大渦の消えた海峡を渡り、外海に出たユウたちは、炎の洞窟に向かう前に、浮遊大陸の東に位置するギサールの村に行くことにした。
ギサールは、農業と羊の放牧で暮らしているのどかな村だ。ここに行ってみようと言い出したのは、珍しいことにユウだった。
「わたしたちは炎のクリスタルのところに行かなきゃならないのよ?なんでそこに行かなきゃいけないの?」
最初メグは反対したが、
「カズスも、サスーンも、トックルも、おれたちが行ったところ、必ずといっていいほど魔物に何かの被害を受けていた。異常がないか確かめる意味で、ギサールの様子を見ておきたいんだ」
という言葉にジョーも賛同し、二対一では勝ち目がないと判断したのか、ユウの意見に納得したのかは知らないが、メグも了承した。
「・・・で?本当のところはどうなんだ?」
夕食の支度のためにメグが台所に立つと、ジョーはユウに近づき、メグに聞こえないように小声で聞いた。
「別に。単なる休息みたいなものだ。たまには何も考えずにのんびりしないと、息が詰まっちまいそうだよ」
「なるほど。でもおまえからそんなことを言うなんて・・・天変地異の前触れか?これも闇の力の影響なのか?だったら大変だ」
訝しがるジョーに、ユウはお茶を一口すすってからいたずらっぽい笑みを見せた。
「正直に言うと、メグのためだ。あいつ、デッシュと別れてから変わったような気がするんだ。とにかく、先へ先へと急ごうとしているように見える」
「焦ってるってことか?なんでまた?」
「さあ・・・おれの推測だが、自分たちの旅が早く終われば、それだけデッシュの仕事も早く終わって、サリーナさんを迎えに行けるとでも思ってるのかもな。あいつ、自分のことのようにデッシュを心配していたし・・・」
ジョーはわけがわからないというように頭をかいて、
「うーん・・・オレたちの旅とデッシュの仕事はまったく別だと思うけどな・・・。それにしても、なんでメグがデッシュを気にかけるんだ?あ、もしかしてあいつに惚れてたとか!?」
ジョーの言葉に、ユウは飲みかけていたお茶で思い切りむせ返ってしまった。しばし咳き込んだあと、
「そ、それは違うと思うぞ!自分と同じで記憶をなくしていたから、単に他人に思えなかっただけじゃないのか!」
ユウは半ばムキになって言い返しながらも、心の隅では、なんでおれがムキになる必要があるんだ?と思っていた。
こいつ、普段鈍いくせに変なところで鋭くなるんだから・・・。
船は夏の海を順調に滑り、やがて一行は入り江に船をつけ、陸に降り立った。三十分ほど歩けば目指すギサールの街に着く予定だった。
そろそろ来る。あれがほしい・・・。
「た、助けてくれ!」
船を降りて、谷沿いに歩いていたユウたちのもとに、突然革袋をしょった男性が転がり込んできた。
「どうしたんですか!?」
尋ねるメグに、
「ま、魔物がっ!」
男性の指す方向に目をやると、リザードマンを筆頭に、魔物の大群が四人に向かって飛び込んできた。
「ちっ・・・」
男性をかばいつつ、ユウは剣を鞘から抜いた。メグも魔法の詠唱を始める。
「こんなときに!」
ユウの剣が、まずリザードマンの心臓を貫いた。メデューサ戦で刃が欠けてしまい、斬るには鋭さが足りないので、今の攻撃は、もっぱら突き専門になっていた。
「ああ!まったくだぜ!」
とどめをさしたグリフォンを谷底に蹴り落としながらジョーが毒づいた。
三人は必死に応戦した。剣がひらめき、拳が宙を舞い、魔法が直撃する。それをひたすら繰り返すうちに、三つの力に敵は確実にその数を減らしていく。見る間に三人のまわりに魔物の屍が積みかさねられていった。
「よっしゃ、もう少しだ・・・!」
と、フライヤーをエアロで倒したメグに、最後の一匹、殺人蜂ホーネットが肉薄した。
「メグ、危ないっ!」
「この野郎っ!」
ジョーはホーネットに飛び蹴りを食らわせた。吹っ飛んできた魔物に、メグが杖を構えてとどめをさそうとしたときだった。メグは首筋に鋭い痛みを感じて、
「うっ・・・!」
大きくよろけた。そのまま谷に向かって倒れそうになる。
「メグッ!」
ジョーはとっさに手を伸ばし、メグの身体をつかんでいた。同時に、ふたりの足場が一気に崩れる。
「ジョー、メグッ!」
「うわあああ!」
「きゃああっ!」
ジョーとメグの身体は、そのまま谷をゴロゴロと転がり落ち、中腹で引っ掛かるように止まった。ユウはホーネットにとどめをさすと、滑り降りるように谷を降り、折り重なるように倒れているふたりの許に駆け寄った。
「大丈夫か!?」
「うっ・・・いて・・・」
ジョーは頭を押さえながら起き上がった。無数の擦過傷を負っているが、深い傷ではないようだ。だが、メグは目を閉じたまま何の反応も示さなかった。
「メグ、しっかりしろ!」
「待てっ!」
ユウはメグを抱え起こそうとするジョーを大声で制した。
「むやみに動かすな!頭打ってるかもしれないんだぞ!」
「うっ・・・」
ジョーはメグを見た。腕と右足首が真っ赤に腫れ上がっているほか、唇が切れ、額や頬の辺りにも血が滲んでいる。首に青黒い小さな傷があり、顔が真っ青で小刻みに震えているのを見ると、ホーネットの毒に侵されているのだろうか。
「じゃあどうすりゃいいんだよ!」
ジョーが怒鳴ったときだった。いつの間にか谷を降りてきていた男が、ジョーに言った。
「落ち着いて。私はギサールで診療所をやっている者だ。ああ、これを持っていてくれないか」
言うなり、ユウにしょっていた革袋を預けた。中に詰まっている新芽の薬草の匂いが鼻をついた。
男は早速メグの応急手当てを始めた。
「頭や骨に異常はないが・・・毒にやられたな」
手当てが終わると、ユウがメグを背負った。ジョーも立ち上がろうとして、
「うっ・・・!」
うめき声をあげ、その場にしゃがみこんだ。気づいたユウが無理やり靴を脱がせてみると、左の足首が腫れ上がっていた。
「そういうことはさっさと言うんだ!ほら、捕まれ」
ユウは、メグをおぶいつつジョーにも肩を貸して谷を登った。上に到着してからは、自分の剣を杖代わりに貸すことにし、そのまま一行はギサールに向かった。
道すがら男はダコタと名乗り、薬草を摘みに行った帰りに襲われたのだと説明した。
「毒も消えたし、手足も打ち身や捻挫程度だから、一週間もすればよくなる。顔の傷も残らないよ」
メグは診療所二階の部屋のベッドに寝かされていた。摘みたての薬草の煎じ薬を飲ませた後、メグの額に冷水に浸した布を載せながらダコタが診察の結果を言った。
それを聞いたユウと、松葉杖をついたジョーはほっとして頭を下げた。
「ありがとうございました」
「いや、礼を言わねばならないのは私だよ。危ないところを助けてもらったんだからね」
二十代後半とみられる若い医師は、そう言って手をひらひらと振って見せた。と、階下のほうで、
「先生?いらっしゃいますかー?」
とダコタを呼ぶ声がした。
「あ・・・客人だ。私は失礼させてもらうよ」
ダコタは急ぎ部屋を出て行った。そして、
「ミアラさんじゃないか。どうしたんですか?」
「うちの亭主が風邪をこじらせちゃって。薬を貰いに来たんだよ」
「そうですか。じゃ調合するからそこで待っててください」
ユウとジョーは何気なくその会話を聞いていたが、ダコタが調合室に入る音がすると、
「ジョー、おれたちも下へ降りないか?メグも眠ったみたいだし」
ユウが言った。薬が効いてきたのか、メグの寝息も先ほどと比べると大分穏やかになっている。
階段を下りていくと、廊下の長椅子に座っていた中年の女性――ミアラが、
「あんたたち、旅の人かい?」
と尋ねてきた。
「あ、はい。仲間が魔物に襲われて・・・」
「いや、私が助けてもらったんですよ。彼らがいなかったら私は今頃魔物の餌だ」
ダコタが扉越しに答えた。
「あら、じゃああんたたち、命の恩人なんだね」
「い、いや、それほどでも・・・」
「先生がいなくなったら、ここにとっては一大事だからね。なんせ腕はいいし、人当たりはいいし」
ミアラはここで声を潜めて、
「これで独りだったらねえ。うちの娘紹介するんだけど」
「えっ、結婚してるのか?」
ジョーも何故か声を潜めて訊いた。
「ああ、リゼットさんっていうんだけどね。病気がちで寝たり起きたりの繰り返し。それでも、具合がいいときはふたりで散歩しているのをよく見るよ」
と、薬のビンを持ったダコタが出てきた。
「はい。一日三回、水かお湯に混ぜて飲ませて下さい。三日分入れておきましたから」
「ありがとう。奥さんはどう?」
「おかげさまで。しばらくすればまた出歩けると思います」
「そりゃよかったね。じゃ、これ薬代」
ミアラが帰ると、ダコタはユウたちを振り返り、
「・・・きみたちに頼みがあるんだ」
「え?」
ダコタの真剣な様子に、ふたりの表情が思わず引き締まった。
「実はね・・・」
「――で、頼みってこれですか」
ユウが、ほうきで調合室の床を掃きながら言った。布で鼻と口を覆いながら本棚の埃を拭きとっていたジョーも、無言でダコタに視線を投げやる。
「いや、妻が寝込んでいるから、なかなか家のことに手がまわらなくて・・・」
ダコタは、薬ビンの整理をしながら弁解してみせる。
床には、あっという間に埃が山を作った。バケツの水も、たちまちのうちに黒くなるので、その都度ユウが外の井戸に汲みにいかなくてはならなかった。その間にも患者はどんどん訪ねてくるので、ダコタはその対応に追われていた。
「すまないね。その代わりといってはなんだが薬代はいらないよ。あの娘が治るまでうちにいるといい。もちろん、ただでね」
「ま、それぐらいは当然だな」
ジョーがボソッと言った。
――日がとっぷりと暮れて、調合室、台所、居間の掃除を終える頃には、ユウとジョーはへとへとになっていた。
「おい・・・今日はこれ位にして、続きは明日にしねえか・・・?」
「そうだな・・・」
そう言ったきり、しばらくの間ふたりは言葉ひとつ交わさず居間のソファーに倒れこんでいた。
そんなときでも、ジョーはぼんやりと、戦士に休息のときはないというのは本当だったな・・・と考えていた。
メグは上体を起こし、包帯が巻かれた自分の両腕をじっと見つめていた。頬と首には絆創膏が貼られている。足を少しでも動かそうとすると、激痛が走る。
「いたっ・・・」
治るのに一週間かかると、ダコタという医者から聞かされた。予定は大幅に狂った。こんなときに、なんてだらしないんだろう。
メグの目頭が熱くなってきた。
そのとき、コツ、コツという音が廊下から聞こえたと思うと部屋の扉が開いて、鉢とカップがのったお盆を持ったジョーが入ってきた。松葉杖をついているのが真っ先に目に入り、
「その足・・・!」
「ああ、これか。大したことはねえよ。杖が大げさなだけだが、あの医者からうるさく言われてな」
「でも・・・」
ジョーはメグの言葉を遮るように、
「スープ作ったんだけど・・・食うか?」
ぶっきらぼうに差し出された鉢を、メグは受け取った。トウモロコシをたっぷりつぶして作った、冷たいスープだった。ひとくち啜って、
「・・・おいしい」
「当然だろ、このオレが作ったんだから。食ったら、この薬湯を飲んで寝ろ」
そして、カップをベッド脇のテーブルに置き、そのまま出て行こうとした。メグは慌てて、
「ま、待ってジョー!あのね・・・」
「余計なことは考えないでゆっくり休むことだな」
ジョーは振り返りもせず部屋を出た。
「うん、ありがとう・・・」
「もうちょっとの辛抱だから・・・」
「ええ・・・待ち遠しいわ・・・」
ユウが廊下を歩いていると、奥の部屋からボソボソ話す声が聞こえてきた。男性の声と、女性の声。
「ダコタさん?」
ユウが部屋の扉に向かって声をかけると、扉が半開きになってダコタが顔を覗かせた。
「あ、ああ、ユウくんか。――じゃあ、おやすみ」
部屋の中に向かって話しかけると、ダコタは薬ビンを持って出てきた。
「奥さんですか?」
「ああ。今眠ったところだよ。あと一息ってところだね」
「はあ・・・そうですか」
「さ、居間に行こう。お茶を入れるよ」
ダコタは歩き出した。ユウもそれに習おうとしたとき、ほんのわずかだが埃臭さに混じって、奇妙な臭いを感じた。この臭い、どこかで――。
「ん――?」
「どうしたんだい?」
「い、いや――なんでもないです」
ユウは急ぎダコタの後に続いた。
「さ、どうぞ!」
ダコタは席に着いたユウとジョーに、淹れたてのお茶を出した。
「この街の特産品だ。疲労回復にいいんだよ」
ジョーがまずカップを取り上げ、
「へえ、変わった香りだな。でも、悪かねえな。――うまいや」
「ゆっくりしていてくれ。私はちょっと往診に行ってくる」
鞄を手に、ダコタが部屋を出て行く音がしても、ユウは顎に拳をあて、何事か考え込んでいた。
「おいユウ、どうしたんだよ」
ジョーに肩を揺すられ、
「うん・・・ちょっと気になることがあって・・・」
「気になること?なんだよ、それ」
「それがわからないんだよ」
「また出た。考えすぎるの、おまえの悪い癖だぞ。・・・お茶、飲んだらどうだ?結構いけるぜ、これ」
「ああ・・・」
ユウはカップを取り上げ、湯気の立ちのぼる琥珀色の液体を数回吹くと、そっと啜った。
「あ、うまい・・・」
「うん・・・なんだか、いい気分になってきた・・・」
再びお茶を口に含んで――ユウの手がピタリと止まった。お茶の香気と柔らかな風味の中に僅かに混じる、不快な苦味と臭気。
「!?」
ユウは反射的に口からお茶を吐き出した。
ガシャン!鋭い音に、ユウは弾かれたように横を向いた。ジョーがテーブルに突っ伏している。床には、カップの残骸とお茶が散らばっていた。
「おい、ジョー!」
彼の肩を揺すった瞬間、後頭部を思い切り殴られたかのような睡魔に襲われた。カップが手から滑り落ちる。
「く・・・そ・・・」。
ユウは頭を振って必死に立ち上がり、歩き出そうとしたが、二、三歩踏み出したところで床に膝をついた。手足がしびれ、身体が言うことをきかない。目の前の景色がぐらぐらと波打つ。意識が朦朧としてくる。
だめ・・・だ・・・。
ユウの意識は、完全に闇と化した。
その人物は、居間を覗いてユウとジョーが完全に眠っているのを確かめると、薄笑いを浮かべて扉を閉じた。
ここまでは計画通りだ。
そしてランプ片手に、階段を上がり始めた。
扉の開く音が、メグの意識の片隅を刺激した。
「ん・・・?」
ぼやけた視界に入ってきたのはひどく冷たく光る両目、鼻をついたのは強い薬草の匂いだった。
メグは一瞬、身動きできなかった。
「あなたは・・・」
言いかけたメグの口を、大きな手がふさいだ。必死に抵抗しようとしたが、みぞおちに拳が食い込み、
「うっ・・・」
身体を折ったメグはその場に倒れこんだ。
手の主は、メグの身体を軽々と抱えあげると、部屋を出て行った。その表情は、計画の成功を確信したかのような自信に満ち溢れていた。
