ユウとメグを追ってジョーが商店街に行ったときには、すでにふたりの姿は人ごみに紛れてしまっていた。タイムサービスが始まった食料品店や露店の前には人々が群がり、あちこちの食堂の前には行列が出来、酒場からは男たちのにぎやかな声が聞こえてくる。
 商店街に来てはみたものの、とくに必要なものもないので(それ以前に財布を持っていなかった)手持ち無沙汰にあたりをぶらついていた。そして、ふらふらになりながらようやく混雑を抜け出すころには、ジョーの両手はあちこちからもらった小さな菓子袋や果物などでいっぱいになっていた。
「つ、疲れた・・・どこか休める場所は・・・」

 気を取り直して周囲を見ると、すぐ近くに宿屋があった。裏口にまわってみると、大き目の縁台が置かれている。使用頻度は高いらしく、ホコリにまみれた様子もなかった。
「ついてる!」
 ジョーはホッとしたように縁台に腰をおろすと、早速果物を食べ始めた。今まで見たことのないものだったが、意外にいける。と、裏口の扉が勢いよく開き、寝間着姿の若い女性が飛び出してきた。
「デッシュさま!?」
 嬉々とした女性の表情が、ジョーを見たとたん落胆の表情に変わった。
「デッシュさまじゃ・・・ない・・・今日もあの人は帰ってこなかった・・・」
 涙を流して独り言のように呟くなり、女性は糸が切れた操り人形のようにまっさかさまに倒れこんだ。地面に落ちる寸前でジョーが抱きとめる。
「おい、どうしたんだよ、しっかりしろ!」
 ジョーの声が聞こえたのか、裏口から今度は中年女性が飛び出してきた。女性と顔立ちが似ているところを見ると、彼女の母親と思われる。
「サリーナ!またあんたは・・・」
 と言いかけて、ジョーを見た。
「ごめんね、うちの娘に変なこと言われたんじゃない?」
「いや、それは全然構わないが・・・それより、早く休ませたほうがいいんじゃないか?これも何かの縁だ、部屋まで連れて行くぜ」
 ジョーはそう言って、サリーナと呼ばれた女性を軽々と抱えあげた。
「すまないね・・・」
「いや、力仕事には慣れてるから」
 ジョーは、サリーナの母親のあとをついて宿の中に入っていった。
 ちなみにジョーは気づかなかったが、倒れたサリーナを抱きとめている光景を、彼を探しに来たメグが見てしまっていた。
「ジョー・・・!」
 さらに悪いことにメグの目には、まるでジョーとサリーナが抱き合っているように映ってしまったのだ。
 メグは目を背けるように反対方向に走り去っていった。冷静になって経過を見ていれば、誤解に気づいていたかもしれないが・・・。

 ベッドに寝かせて少したつと、サリーナは目を覚ました。軽い貧血を起こしたらしい。
「だから言ってるだろ。あんたはあの男に遊ばれただけなんだよ。いい加減目を覚ましなさい」 
 母親のこの言葉に、先ほどまで蒼白だったサリーナの顔に、さっと朱がさした。そして起き上がると、
「デッシュさまのことを何も知らないくせに、勝手なこと言わないで!あの人、『必ず帰ってくる』って言ってたんだもの!これがその印だって!」
 サリーナはそう言って、はめていた銀の腕輪を見せた。さほど珍しくもない、安物の腕輪だ。
「そんなもので信じちゃうあんたがバカなんだよ!」
「バカなのは見た目で人を判断する母さんのほうだわ!・・・出てってよ、顔も見たくない!」
 言うなりサリーナは、母親とジョーに手当たり次第にものを投げ付けた。枕や本が宙を舞う。たまらずふたりは退散することにした。 
「ごめんね、助けてくれたのに嫌な思いさせちゃって・・・」
 階下の食堂に避難すると、サリーナの母はジョーに謝罪した。
「いや、別に気にしてないから。・・・ところで、デッシュってどんなヤツなんだ?」
「あの男は・・・」
 母親の話によると、一月ほど前、重い病にかかった若い男が街の入口で発見された。第一発見者のサリーナが彼の看病を一手に引き受けた。
  十日もすると、看病の甲斐あって男は全快した。が、記憶喪失の状態で、覚えているのは「デッシュ」という自分の名だけだった。それ以外に手がかりはなかった。
 デッシュは宿屋に住み込みで働き始め、サリーナとも急速に接近しだした。サリーナは母親に、「このまま記憶が戻らないほうがいい」とまで言っていたのだ。
「――ところが一週間前、デッシュは突然街を出て行ってしまったんだよ。『竜に会いに行く』という置手紙を残して・・・」
「竜に?どこにいるんだ?」
「ここいらで竜の居場所と言えば、ここから南のジェノラ山しかないわ。歩きだと二時間くらいかしら・・・あ、もし山に行く機会があれば、あの男を見つけて連れ戻してきておくれよ。サリーナに対する気持ちをはっきりさせないとね!」

 宿屋を出たジョーは、シドの家に戻るべく夜道を歩き出した。先ほどのムキになったサリーナの表情を思い出す。
「まったく、男のためにあれだけ必死になれるなんて、本当女ってのはわけわかんねえな。・・・女、か・・・」
 ふと、メグのことを思い出した。あいつも一応女だが、もしかしたら男が絡めばあんな風に必死になったりするのかな?と思ったが、すぐにそれを否定した。
 まさかね。あいつはまだガキじゃん。ありえない、ありえない。

 考えているうちに、いつの間にかシドの家の前に立っていた。扉の隙間から食欲を刺激する香ばしい匂いがもれてきて、ジョーは急激に空腹を感じた。そのまま扉を開ける。
「――遅かったじゃないか」
 玄関には、まるで待ちかまえていたかのようにユウが立っていて、ジョーは思わず後ずさりした。
「でも間に合ったな。もうすぐ晩飯が出来るところだ。帰ってこなかったら先に食おうと思ってたところだ」
「そうか。ちょうどよかったな。で、メグは?先に食ってるとか?」
「おまえと一緒にするな。あいつなら、戻ってくるなり『気分が悪い』と言って部屋に行っちまったよ」
 先に家に戻ったのはユウだった。その後、エルドリンたちの手伝い(皮むきのみ)をしていたが、扉が開く音に気づき迎えに行くと、悄然とメグが立っていた。だが、それだけではなかった。彼女の両目は赤く腫れ上がっていた。泣いていたというのがはっきりと見てとれた。何があったのか訊いてみたが、メグは答えることなくあてがわれた部屋に引っ込んでしまった。残されたユウはただ首をひねるばかりだった。「――で、デッシュってヤツが・・・おい、聞いてるのか?」
「ん?なんだよ?」
 回想から引き戻されたユウが間の抜けた返答をすると、ジョーは舌打ち後、突然街に現れたデッシュという名の風来坊が、竜が住んでいる山にひとりで行ってしまい、恋人のサリーナが心労のあまり寝込んでいるということを、乱暴な口調で繰り返した。
「デッシュ?そういや、メグもそいつの名前を言ってたな」
 買い出しに出たとき、ユウは武器や防具を見に行き、メグは魔法屋に向かった。入荷したての新しい防具を購入して店を出たとき、ちょうどメグも店から出てきたところだった。

「何か掘り出し物はあったか?」
「ううん、何も。先週は『ミニマム』のオーブがあったんだけど、デッシュって人に売っちゃったんだって・・・」
そうか、それは残念だったな。じゃ、道具を買いに行こうぜ」
「あ、いいよ。道具屋にはわたしが行くから、ユウは先に戻ってて」
 そこでふたりは別れたのだが、ユウはメグの本意をなんとなくだが察していた。多分ジョーと合流するのが本来の目的なのかもしれない・・・。

「――で、これからどうする?」
 料理の盛り付けを手伝いながら、ジョーがユウに訊ねた。ユウは、皿に鶏のシチューをよそいながら、
「そうだな・・・とりあえず、ジェノラ山に行ってみるか。何だか気になるんだよ」
「それは竜か?デッシュのことか?」
「両方だ」
「じゃあ、それで決定ということで。・・・腹減った!」
 ふたりが食卓についたとき、ふらりとメグが食堂に入ってきた。ジョーを見て一瞬顔をこわばらせるが、すぐにもとの表情に戻る。それに気づかないジョーが、
「メグ、もういいのか?」
「うん・・・少し寝たら楽になった・・・」
 と答え、ユウの隣席に腰を下ろした。
 そして、ユウたち三人、シド夫妻、男夫妻の計七人で、賑やかな夕食をとった。 

「――それで、デッシュという男を捜すためにジェノラ山に行くことになったんだ」
 夕食後、さっさと部屋に戻ってしまったメグを、ユウが訪れていた。次の予定を知らせる他にも、もうひとつの目的があった。
「なあ・・・本当に何があったんだ?なんで泣いていたんだよ?」
「別に・・・なんでもない」
「もしかして・・・ジョーと関係があるんじゃないか?あいつに何かされたか?」
 ユウの指摘に、メグは反応を見せた。カマをかけたつもりが、どうやら図星だったようだ。少し経ってからメグは口を開いた。
「ジョーが・・・女の人と抱き合ってるの、見たの・・・」
「なんだって?どういうことだ?」
 今聞いているメグの説明と、先ほど聞いたジョーの説明が、ユウの頭の中で交錯した。やがてそれは確信に変わる。
 ・・・なるほどね。ユウはふき出しそうになったが、メグの表情を見て慌ててこらえた。
「なあ、メグ。ふたりがいたのは宿屋の裏口じゃないのか?」
「え、そうだけど・・・」
「ふん、やっぱりだ。おまえが見たその女性は、さっき話したサリーナさんだよ。ジョーは倒れたサリーナさんを助けて送って行っただけだ」
「え・・・えっ!?」
 メグは驚きの声を上げていた。直後に絶句し、顔があっという間に赤面する。罪悪感と羞恥と安堵感とが心の中で激しく入り混じる。
「ど・・・どうしよう!わたしが勝手に勘違いしてただけだったんだ!」
「気にするなよ。ジョーは何も知らないんだし、明日になったらいつも通りの態度で接すればいいんだよ」
「う、うん・・・」
 こうして、ジョーが知らないうちに着せられた濡れ衣は、彼が何も知らないうちに晴らされたのだった。

 翌朝。乾いた服に着替えた三人は、シドたちにお礼を言った。
「いやいや、礼を言わなければならないのはわしのほうじゃよ。ばあさんを助けてくれたのじゃからな。お、そうじゃ。その代わりといってはなんだが、もう一隻飛空艇を作ろう。アーガスに飛空艇の材料があるから、王に会ってそれをもらってきてくれ。それさえあればあっという間に作れるからな!」 

カナーンを発った三人はジェノラ山に向かった。
 お世辞にも歩きやすいとはいえない幅の狭い山道を、ひたすら進む。あとどれくらい歩けば頂上につくのかというのは、考えるだけ労力の無駄だった。
 そんな中でも、魔物は容赦なく襲い掛かってきた。鳥類がほとんどで、上から突然現れることが多いから気の休まるヒマもなかった。さらに厄介なのは、当然のことだが鳥の魔物には翼がある。翼があると言うことは攻撃をよけられやすいということだった。
「くそっ!」
 大鳥ルフに正拳突きをかわされたジョーは、毒づきながら飛びのいた。ここで飛び蹴りを使うのは命取りだ。ユウもファイアフライ相手に剣をふるうが、それもあっさり避けられてしまう。三人は劣勢に立たされていた。と、上空からも魔物の気配を感じ、見上げるとダイブイーグルが急降下してきた。魔物の鋭いくちばしはメグを狙っている。
「メグッ!」
 ユウが叫ぶが、メグは目を閉じたまま呪文の構えをとっていた。そして目を開くと、
「汝、聖風が奏でし旋律を聞け!」
 詠唱が終わると同時に、メグの杖から生み出された風の刃が、魔物の身体を一気に切り裂いた。耳障りな悲鳴を残し、奇妙な色の血液をまきちらしながら魔物は落下していった。メグは残りの敵にも、立て続けにエアロの魔法をかけた。
数分後には、あれほど苦戦させられた鳥の魔物たちは全滅していた。メグはその場に座り込み、肩で息をしながら、額に浮いた汗を拭った。ユウが近づいて、
「メグ、大丈夫か?」
「へ、平気・・・エアロ使うの初めてだから、緊張して・・・」
「エアロっていうのか、今の魔法・・・。いつの間に覚えたんだ?」
「昨日・・・ユウと別れたあと、もう一回魔法屋に行ってみたの。そうしたら・・・お店の人がこの魔法が残ってたの思い出してくれたの・・・」
 今の魔法でメグがかなり疲労した様子を見せたので、ユウたちは少し休憩をとることにした。太陽の位置からすると、今は昼過ぎといったところか。

「まったく、デッシュの野郎はどこにいるんだか・・・。これでカナーンに戻ってたりしたら骨折り損だぜ」
「とりあえず、今まで通った道に血のあとや骨は見つからなかったから、無事だと思ってもよさそうだな」
「・・・でもカナーンを出たの、一週間も前でしょう?ちょっと心配だわ・・・」
 と、三者三様の考えを述べたときだった。いきなり夜になったかのように、あたりがさっと暗くなった。一瞬雨が降るのかと思ったが、雨雲なら馬鹿でかい羽音はたてないだろう。ユウたちは反射的に空を見上げた。まっさきに目に入ったものは、黒くて頑丈そうな、巨大な翼だった。
「りゅ、竜だーっ!」
 これを叫んだのがユウなのかジョーなのかはメグにはわからなかった。判別する前に意識が黒く塗りつぶされ、完全に闇と化してしまったのだから。