「う・・・」
 何か冷たいものが顔に当たったような気がして、ユウは意識を取り戻した。慌ててまわりを見回すと、黄色がかった楕円形の物体がいくつも並んでいた。質感からすると卵のように見えるが、普段見ているそれよりずっと大きい。中には、上部分が割れているものもあった。
 ユウは立ち上がると衣服についた藁をはたきおとし、割れた卵の中を覗き込んでみる。と、まだかえったばかりと思われる小さな竜が眠っていた。ユウは物音を立てぬように離れると、近くに倒れていたジョーとメグを起こした。
「いて・・・おい、ここはどこだ?」
 ユウはここに来るまでの出来事を思い出そうとした。
「あ、そうだ、巨大な竜に襲われたんだ。おそらくヤツの巣に連れて行かれたんだよ。ほら、卵もあるし・・・」
「あの竜は、どうしてわたしたちをこんなところに連れてきたのかしら?」
「・・・まさか、オレたちを餌にするつもりで!?」
「ちょっと・・・縁起でもないこと言わないでよ!」
 本気とも冗談ともとれないジョーの発言にメグが思わず声を荒げたとき、どこかからガサガサと藁が擦れあう音が聞こえてきた。不審に思い音がしたところに目をやると、離れたところの藁がちょうど人間の頭一個分盛り上がっている。
「まさかね・・・」
三人は顔を見合わせた。
ユウがそこに近づいて藁を払いのけると、はたしてそこには、ひとりの男が隠れるように身をひそめていた。
「な、なんだ、人間か・・・びっくりさせんなよ」
「そっちが勝手に驚いただけだろ」
 ジョーは反論しながら、男を見た。年齢は二十歳前半くらい。長身で、暗めの赤髪と透き通るように薄い灰色の瞳。その整った容貌からは、軽率そうな感じがいくぶんあった。サリーナの母親が言っていた、デッシュの外見的特徴に当てはまる。
「おい、こいつは・・・」
 ジョーがユウを肘でつっつくと、ユウもすでに気づいていたらしくうなずいてみせ、
「あんた、デッシュっていうんだろ?」
「ああ、そうだが・・・なんでおまえさんがおれの名を知ってるんだ?もしかして知り合い?それか、おれって意外に有名人で、サインをもらいに会いに来たとか?あ、握手でもいいけどよ」
 ユウはデッシュの言葉を無視して、
「カナーンであんたの話を聞いただけで、今日が初対面だ。サリーナさんが心配している、早く帰ってやったら?」
「そうだよ。あんたのことを心配するあまり、サリーナさんは病人同然になっちまったんだぜ。ちょっとは責任感じないのか?」
 ジョーの言葉に、メグは気恥ずかしそうな様子で顔を伏せた。
「そうか、サリーナが・・・突然出てきちまって悪いことをしたと思ってるよ・・・でもよ、お三人さん。そう簡単には、帰れないんじゃないの?」
「え?」
 そのときだった。あの羽音が聞こえてきたのは。同時に、また空が一瞬にして暗くなる。
「おれもあいつに捕まったんだよ!」
 デッシュが頭上を指して叫んだ。大声を出さないと、はばたきの音で消されて聞こえなくなってしまうからだ。
 呆然とする四人を尻目に、あのときの巨大な竜は地面に降り立った。ルフのそれとは比べものにならない強大な翼は風を切り、大剣のような爪は地面に突き刺さる。
 漆黒の身体。強固な鱗。鋼のような翼。鋭く光る、真っ白な牙。その場にたたずんでいるだけで相手を畏縮させてしまう存在感は、「竜の中の竜」という言葉がまさにぴったりだった。
「うわ・・・」
 茫然とするユウたちに、デッシュが怒鳴りつけた。
「ボーッとしてたらやられちまう!こっちへ来い!早く逃げるんだ!」
 その声に我にかえったユウたちは、牙や爪での攻撃を避けつつ、デッシュのいるところへと駆け出した。だが、竜はユウたちの想像を超える速度であっという間に迫ってくる。爪がすぐ背後まで迫ったとき、最後尾を走っていたメグが振り返り手を突き出した。
「エアロ!」
 風の刃が竜の前足を直撃し、続けて放たれたエアロが顔面を攻撃する。だが、先ほど魔物を全滅させた魔法も、竜には髪の毛ほどの傷もつけることは出来なかった。
 だが不思議なことに、竜はその魔法を受けた瞬間、ぴたりと動きを止めてしまったのだ。その隙にユウたちは、山の淵まで走った。追い詰められたも同然で、もう逃げる場所はないと思われたが、ひとつだけ残っていた。下に逃げるのだ。危険は限りなく大きいが・・・。
「おい、ここからおりるぞ!」
 デッシュの台詞が終わるか終わらないかの間に、ユウたちは崖をおりた。いや、激しく回転しながら転がり落ちていった。岩壁と石ころに身体をえぐられ、激痛に襲われる。それでも悲鳴ひとつあげなかったのは耐えていたからではなく、下手に口を開けると石や土が入りこんでいきそうだったからだ。
 ――これが小説の中だと、落ちる前に大抵助けが来るんだけど・・・そううまくいくわけないわな・・・――
 痛みと衝撃で意識を失う寸前、ユウはそんなことをぼんやりと考えていた。

 先ほどの竜は、山の頂上から落ちた四人を悠然と見下ろしていた。ユウは崖下の木の枝にひっかかり、ジョーはユウのすぐ上で、青々とした木の葉を褥代わりに横たわっている。デッシュは木のそばにある浅い沼に、上半身だけ這い上がったような体勢で倒れている。メグは崖の中間あたりで、大岩に受け止められて転落を免れていた。
 ――仕方ないな――
 竜は降下すると、ユウたちの身体をつかんで地面に寝かせてやった。その直後竜の姿は、風変わりな衣装をまとった若い男のそれに変貌していた。耳が尖っていることを除けば、人間となんら変わりはない。
男の細長い指が空中で奇妙な動きをすると、額につけていた飾りの宝石が光の線を放ち、四人の中に吸い込まれるようにして消えてしまった。邪悪な存在が近づくことが出来ない呪法をかけておいたのだ。
「まったく、崖から飛び降りるとはな・・・それだけの傷で済んだのが奇跡だ。本当は、ここまで送ってやるつもりだったのに・・・少しは自分たちの力をわきまえろ」
 独り言に近い口調で話しかけた後、男はユウたちを順繰りに見た。最前まで冷酷にしか見えなかった双眸に、微かに変化が現れていた。が、それも一瞬のことで、
「また会おう、光の戦士・・・」
 そう言い残すと、男は姿を消した。
  
「う・・・」
 閉じた瞼に当たる陽光を感じ、ユウはそっと目を開けた。傷の痛みはまったく感じない。
「ユウ、大丈夫?」
 そばに座っていたメグが話しかけてきた。少し離れたところでは、ジョーとデッシュが昼食の支度をしている。丸一日近く何も口に入れてなかったことを思い出し、ユウは急に空腹感を感じた。
「よかった、気がついて」
 聞きなれない少年の声に、ユウは起き上がって周囲を見回した。だが、声の主は見当たらない。ユウの脳裏に、メグが声色を使ったのではないかという考えが頭をよぎった。が、それはすぐに否定された。
「ここだよ、ここ!」
 今度は顔を伏せぎみにして地面を見てみると、メグの横に小人の少年が立っているのがわかった。年は十二、三くらいだろうか。
「あ、ぼくはシュルス。この先のトーザスの村から来たんだ。・・・といっても、小人の村だからあなたたちは知らないだろうけど・・・」
「シュルスに助けてもらったの」
 メグとシュルスの話を統合するとシュルスは近くにある泉の水をくみに来た。その泉には癒しの魔法がかけられており、どんな重傷もたちどころに治してしまうらしい。そして水を抱え家路につこうとしたところ、倒れている四人を見つけた。メグに水を飲ませると、それでシュルスがくんだ分は空になってしまったが、目を覚ましたメグが泉の場所を聞き、三人に飲ませる分をくんで来たというわけだった。
「そうか、ありがとう。それで・・・おれたちカナーンに行きたいんだけど、何か知らないか?」
「ごめん、ぼくは知らない。あ、そういえば、トーザスの村には抜け道があるんだ。そこを通ればミラルカ山脈を越えられると聞いたことがある」
「ミラルカ山脈か・・・大分遠回りになりそうだが仕方ないな。その抜け道には入れるのか?」
「村長兼医者のシェルコ先生から許可をもらえば大丈夫だよ。・・・でもそれ以前に、大きい人は村に入れないよ」
 と、シュルスが言ったとき、ジョーとデッシュが出来上がった昼食を持ってきた。メグは何か思い出した様子で、
「デッシュ、カナーンでミニマムの魔法買ったでしょう?まだ持ってる?」
「え?あ、そうだったな」
 デッシュは懐からオーブを取り出してみせた。
「小人じゃないと、トーザスの村には入れないの。だから、それ貸して!使ったらちゃんと返すから」
 メグが頼んでみると、デッシュはオーブを差し出した。
「いや、やるよ。使いこなせない人間が持ってても意味ないからな」
「本当?ありがとう!」
 メグがオーブを受け取ると、昼食が始まった。ユウたちの食事は、さすがにシュルスには大きすぎるので、家から持参してきたパンを食べていた。
 昼食を済ませると、ユウたちはシュルスの案内で、トーザスの村があるという森に向かった。
「ところで、小人の村ってくらいだから小さいんだろ?誰かに踏み潰されたりはしないのか?」
 森の入口で、ジョーはふとわいた疑問をシュルスにぶつけてみた。
「それは大丈夫。トーザスの村は異空間の中にあって、普通の人間には見ることもできないようになってるから。小人になれば、その異空間に入れるようになるんだ。あ、異空間といっても周りの景色は変わらないからね」
「じゃあいくわよ。異世界に住まいたる小人たちよ、その遊戯によって我らを類族に加えよ――ミニマム」
 たちまちのうちに身体が縮み、それと同時に力が抜け、宙に浮いているような不思議な感覚を覚えた。
「巨人の世界に迷い込んだような気分だな」
 ユウが、自分たちが縮んだことによって巨大化した木や草花を見ながら言った。
「密林ってこんな感じなのかな?」
 デッシュが周りの風景を物珍しそうにきょろきょろと見る。
「ぼくらにはこれが当たり前の景色だけどね・・・」
 ユウたちが小人になったことによって、上を見上げずにすんだシュルスは、首の後ろをぐいぐいと揉んだ。こうなってみると、シュルスの身長はかなり高いほうだった。
 一行は、シュルスの案内でトーザスの村までたどりついた。ちなみに五人が村に着くまでに歩いた距離は、人間時でいえば二歩分くらいの長さだった。