまって・・・水のクリスタルは最後の力で、弱っていたわたしを眠らせました。あなたたちが来たら目が覚めるようにして・・・とにかく、早く神殿に行かなきゃ・・・」
 ベッドを出ようとしたエリアを、メグが止めた。
「まだ寝てなきゃだめよ。ほら、熱だってさがってないし・・・」
「でも、クリスタルを蘇らせないと、大陸や人々がもとに戻らない・・・」
「とにかく、だめなものはだめ!今は、身体を治すことだけを考えて。でないと、クリスタルの前にあなたが倒れちゃうわよ。無茶はしないで」
 メグの勢いに圧倒されたのか、エリアは頷いた・・・というより、頷かされた。ユウとジョーは、そのやり取りを見ながら、小声で話した。
「人のこと言えないよなあ・・・」
「誰かさんに似たんだよ」
 外は、すっかり闇の衣に包まれていた。星ひとつない夜だった――。

 二日もすると、エリアの熱はすっかりさがった。エリアはすぐにでも神殿に行きたそうな顔をしていたが、用心のためにもう一日様子を見ることにした。難破船を飛空艇で曳航して、水の神殿がある島のそばまで来ていたので、行こうと思えばいつでも行ける状態だった。

 八月十九日、夜。メグは夜風に当たりながら、船の甲板から島を見ていた。月光に照らされた水の神殿がかすかに光る。
「いよいよ明日かあ・・・」
 メグは呟きながら、カナーンで買った包みを取り出した。ジョーにプレゼントする腕輪だ。
 世界が大変なことになっているのに、誕生日だのお祝いだのと浮かれているのはいささか不謹慎かもしれないが、それでも縁起担ぎの意味を含め、何かやっておきたかったのだ。
「こんばんは、メグさん」
 声のしたほうに顔を向けると、エリアが微笑んで立っていた。弾みで手を滑らせ、包みを落としてしまう。メグは急いで拾い上げた。
「あ、ごめんなさい!」
「いいえ、大丈夫だから気にしないで。・・・明日はいい天気になりそうね」
 メグが、美しい星空を見上げながら言った。夜空をじっくり見るのは久しぶりだ。
「そうですね・・・星がこんなに綺麗なものだったなんて、初めて知りました」
「えっ?」
「わたし・・・夜は外に出たことがなかったんです。神殿の決まりで・・・それ以外にも、色々規制があります。異性と関わってはならないとか、暖をとる以外にむやみに火に近付いてはならないとか・・・」
「全部破っちゃったわね、その決まり」
 メグが言った。飛空艇で夕食の支度をしたとき、エリアに鍋の番を頼んだのだ。
「そうですね」
それでもエリアはどこか楽しそうに言った。どこにでもいる普通の少女の表情がそこにあった。
「エリアさん、大陸がもとに戻ったら食事会を開こうと思ってるの。ちょっとしたお祝いの意味で・・・実は明日、ジョーの誕生日なの。本人は言われるまで気づかないんだけどね。しかも毎年毎年・・・だから、今年もちゃんと気づかせようと思って・・・」
 エリアはメグを見て、包みの中身とジョーに対する気持ちを知った。
「そうなんですか。わかりました、絶対言わないようにしますね。その代わりといってはなんですが、わたしにお料理を教えていただけませんか?」
「うん、いいわ。といっても、わたしよりジョーのほうが適任かもしれないけど・・・約束するわ!」
 メグとエリアは顔を合わせて笑いあった。
「明日早いから、もう寝たほうがいいわね。お休みなさい」
「お休みなさい」
 ふたりは船室に帰ろうとして・・・メグは足を止めた。
「あ、あの、エリアさん!」
「どうしたんですか?」
 呼ばれて振り返ったエリアは、怪訝そうに訊いた。夜風に黒髪がなびく。
「あ、ごめん、なんでもないわ・・・明日はお互い頑張りましょう」
 メグは慌ててごまかしたが、一瞬胸に去来した痛みを忘れることは出来なかった。今のは一体・・・?

 翌朝。難破船の前で、ユウたちはゼザに礼と別れを告げて水の神殿に向かった。
 ユウたちの姿が完全に見えなくなると、ゼザは船に戻った。
「くっ・・・くくくく・・・バカなヤツらめ!」
 さもおかしそうに笑い声をたてると、その身体がみるみるうちに変化し、ヒゲ面の男に姿を変えた。グツコーだった。
 そして、ゼザの船室の隅にあった樽の中には、血まみれで手足が不自然に折り曲げられた死体が詰めこまれていた。本物のゼザの死体だった。