三人がウルの村に帰ってきたときには、すでに星が薄紫色の空に顔を出していた。ジョーとメグは、覚悟を決めたように村に入っていったが、ユウはあたりの様子をうかがいながらゆっくりと入っていった。別に家に帰るのを恐れているわけではない。
「大丈夫よ、ユウ。パメラもフラニーもいないわよ」
 結果的にパメラとフラニーに稽古をつける約束を破ってしまったことになったので、ふたりと顔を合わせたくないのだ。メグの言葉を聞いたジョーは、
「まあ、確かにあのふたりは約束や時間にはうるさいからな・・・母親に似て」
 パメラとフラニーの母親ジニーには、小さいころ遊び相手兼家庭教師になってもらっていたが、そのときから既に口うるさかった。「約束を守るのは人間として当然のこと」が口癖で、約束や宿題を忘れたときは烈火のごとく怒り、静かだが威圧感のある説教が待っていた。父親が酒飲みで怠け者と、いい加減な人間だった反動らしい。 六年前に村の男と結婚してすぐパメラとフラニーを産んだので、必然的に説教される度合いは減った。それでも全くなくなったというわけではない。先月、ジョーはジニーから借りた料理の本を返すのを忘れてしまい、久々に長い説教を食らってしまったのだ。
「あれはおまえが悪いんだろうが。『明日返す』と言っておいて、結局返したのは三日後だ。しかも、言われるまで借りたことを忘れてたんだからな」
 ユウの指摘にジョーはうるさそうに手を振り、
「分かってるよ!でもジニーだって非があるんじゃないか?『昨日貸した本返して』とでも言ってくりゃいいのに、あいつは何も言わなかった。・・・ありゃ絶対、わざと黙ってたに決まってる!きっとジニーの奴、他人に説教するためだけに生まれてきたんだ」
「ちょっと・・・」
 メグが焦った様子でジョーをつついたが、全く意に介さず更に続ける。
「ある意味、魔物より厄介だな」
「・・・何が厄介ですって?」
 その声にギョッとすると、当のジニーが目の前に立っていた。
「い、いや、最近魔物が強くなってきて厄介だって話してたんだよ!」
 ユウは慌てて取りつくろった。約束を破ったことを詫びようとしたとき、ジニーが先に口を開いた。
「あらそう。あ、今日はごめんね、約束破っちゃって」
「えっ?」
「ニーナから聞かなかった?パメラとフラニーが熱出したから今日の稽古に行けないって。あ、トパパさまが寝込んじゃったからそれどころじゃなかったかしら?」
 ユウは慌てて、
「何だって?それ本当か!?」
「あら、知らなかったの?今までどこに行ってたのよ?」
 ジョーはジニーの問いかけを誤魔化すように血相を変えて迫った。
「それより、じっちゃんの様子はどうなんだ!?まさか悪い病気じゃないだろうな!?」
「いいえ、ただの二日酔い」
 ユウたちは同時に脱力した。確かに昨夜の宴では、トパパはいつもより酒量が多かったが・・・。
「そうそう、ダーンさまがあんたたちに話があるってお待ちかねよ。遊び歩いてないで早く帰りなさい」
 そう言うと、ジニーは行ってしまった。
「ダーンさまのお話って何かしら・・・?まさか、わたしたちが選ばれたってことに気付いたんじゃ・・・?」
 ダーンは村の長老のひとりで、ユウたちの隣人でもある。霊感が強く、大地震もいち早く予知していた。そのおかげで、村は被害を最小限に抑えることが出来たのだ。
「確かに・・・ダーンさまなら有り得るな」
 メグの言葉に、ユウが同意した。その一方で、自分が約束を破らずに済んだことに、内心ホッとしていた。
――いつもと同じはずの家までの距離は、やたら長く感じられた。今朝探検ごっこと称して家を出てから、ほんの半日ほどしか経ってないのに、ここまで状況が変わってしまうなんて思ってもみなかった。早く済ませてしまいたいという思いと、少しでも先のばしにしたいという相反した感情が、三人の心の中で争っていた。
 扉の前に立つと、心臓が早鐘のように打つ。家に帰るという、普段からやっている行動なのに、今はそれをやることにひどく緊張を覚えていた。決心はとうについているはずなのに、いざ現実になると躊躇を禁じえない。
 一呼吸おくと、メグが意を決したようにそっと取っ手を引いた。
「・・・お母さん!」
 玄関では既にニーナが待ち構えていた。心なしか顔が青ざめている。その頬には、涙のあとがあった。
「おかえり、みんな。長老さまが集まってるわ、早くお入りなさい」
 ニーナとユウたちが居間に入ると、
「じっちゃん、ダーンさま、ホマクさま!」
ユウたちの育ての親であり、長老であり、そしてこの村の村長でもあるトパパ、ダーン、そしてもうひとりの長老ホマクがいた。三人とも神妙な顔だ。トパパの顔色が悪いのは二日酔いのせいなのか、事実を知ってしまった衝撃のためなのか・・・。
「じっちゃん!おれたち・・・」
 トパパはユウが話そうとするのを制して長椅子にかけさせると、
「わかっとる。まさかおまえたちが選ばれるとは思わなかった。ユウ、ジョー、メグよ・・・」
 緊張のためか動揺のためか、声がかすれていた。トパパは目の前の茶碗を取り上げてお茶を飲みほすと、
「これは偶然の選択ではないことをまず知らなければならぬ。クリスタルはその意志でおまえたちを選んだのだ。おまえたちの力と光の心と、クリスタルの意志、無駄にしてはならない・・・」
「わかった・・・」
 ジョーが答えると、
「旅の支度をしなければならんな。村はずれの倉庫に、色々あるからそれを持っていきなさい。鍵は開けておいたぞ」
 昨日会ったときと比べて、大分老けたように見えるダーンの台詞に続くように、
「まったく・・・まだまだ子どもだと思っていたのに、まさかクリスタルに選ばれてしまうとは・・・おまえたちはただの悪たれ小僧ではなかったのだな・・・」
 ホマクがしみじみと言った。彼の目は、どこか遠いところを見つめているようだった。それを見たときユウは、自分たちと村人たちの間に境界線がひかれてしまったような気がした。三人はおもむろに立ち上がると、
「・・・倉庫に行って来る」
 そのまま家を出た。空はすっかり紺色に染まっていた。