気が付くと、四人は涼しい空気が立ち込める石造りの部屋にいた。目の前には澄んだ水をたたえた泉が広がっている。ユウは風の洞窟で見た泉を思い出していた。
「サラ、ここは?」
「城の地下にある、聖なる泉よ。ここで最後の仕上げをするの」
 そう言うとサラは指輪を捧げるように持ち、少しの間目を閉じていた。ユウには、その表情にわずかなためらいがあるように見えた。
「これで、呪いは完全にとけるはず・・・」
 サラは目を開けると、意を決したように泉の前に立ち、そっと指輪を水面に浮かべた。やや間があって一気に水中に沈んでいく。後には小さな波紋が残ったが、それもあっという間に消えてしまい、泉は何もなかったようにもとの静寂を取り戻した。と、上階から、
 ――も、戻った!――
 ――呪いが解けたんだ!――
 という兵士たちの歓声が聞こえてきた。
 階段を降りてきた兵士たちにジョーとメグを任せ、ユウはサラの案内で謁見の間に向かった。
 謁見の間には、呪いが解けてもとの姿に戻った兵士たちがいた。入室したユウをにこやかに出迎え、ありがとうございましたと一斉に礼を述べた。そして、
「サラ!」
 待ちかねたようにサラの父親サスーン王が玉座から立ち上がり、娘に駆け寄った。手をとって目を潤ませながら、
「よかった、無事で・・・おまえが姿を消してからというもの、わしは心が休まったことはなかった・・・」
 サラも、少し丸まった父の背中を抱くようにして、
「お父さま・・・ごめんなさい、心配かけて・・・でもあたしはみんなを助けたかったの・・・」
「ああ、その気持ちはわかっとるよ・・・だが、二度と危険な真似はするんじゃないぞ・・・」
 サラがうなずくのを確かめてから、サスーン王はユウに向き直った。温厚な顔をほころばせ、
「このたびは本当に世話になった。心から礼を言う」
「いえ・・・助けていただいたのは私たちのほうです。サラ姫がいなくては、ジンを倒すことは不可能でした」
 ユウは遠慮がちに言ったが、サスーン王は首を振り、
「いや、サラを助けたのは間違いなくおぬしたちのほうだ。大したもてなしはできないが、今日はここに泊まっていくといい」
「い、いや、そこまでは・・・」
 ユウは、ジョーとメグが目を覚ました後すぐに城を発とうと思っていたのだ。と、サラが王に加勢するように、
「あ、そういえば飛空艇を洞窟の前に置きっぱなしなんじゃない?兵士たちに取りに行かせるわ。今からだと到着するのは明日のお昼ごろになるだろうから、それまでゆっくりしていってよ」
 と言った後思い出したように、
「もしジョーとメグの調子が悪いようだったら、治るまで何日いてもいいからね」
 その台詞は、まるでユウたちがここに長期滞在するのを望んでいるようにも見えた。いや、「ユウたち」ではなく、「ユウ」なのかもしれなかった。

「やっぱり、城の飯は一味も二味も違うな!」
 つい先ほどまで眠っていたとは思えない勢いで、ジョーは運ばれてきた食事を平らげていた。
「ジョー・・・絨毯にこぼしちゃだめよ・・・」
 ジョーとは対照的に、テーブルの向かいでつつましく食事をとっていたメグが注意した。
 サスーン王、サラと一緒に夕食を済ませていたユウは、用意された部屋の長椅子に腰かけて、蔵書室から借りてきた魔法書に目を通していた。ふたりが目を覚ました後、侍女に頼んで食事を部屋に運んでもらったのだ。
「うるせえな。子供じゃあるまいし、そんなことするかよ」
 文句を言いかけたジョーの口から、今頬張ったばかりの肉片が飛び出し、スープの中に小さな水音を立てて着水した。メグが顔をしかめて、
「ああもう・・・それだから言いたくなるの!ねえユウ?」
 急に名前を呼ばれて、我に返ったユウは、弾かれたようにふたりのほうを向いた。
「え、何だ?」
 メグはユウが読んでいた魔法書に視線を移した。読書にかかっていた時間のわりに頁がほとんどめくられていない。というより、めくられているのは表紙だけだった。つまり、全然読んでいなかったのだ。
「もしかして、何か考えごとしてた?」
「おまえの目はごまかせないな・・・ちょっと、夕食のときのことを思い出しててな」
「何かあったのか?」
 いつの間にか食事を終えていたジョーが、手の甲で口を拭いながら訊いてきた。
「そんな大げさなことじゃない。『親子の対話』ってヤツを見せられたような気がしたんだ」
 食事中ずっと、サラはサスーン王に、ユウたちの武勇伝を聞かせていたのだ。特にユウに関してはやや脚色がすぎていたような気がしたが、それでも王は微笑み、時折うなずきながら話に耳を傾けていた。王族の人間とはいえ、一組の親子であることは紛れもない事実なのだ。

「――正直、うらやましいと思ったよ」
「確かにそうだな・・・オレたちに実の親の記憶なんて全然ないもんな・・・」
 と言いかけて、ジョーは慌てて口を噤んだ。記憶こそないが、親と過ごした時期があるはずの人間がここにいたのだった。と、その当人が口を開き、
「・・・いいのよ。実の親じゃないけど、わたしはお母さんやおじいさんのこと、本当の家族だと思ってるよ。もちろん、ふたりのことも・・・とても大事な、仲間だって・・・」
 メグはここまで言って、顔を上げジョーを見た。少し顔を赤らめて、
「言い忘れてたけど・・・今日はありがとうね、助けてくれて・・・わたしのせいで、あんな大怪我までさせちゃってごめんね・・・」
 ジョーは面妖な顔をして、
「何急にあらたまってるんだよ。火傷ならもうすっかり治ったから気にすんな。・・・それにしても、今日はしくじったなあ・・・」
「しくじった?何をだ?」
 ユウが訊くと、ジョーは足を組んで前後に椅子を揺らしながら、
「いやな、本当はあの後横に飛んで避ける予定だったんだよ。結局間に合わなくてああなっちまったが・・・直前まで黒魔道師だったから、素早さが元に戻ってなかったのかな?それか、おまえが予想外に重くて行動が遅れちまったのかも・・・」
 それを聞いたメグの表情が一変した。最前とは違う意味で顔を紅潮させ、次の瞬間には投げつけたクッションがジョーの顔面に炸裂していた。そして、
「バカッ!」
 勢いで椅子ごとひっくり返ったジョーに投げつけるように言い放った後、メグは部屋を出て行った。一方ユウは呆れたように、目をまわしたジョーを見下ろして言った。
「本当にバカだな、おまえ・・・」

 翌日の昼、飛空艇と兵士が城に帰還した。すぐさま乗り込んだ三人は、サラたちにお礼と別れを告げ、サスーンを発った。
 飛空艇を見送るサラや住人たちの姿が、次第に小さくなっていく。サラは強風に負けじと、必死に手を振っていた。
 それを甲板で見ていたユウは、握り締めていた竜の彫り物を見た。翡翠で作られており、目の部分に小さな紅玉をあしらったものである。ペンダントにして首に下げるにはちょうどいい大きさだった。昼食後、ユウを呼び止めたサラが、
「これ、持っていって」
 と、その彫り物を渡したのだ。
「サスーン城に代々伝わるお守りなの。きっとユウたちを守ってくれると思う。・・・旅が終わったら、また来てね」

 次の行き先をカズスに決めていたユウたちは、東に向け飛空艇を飛ばした。