目の前の闇が、段々晴れていく。
 ふと、木の香りが鼻を突き、首筋がチクリと痛んだ。それがきっかけで、ユウの意識がすーっと戻った。
「気がついたか?」
 闇になれてきた目で声のしたほうを見ると、かたわらにジョーが座っていた。起き上がると、首筋に痛みが走った。
手をやってみると、何かが刺さっている。思い切って抜いてみると、痛みの正体は血糸を引いた針だった。麻酔薬のにおいがかすかにする。
「オレもそいつにやられたんだ。多分、メグもだな・・・」
 この台詞を聞いて、ユウは初めてメグの姿が見えないことと、自分の剣が取り上げられていることに気づいた。
「メグはどこだ!?」
「――おそらく、別の部屋だろう」
 答えたのはジョーではなかった。その言葉は、同じ部屋に閉じ込められている初老の男性から発せられたものだった。ほかにも、ユウたちと同世代くらいの少年と兵士がひとりうずくまっている。男性と少年を見て、ユウとジョーは驚きを隠せなかった。
「ミリーブじゃないか!それに、王さまも・・・!」
 少年はアーガス王子ミリーブ、男性はアーガス王だった。かなり前から幽閉されていたらしく、上等な布地で出来た服はあちこち破れ、汚れている。心労のあまりか、顔は窶れ生気は抜けてしまっている。ユウたちの記憶の中にある王の面影はもはやそこにはなかった。ミリーブはバサバサになった頭をかいて、
「まさか、こんなところで再会するとはな・・・こんな状況じゃなかったら近況報告でもするところだが・・・」
「いや、もう十分近況はわかってるから。ところで、ここは長老の木の中なのか?」
 ユウが、砂塵が溜まった床や、隙間から茶色い風が流れ込んでくる木の壁を見まわしながら訊いた。王はうなずき、
「ああ。ハインに取り付いた魔物は、わしらやトックルの人々をここに閉じ込めてしまったのじゃ。トックルを襲ったのは、兵に化けた魔物どもじゃよ」
「一応、男と女は別々の部屋に入れられているらしい。だから、メグもどこかの部屋にいるはずだ」
「そうか・・・せめて、どこにいるのかがわかればなあ・・・」
「それ以前に、おれたちがここから出るのが先決だ。どこかに手がかりはないかな?」
 ユウが壁を調べようとしたときだった。兵士のうちのひとりが、突然剣を抜いてユウに襲い掛かってきた。
「うわあっ!?」
 ユウが慌てて身をかわすと同時にジョーが兵士に殴りかかった。兵士が吹っ飛ぶと、ユウとミリーブとで押さえ込む。
「貴様、気が触れたか!?」
 ミリーブが叫ぶと、兵士は不気味な笑い声をあげた。たじろぐユウたちを払いのけると、兵士の身体から翼と角がはえ、一瞬にして悪魔デーモンに変身した。
「まさか兵士に化けていたとはな!」
 ユウとジョーはデーモンと対峙した。だが、剣を持っていないぶん、ユウの攻撃力はいつもにくらべてはるかに低い。と、
「ユウ、これを使え!」
 ミリーブがユウに、何かを放り投げてきた。受け取ってみると、それはひとふりの剣だった。
「助かる!」
 剣をじっくり見る間もなく、ユウはジョーに加勢した。剣先がデーモンの角を斬り飛ばすと、魔物は怒りに身体を震わせながらユウに襲いかかってきた。そのとき、
「エアロ!」
 ユウの背後から飛び出してきた風の塊が、デーモンを直撃した。そのすきにジョーがまわし蹴りを頭にくらわせ、ユウの剣が魔物の胸を貫いた。
「ギャアアッ!」
 目障りな悲鳴を残して、魔物は消滅した。ユウとジョーが、エアロの魔法が飛んできた方向に目をやると、
「ふたりとも、大丈夫?」
 そこにはいつの間にかメグが立っていたのだ。魔法のように現れた、としか言いようがなかった。
「メグ!どうしてここに!?」
 メグは無言で壁を指した。見てみると、壁と床の間に、片方の拳がすっぽり入るくらいの隙間があったのだ。
「もしかして、ここから来たのか?以前から幼児体型だと思っていたが、まさかここまでとは・・・」
「そうか、ミニマムの魔法で抜け出してきたんだな?」
 ジョーの耳を思い切り引っ張って黙らせ、ユウは隙間をのぞきこんだ。メグはうなずき、
「中の構造も確かめておいたわ。ここから外の通路に出られるみたいよ」
「よし、じゃあ行くか!・・・と、その前に・・・」
 ユウは、突然の出来事に呆然としているミリーブに、先ほどの剣を差し出した。
「これ返すよ、ありがとう」
 その声にわれに返ったミリーブは、首を振った。
「いや、おまえが持っていったほうがいい。こんなところにあったって意味ないからな。その代わり、大事に使えよ?一応、城の宝剣なんだからな」
「え・・・?ああっ!」
 言われてみて、ユウは初めて気がついた。今自分が持っているのは、アーガス王のみが持つことを許される剣、キングスソードに他ならなかったからだ。
「な、なんでこれがここに?城に行ったときに見かけたんだが・・・」
「ああ、あれは盗難防止用のレプリカだ。本物は打ち出の小槌で小さくして、こっそり持ってきていたんだ。いつか、必要になるときが来るんじゃないかと思ってな」
「ミリーブ・・・わかった、使わせてもらうよ」
 ユウはキングスソードを腰に差した。
「しかし・・・ハインは厄介だぞ。ヤツは自分の弱点を変えることが出来る。それに、防御力も並大抵ではないぞ」
 王の言葉に、ユウは妖精の森で聞いたことを思い出した。
「心配ないわ。わたし、今学者だから、弱点を見つけることが出来る。そこはまかせて」
「わかった。おいジョー、おまえは黒魔道師になれ」
 ジョーは嫌々ながらも承諾した。
「よし、行こう!」
「頼む、光の戦士たちよ。ハインを救ってくれ。最悪の事態は覚悟できてるが・・・」
 王はそう言って、顔を伏せた。
「わかっています・・・そのことは・・」
 メグがミニマムを唱えると、あっという間に三人の身体が縮んだ。
「・・・行ってくるよ」
 三人の姿が隙間の中に消えると、父子はユウたちの無事を祈った。
 今の自分たちには、それしかできなかった。

 三人は、部屋からの脱出に成功すると、ハインがいる部屋に向かうべく、枝が複雑に絡まり合う通路を足早に歩いていった。
 襲いかかってくる無数の魔物たちを片っ端から退けながら、先へ進んでいった。三人は憂鬱でたまらなかった。ハインと戦うことを考えると、気が重くなる。
 五階への階段をのぼり終えたときだった。異様な臭いが鼻を突いて、三人は吐き気を覚えた。腐敗臭だ。
「うえっ・・・」
 鼻と口を押さえながら、三人はひとつの扉の前で立ち止まった。腐敗臭は、ここから流れ込んでくるのだ。
 扉を開けると、見覚えのあるひとりの男が立っていた。
 派手な色合いの衣装を纏い、羽根帽子をかぶり、右手の指には、赤い石の付いた大きな指輪を填めている。その顔はハインに間違いなかった。
「来たな、光の戦士よ」
 ハインはニヤリとした。
「久しいな・・・会えてうれしいよ」
「ふざけるな!」
 ジョーが叫んだ。
「お前はハインなんかじゃない!ハインの身体と心を奪った魔物だ!とっとと出ていけ!」
「威勢がいいな。余は、この身体が気に入っているのだ。出ていったりはしない」
「ハインさんを返して!」
 メグが叫んだ。
「返せ、だと?それは無理だ。なぜなら・・・」
 と、ハインが言ったとき、やおら彼の顔が溶け始めた。手も、足も。どろりと濁った液体が床に滴り、さらにひどい腐敗臭が漂った。やがてハインの顔はただの骸骨になった。
「うっ・・・!」
 三人は顔を伏せた。目が痛んで、涙がぼろぼろ出てきた。
「ハインはもう死んでいるからだ。余がこの身体を乗っ取ったときからな!さあかかってこい、闇の力、見せてやるわ!」
 ハインの両手から炎の渦が巻き起こり、ユウたちに襲い掛かった。