三人が男を追いかける必要はなかった。目が覚めても身体の方はまだ完全に覚めていなかったらしく、足をもつれさせて転倒してしまったのだ。額と木の根が激突する鈍い音がして、男は目をまわした。相当強くぶつけたらしく、額にうっすらと血が滲んでいた。
「大丈夫ですか?」
 メグが近付いてケアルを施すと、男は目をぱちくりさせて三人を見回した。
「幽霊・・・じゃないな、あんたたちは」
「幽霊?さっきもおれたちにそう言ったな。どういうことだ?」
 ユウが訊ねると、男は話しはじめた。
「私はアルベルト。西から来たんだが・・・昨夜ここに着いたので、宿に泊まろうとした。中に入ったら・・・出たんだよ!」
 男――アルベルトはそう言って、両手を胸の前で垂らして見せた。それを見たユウの顔が一瞬引きつるが、すぐに表情を元に戻し、
「それで、ここで野宿を?」
「ああ。魔物に襲われて命からがら逃げてきたところだったから、カナーンに戻るどころか、外に出ること自体真っ平だ。・・・それで、仕方なくここにいたわけさ」
「要は、ここから離れられればいいんだろう?」
 ジョーは、トパパからもらった地図を広げた。カズスから少し西に歩くと、ネルブの谷がある。その谷をこえてさらに南下すれば、貿易都市カナーンに到着できるのだ。
「じゃ、オレたちがカナーンまで送ってやるよ」
「えっ、そんなこと勝手に・・・」
「本当か!?ありがたい!」 
 メグの抗議の声を妨げ、アルベルトは感謝のまなざしで三人を見た。ユウは仕方ない、という表情を作って、
「まあ、いいか・・・カナーンなら何か情報が手に入れられるかもしれないし」
「だから・・・食料を分けてくれないか?オレたち、今にも飢え死にしそうなんだよ」
 ジョーは一番肝心のことを言うのを忘れなかった。アルベルトが了解したとばかりに、革袋から保存食などの食料を出して並べ始める。と、
「ちょっと待って、先に街の様子を見に行きましょうよ」
 メグが口を開いた。
「アルベルトさんはすぐに飛び出したから見てないかもしれないけど、もしかしたら他に人がいるかもしれないわ。それに、タカさんやライヤおばさんたちも心配だし・・・カナーンに行くのはそれからでも遅くないんじゃないの?」
「そ、それは確かに・・・それに、幽霊は大抵暗いところに現れるんだ。明かりをつけて生活するなんて考えられないな」
 メグの正論にジョーは頷かざるを得なかった。一方ユウは食料を手に取り、
「じゃ、おまえたちで行ってこいよ。おれは夕食の支度を・・・」
 と言いかけたところで、ジョーに首筋をつかまれた。
「わっ!?」
「誰がおまえに任せるか!来いっ!」
 と、抵抗するユウを引きずりながら街に向かって歩き出した。ひとり取り残されたアルベルトは、しばらくポカンとしていたが、やがて我に返り、串刺しにした干し肉を焚き火で炙りはじめた。

 三人は宿屋の前に立った。中で明かりがついているのはわかるが、人の気配は感じられず、物音ひとつ聞こえない。だが入り口の扉には、「営業中」と書かれた札が下げられているのだ。ここは酒場や食堂も兼ねていて、この時間帯に人がいないということはまずないことだった。仮に客が来なくても、店の人間がいるはずだから、気配がないのはなおさら不自然だった。宿屋だけではない。カズスは、まるで死んだように静まり返っていた。武器屋、防具屋、魔法屋といった店舗の扉はかたく閉ざされていて、正に「幽霊街」だった。
「・・・ここだよな、アルベルトが言ってたのは」
 ジョーが呟いた。カズスの宿屋は、ここ一軒だけなので、間違いようがなかった。
「開けるぞ」
 ジョーは扉を開け――ようとして、ユウのほうを振り向いた。
「そうだ、おまえが先に入れ」
「えっ、何でおれが・・・!」
 ユウは抗議の声を上げたが、
「そうしたら、昼のことは水に流してやる」
 という言葉で一瞬考えた。これ以上ジョーに嫌味を言われるのは、精神的にも身体的にも非常によくない。怖いのを少しだけ我慢すればいいことだ。嫌なことはさっさと済ませてしまうに限る・・・。
 ユウはそう自分に言い聞かせながら、意を決したように扉をぐいと開け、中に入った。ジョーとメグも後に続く。
 最初に目に入ったのは、数個のテーブルと、その上に置かれた酒壷、杯など。だが、肝心の人間の姿はどこにも見えなかった。酒盛りのまっ最中に、突然全員の姿が消えてしまったとしか思えない状況だった。と、三人の目の前に白っぽいものがすっと現れ、
「うわあっ!?」
「キャッ!?」
 ジョーとメグは思わず叫んで後ずさった。が、先頭のユウは微動だにせず、声ひとつあげなかった。
「や、やっぱり、本当に幽霊だったんだ・・・!」
 そう言ったジョーに向かって、
「ジョー、あんたまでそんなことを言うの!?前に来た男もそう言って逃げていったのよ!まったく、もう・・・」
 聞き覚えのある声が、その白っぽいものから発せられた。
「もしかして・・・ライヤおばさん?」
 メグが言うと、頭と思われる部分が微かに動いた。どうやら、頷いたらしい。
「ああ、そうだよ。久しぶり、みんな。あの大地震以来だね」
 ジョーは白っぽいものと化したライヤをよく見てみた。白っぽいものの正体は白線で、その線は人間の形を描いている。そして、身体の部分は透けて、輪郭だけがある透明人間のようだった。アルベルトが話した「幽霊」の正体はこれで間違いなさそうだ。
「お久しぶりです。それより、その姿は一体?」
「他の人たちはどこ行ったんだ?」
 ジョーとメグが訊ねると、ライヤは深いため息をついた――らしい。
「とりあえず中に入って。詳しい話をするから」
「じゃ、遠慮なく・・・おい、何ぼさっとしてるんだよ。行くぞ」
 ジョーが、先ほどから無言のままで突っ立っているユウの肩を叩いた・・・が、ユウはそのまま脱力したようにへたり込んでしまった。
「ユウッ!?」
 メグは慌ててかがみこみ、手首に触れてみた。ちゃんと正常に打っている。
「・・・気絶してる」
「そういえばこいつ、おばさんが出てきてから全然喋ってなかったな。立ったまま気絶するなんて器用な奴・・・」
 ジョーは呆れたような顔で頭をガリガリと掻いたのだった。