ジェノラ山の麓に位置するカナーンは、貿易の街である。大地震以来、船の行き来はほとんどなくなってしまったが、それでも街には、ほうぼうから来た商人や旅人たちが途切れることなく訪れていた。そのおかげで、街の店先に北部地方の産物と南部地方の産物が同居していることも珍しくなかった。
 そのカナーンの雑踏の中に、黒い服を着た四人組の姿があった。傍目には、黒づくめの怪しい集団が街を偵察しに来たように見えるのか、あからさまに奇異や警戒の目を向ける者もある。そのせいか、四人のまわりはまるで結界がはりめぐらされているかのように、その部分だけ誰も通ろうとはしなかった。歩くのに苦労しない、という点が長所と言えば長所だったが。
「・・・早く着替えたい」
 周りからの視線を避けるように顔を伏せているメグがぽつりと呟いた。黒髪のユウや茶髪のジョーとは違い、明るい色の金髪に黒いすすが混じってまだらになっているのが一番目立ってしまっていた。
「頭だけ牛になったみたいだな」
 こりないジョーが減らず口を叩き、メグに凍りつきそうな目で思いっ切り睨まれた。
 街の入り口からシドの家まではほんの数分と聞いたが、その数分がやたら長く感じられた。
「ここじゃよ」
 それでもやっと、青いとんがり屋根の、少し古い木造の建物の前に立ったときにはほっとした。表札代わりの立て札には、「シド・ヘイズ エルドリン」と彫りつけられている。エルドリンというのがシドの妻の名らしい。
「ふたり暮らしのわりには結構大きい家に住んでるんだな」
 値踏みでもするように家をジロジロ見るジョーを、ユウがつっついた。
「昔は息子や娘もいたが、みんなよそに行ってしまったんじゃよ。新しい家庭を作ったとたん親のことは忘れてしまったようで、便りひとつよこさん・・・」
 シドは遠くを見るような目で呟いたが、三人の視線に気づくと、
「ああ、だからといって寂しいわけじゃないぞ!わしはばあさんがいるだけで十分じゃからな!」
 と言って懐から鍵を取り出したとき、シドの声を聞きつけたのか、内側から玄関の扉が開いた。
「おお、ばあさ・・・」
 と言いかけたが、中から出てきたのはどう見てもシドの妻ではなかった。四十代くらいの中年男性だったのだ。彼はシドの姿を認めるなりあせった様子で、
「シドさん、今まで一体どこに行ってたんだ!?」
「ど、どこって・・・ちょっとカズスにじゃよ。ちょっとした事件に巻き込まれて遅くなってしまったが・・・それよりどうしたんじゃ?」
「大変なんだよ、奥さんが倒れた!今うちのがついているが・・・」
「な、何じゃとーっ!?」
 シドは大慌てで家の中に飛び込んでいった。残されたユウたちが男に身分と事情を説明すると、男のほうも話し始めた。男と男の妻は、シドの隣の家に住んでいる。シドの子供たちが家を出ていったあと、よく一緒に食事をするようになった。男のところも、一年前に娘が嫁いでいたのだ。
 一昨日の昼、男の妻が収穫した野菜をおすそわけに行ったところ、いくら扉を叩いても反応がなかった。不審に思い開いていた台所の窓から覗いてみると、うずくまったエルドリンが苦しそうにうめいていたのだ。
「どんな病気なんですか?」
 メグが尋ねると、男は首を振って、
「それが・・・わからない。白魔道師を呼んだり、薬草を飲ませてみたりしたが、一向によくならないんだ。朝に高熱を出したかと思うと、昼には氷のように冷たくなる。そして夜になるとまた高熱が出る、その繰り返しなんだ・・・お手上げだよ」
「おい、それって・・・!」
 ジョーがユウのほうを向くと、ユウも頷いてみせた。
「なるほど・・・そいつは厄介だな・・・」
「知ってるのかい?」
「詳しいことは・・・おれが六歳のとき、同じ症状の病気にかかったことがあるんです。そのときは、行商人から買った薬草で治りました。ただ・・・その薬草は夏にしかとれないらしいんですよ・・・」
 今は春。その薬草を入手するには、夏まで待つか近日中にその薬草を持つ行商人が来ることに賭けるしかない。その確率は絶望的にゼロに近かった。
「それじゃあ・・・打つ手はないということじゃないか!」
 男が蒼白な顔で叫んだとき、メグが気づいたように、
「ユウ、昨日貰ったあの薬・・・!」
「あっ・・・」
 ユウは急ぎ革袋から、アルベルトが置いていった薬瓶を取り出した。今までの扱いはけっして丁重とはいえなかったが、幸いなことに割れたり蓋が緩んだりはしていない。
「試してみる価値はあるな!」
 ユウはそう言うなり、家に駆け込んでいった・・・が、すぐに引き返して男に訊いた。
「あの・・・寝室ってどこですか?」

 男の案内で寝室に入ると、ベッドにひとりの老婆が横たわっていた。顔からは血の気がうせ、ほとんど意識がないような状態だった。苦しげにあえいでいなければ死人と思っていたかもしれない。ベッドの横には、心配そうな表情で見ているシドと、男の妻がいた。
「ばあさん、すまん・・・わしがすぐに帰っていればこんなことには・・・」
 シドは涙を流しながらエルドリンに詫びたが、返ってくるのはあえぎ声だけだった。ユウはベッドに近寄ると、薬瓶をそっと差し出した。
「これを・・・」
「それは、あの男の置き土産か・・・何が入ってるかわからんが・・・だめもとでやってみるしかないな・・・」
 シドは受け取ると、エルドリンの口を開かせた。瓶を傾けると、真っ赤な液体が三滴乾いた口の中に落ちる。それで瓶は空になった。その場にいた全員が、固唾をのんで見守る。
と、数秒後。エルドリンの目がぱちっと開いた。そして上半身を起こすなり、
「おまえさん、いい歳して何泣いてるんだよ!」
 右手でシドの背中をばしんと叩いた。弾みでシドが椅子から転げ落ちる。それでも立ち上がると、今度は嬉し涙を流して妻の手を取り、
「ばあさん・・・本当によかった・・・」
 エルドリンは男たちのほうを向くと、
「ありがとう、世話になったね。・・・ところで、あんたたちは?」
 シドは妻に、ユウたちを紹介した。
「そう・・・私だけじゃなくじいさんも助けてくれたんだね。本当にありがとう。お礼に腕によりをかけてご馳走するよ」
 エルドリンは、さっきまで病床にいたとは信じられない足取りで寝室を飛び出していった。男の妻も、手伝うべくあとを着いていった。
「飯にありつけるのはありがたいんだけどさ・・・それより、今は・・・」
 ジョーが言いながら、自分の服を見下ろした。気づいたシドが「風呂をわかしてくる」、男が「着替えを持ってくる」と言って部屋を出て行き、あとにはユウたちが残された。
「ねえユウ、アルベルトさんを信じてよかったわね」
 メグが嬉々として言った。
「ああ、そうだな・・・」

 順番に風呂に入って身体の汚れをすっかり洗い流したユウたちは、男の用意してくれた服に着替えた。といっても他人の服なので身体にぴったりと言うわけにはいかなかったが(特にユウ)、服が乾くまでの我慢だった。
 メグの場合、最初に渡された男の娘の服は大きすぎて合わなかった。そこで次に男が持ってきたのが、一着だけ残っていた、娘が十歳頃に着ていた服で、これがあつらえたようにぴったりだった。
「幼児体型がここまでとはある意味すごいな」
 ジョーがまた軽口を叩いたとたん、力を込めて振り下ろされたユウの足が、ジョーの足の上に到達していた。
「おい、バカは放っておいて街に行こうぜ」
「うん・・・」
 料理が出来るまでまだ時間がかかるというので、ユウとメグは足をかかえてしゃがみこんでいるジョーを残し、買い出しのため街の商店街に向かった。



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