「なぜ勝手な真似をした!?」
 どことも知れぬ闇の中で、無数の蛇が魔力によって合体した魔物――メデューサは、黒い水晶玉を見つめているヘキナを問い詰めていた。
「あれは私の部下だ!ヤツのことは私に任せておけばよかったものを・・・!」
 ヘキナは顔を上げ、氷のように冷たい赤い瞳でメデューサをちらりと見、また視線を水晶玉に戻した。その一瞬だけで、メデューサの背筋に悪寒が走った。
「どちらにしろ、始末していたのだろう?そなたの手間を省いてやったのだから、感謝してほしいくらいだ」
「そういう問題じゃない!必要以上の干渉はするなと言っているのだ!」
 メデューサは感情に任せてヘキナをなじったが、当人は動じる様子もなく、
「メデューサ。私はこれからザンデさまと通信しなければならない。邪魔だから消えてくれないか?」
 水晶玉から目を離さずに言った。
「ううっ・・・くっ・・・」
 メデューサは怒りで身体を激しく震わせていたが、勢いよく身を翻すと姿を消した。次の瞬間、メデューサは岬の先端にある、巨大な塔の前に立っていた。
 メデューサはヘキナを嫌っていた。同性ということもあったが、どこからともなく現われ、実力を見せつけられた。それだけでも気に食わないが、ヘキナを連れてきたのが、自分たちが崇敬してやまない魔王ザンデだったということも嫌悪感と妬みを増幅させた。今ではヘキナは、ザンデ直属の部下――つまり、立場的にはザンデのすぐ下なのだ。
「あいつめ・・・見ておれよ・・・!」
 メデューサは再び姿を消した。

 大陸が、爆発するように燃え上がった。塔から突然噴き出した巨大な火柱は、天を貫くのではないかと思うくらい高くあがり、轟音を上げて燃え広がった。逃げるすべもなく、火に飲み込まれる者、水を求めて海に飛び込み溺れ死ぬ者、大地を切り裂く地割れに飲み込まれる者・・・火柱は、わずかな生命のかけらまで食い尽くすかのように消えることはなかった。
 炎の中に落ちてゆく人々の中に、知っている顔があった。サリーナだった。
「助けて!」
「サリーナ!」
捕まえようと、必死に手を伸ばす。指先と指先が一瞬触れ合った――が、サリーナの身体は風に吹かれて落ちる木の葉のように空を漂い、炎の海に消えていった・・・。 

「サリーナ!」
 デッシュは、自分の声で目を覚まし、ガバッと起き上がった。我に返ったようにあたりを見まわしてみると、すっかり見慣れてしまったエンタープライズの船室だ。
 汗をぬぐうと、今見た夢のことを考えた。塔から炎が噴き出し、大陸を焼き尽くす。似たような光景を、どこかで見たことがあるような気がした。いつのことかはっきりしない。だが、単なる夢で済ませるわけにはいかないような、そんな気がした。何より気になるのは、
「サリーナ・・・」
 最愛の女性のことだった。記憶を失ってから最初に出会った人間だが、なぜか前にも会ったことがあるような気がしていた。そしていつしか、彼女を護りたい――そんな思いさえ抱いていたのだ。だから、自分はまた旅に出た。なぜかわからないが、そうすることでサリーナの身を護れると思ったからだ。それが自分の使命だとも感じていた。
 今度こそ、果たす・・・。
 そこまで考えて、デッシュは瞬きを繰り返した。今度こそ、というのはどういうことだ?
「本当変なヤツだな、おれって・・・」
 デッシュは頭を振ると、外に出て行った。
 黄金色の満月が輝き、星が空を飾り立てる。出航してからは、雨や波に悩まされることもなく順調に船が進んでいた。時々魔物に襲われることもあったが、水系の魔物は雷に弱いので、サンダーの魔法で一網打尽だった。
 デッシュが靴音を鳴らしながら甲板に行くと、既に先客がいた。メグが手すりにもたれながら、集中しているかのように目をつぶっているのだ。声をかけづらかったので、その場に立ちつくしていたが、メグはすぐに目を開いた。
「あら、どうしたの?」
「ちょっと目が覚めてな。そういうメグちゃんは?」
 デッシュが訊くと、メグは一冊の本を見せた。
「わたしも眠れなくて、部屋で魔法書を読んでいたの。サイトロの魔法を覚えたから、すぐにでも試してみたくなって」
「サイトロ?そりゃなんだい?」
「頭の中に地図が浮かんで、今自分がどこにいるかもわかるの。この分だと、明日のお昼にはトックルにつきそうね」
「へええ・・・」
 デッシュは感嘆しながら、目の前にいる少女を見た。魔法書の内容をすべて暗記し、すぐに習得して自分のものにしまう。本人いわく、「内容が頭の中にすいすい入っていって絶対に忘れないの。魔法だけだけどね」ということらしい。
 トーザスでジョーを特訓していたときも同じことを考えていたが、見た目はまるきり子供で、とても十四歳には見えないのに常人離れした力を持っている。月並みな言い方だが、「魔法の天才」としか形容しようがない。彼女のどこに、そんな力が潜んでいるのだろうか・・・。
「あんまり根詰めるなよ。いくら魔法の勉強をしても、それで疲れてぶっ倒れちまったら意味ないからな」
「ううん、大丈夫。魔法を上達させることでユウとジョーの役に立てるって思えたら、疲れなんて感じない。わたし、もっと強くなりたいから・・・」
 メグは唇の端をあげて微笑んでみせた。強くなれるのがうれしくてたまらない、といったような表情だった。
「おまえ、随分強くなることにこだわっているようだが・・・何かあったのか?」
 デッシュの率直な質問に、メグは少し驚いたような顔をしたが、やがて理由を話し始めた。
「わたしね・・・五歳くらいのときにウルに来たの・・・というより、外で倒れていたところを助けられたんだけど、目が覚めたときにはあなたと一緒で、記憶をすべてなくしていたの。本当に空白の状態だったわ・・・」
 自分と同じ記憶喪失と聞いて、デッシュは急に親近感のようなものを感じた。
「それからわたしはメグという名前で、ウルで暮らすようになったの。でも、まわりは知らない人たちばかりだし、村のことも何も分らない。とにかく不安で、寂しくて、恐かった・・・おじいさんやお母さん、ユウとジョーはわたしに優しくしてくれたけど、それでもどこか疎外感みたいなものを感じていて・・・外に出れば、村の人たちの目が気になって・・・よくいじめられたりもしたわ」
 デッシュは黙ったままメグの話を聞いていた。あっさりとカナーンにとけこめてしまった自分とはまるっきり対照的だった。
「そんなとき、ユウとジョーはいつでも来てくれて・・・わたしを助けてくれたの。それで、一度『なんでいつも助けてくれるの?』って訊いたの。ふたりはね・・・」 

「そりゃ、あいつらが許せないからに決まってんじゃん」
 ジョーはきっぱりと答えた。ユウもうなずきながら、
「ぼくらもあいつらにはよくいじめられたんだ、『親なし子』ってね。本当、嫌な奴らだよ。そんなの関係ないのにさ・・・」
「えっ?おかあさんがふたりのおかあさんなんでしょ?」
 メグはユウの意外な台詞に戸惑った。今まで、ユウとジョーは兄弟だと思っていたのだ。
「違う。オレは村の外で拾われたんだ」
「ぼくはよそから引き取られたらしいよ」
「そうだったんだ・・・」
 ふたりも自分と同じ孤児だったと知った瞬間、メグの中にあった疎外感が急に薄れてきたような気がした。
「だから、あいつらがいじめるのやめるまで、オレたちはおまえのこと、ずっと助けてやるからな!」
「メグは大事な家族だからね!」
「あ、ありがとう・・・」 

「ふーん、まるでナイトだな」
「うん、そうなの。そのときのわたし、ふたりに頼りきりだったの。だから、今度はわたしが強くなって、ふたりを助ける番だと思ってる」
「そうか・・・で、ユウとジョーのおかげで、いじめられなくなったんだな?」
 この問いに、メグは一瞬言いよどんだが、
「え・・・あ・・・うん、そうね・・・」
 あいまいに肯定した。ふたりの会話が終わるころには、東の空がうっすらと明るくなりかけていた。デッシュは眠気を感じ、
「メグちゃん、おれはもう寝るからな。おやすみ」
「あ、待って」
 船室に戻ろうとしたデッシュを、メグが呼び止めた。

「なんだい?」
「あのね、変なこと訊くけど・・・デッシュは、記憶が全部戻ったほうがいいと思う?」
 デッシュは少し考えて、
本当に変なことだな・・・ああ、思い出したいな。そうすれば身内や友人に再会できるかもしれないし、ちゃんとした気持ちでサリーナを迎えに行けるし。メグちゃんは?」
「わたしは・・・実は思い出せなくてもいいと思ってる。ある日突然記憶が戻ったらどうなるんだろうって考えていると、ちょっと恐くなる。一気に生活環境変わっちゃいそうで・・・ユウやジョーとも離ればなれになってしまうんじゃないかって・・・」
「そう思えるのは、今が幸せって証拠だな」
 と言ってデッシュがメグに笑いかけたとき、隣の船室の扉が開いて、ジョーが顔をのぞかせた。
「あれ、ふたり揃って何してんだ?もしかして深夜デートとか?メグ、デッシュにはサリーナさんがいるんだぜ、横恋慕は感心しないなあ」
 それを聞いて、メグの頬が一気に紅潮した。
「そ、そんなんじゃないわよ!眠れないからちょっと話してただけよ!そうでしょ?」
 同意を求めるようにデッシュのほうを向いたが、彼はなれなれしくメグの肩を抱いて言った。
「いや、実はそうなんだよ。おれにとって一番の彼女はもちろんサリーナだが、メグちゃんみたいな娘も初々しくていいなとか思ってたんだ」
 この瞬間、メグの中で、何かが音をたてて切れた。
 

 何やら大きな物音が聞こえたような気がしてユウが甲板を覗くと、目をまわしたジョーとデッシュが倒れていた。
「・・・?」
 一体何が起こったのかユウは気になったが、強い睡魔には勝てずまた扉を閉めた。
「じょ、冗談で言ったのに・・・」
「だ、だろうな・・・あいつももうちょっと柔軟性を身につけりゃいいのに・・・」
 ジョーとデッシュはそこまで言うと、そのまま意識を失った。そのまま朝まで寝たせいか、やたら背中が痛かった。