浮遊大陸を発ったユウたちは、真っ直ぐサロニア南西にある小さな村、ファルガバードに進路を取った。
 ファルガバードは、別名「暗黒騎士の村」と呼ばれている。
 およそ七百年前、サロニア王室に魔剣士レオンハルトが仕えていた。彼は負の力を自在に使いこなし、王から絶大な信頼を得ていた。
 だが、負の力を悪しき力と思いこんでいた王子は、即位してすぐレオンハルトに追放を命じ、暗黒剣を封印した。その後レオンハルトは、彼を慕ってついてきた弟子と共にサロニア南西に居を移し、暗黒剣を極めていった。その地が現在のファルガバードである。
 この村には魔剣士志願の若者がたくさん訪れる。だが、その厳しさに大半が途中で音を上げてしまう。村出身の者が修行を拒み、村を出ていってしまうこともあって、ファルガバードの人口は現在二百人あまりしかいない。
 だが二十年前に村に来たひとりの男は違った。常軌を逸した力でたちまちのうちに暗黒剣を使いこなしてしまい、村に住み着いた。
 男は村の娘と愛し合うようになり、やがて彼女との間に、ひとりの息子をもうけた。だがその直後、男はその赤児と共に行方不明になってしまった。
 その男の名は、サイラーだった。

 暗黒の闇に、嗄れた声が響きわたった。
「あれは、もう手に入ったか?」
 相手は答えずに、ぱちんと指を鳴らした。
 すると、ふたりの間だけが、仄かな光で包まれた。
 そこにいるのは、ドーガとウネだった。ウネは、
「無論さ」
 と言うと、袖口から銀色に光る小さな鍵を取りだし、ドーガに見せた。ドーガもまた、金の鍵を掌にのせて差し出した。
「間違いないな」
「そっちもね」
 ふたりの言葉と同時、鍵がすうと宙に浮き、金の鍵はドーガの中へ、銀のそれはウネの中へ、それぞれ吸い込まれるようにして消えていった。
「これで良し、と。後は・・・」
「彼らが来るのを待つだけだね」
 ウネは、唇の端を上げ、ニッ、と笑った。

 一体どのくらいの時間こうしているのか。
 ユウは、月光が僅かに窓からさす闇の帳の中、ベッドに腰掛け、ぼんやりしていた。その手にはバハムートのオーブがあるが、それを見ているはずの目は、現実ではない、どこか遠いところを見ているようでもあった。
 バハムートの言葉が脳裏から離れない。幻獣だった父はザンデの手にかかり、母は病死。母の弟はファルガバードで暮らしている。それらの事実は一番知りたかったことであり、また知るのが一番恐ろしかったことでもあった。だがバハムートの言葉が真実だとするとひとつ引っかかることがある。サロニアでガルーダの配下が言った、「あなたのお父上は生きておられます」という言葉だ。自分を狼狽させるための嘘だったのか、それともバハムートが知らない何かがあるのか・・・。ただ、たったひとつだけ変わらないことは、
「俺は、ザンデを許さない・・・」

 メグは、船尾に積んである木箱に腰かけていた。昔の出来事を思い出してみる。
 いつも、ドレスの裾を引きずりながら、兄の後ろにいた。ふたりの兄・・・バハムートもリヴァイアサンも、とても優しかった。
 三人の父である、先代のバハムートが崩御したとき、ひたすら泣いた。別れの儀式が終わっても、涙が止まることはなかった。だが、バハムートとリヴァイアサンが涙を拭き、抱きしめてくれた途端、涙はピタリと止まったのだった。不思議に安心して、バハムートに抱かれたまま眠った。
 バハムートが人間界に行く、と言ったとき、自分も行きたいとだだをこねた。
 リヴァイアサンは、「遊びに行くんじゃないんだ」とたしなめたが、バハムートは、「おとなしくしていること」を条件に了承してくれた。
 そうして連れてきてもらった人間界は、見るもの全てが珍しかった。バハムートは、白い館に入っていった。待っている間、ひどく退屈だったので、辺りを歩き回った。・・・そこから、ウルで目覚めた後に記憶は飛ぶ。まだ記憶は完全には戻っていない。取り戻せたのは、幻界にいた間の記憶だけだ。
 ふと顔を上げると、ユウが甲板の手すりにもたれかかっているのが見えた。メグが近づくと、彼女の方に目をやる。
「眠れないのか?」
「うん・・・」
「俺もだよ。明日ファルガバードにつくから、そのせいかな」
「そう・・・。ユウの家族がいるんだものね」
「なあ、メグ・・・」
 ユウは口を開きかけ、メグの姿を見た。尖った耳以外は人間のそれと大差ない。
「・・・幻界って、どんなところなんだ?」
 メグは腕組みして、
「ううん・・・どんなところと言われても・・・。人間界にないものがあるとしか言えない。口じゃ上手く説明できないわ。でも、凄く綺麗なところだって事は言えるけど」
「でも正直言って、初めて幻獣ってヤツを見たときは驚いたな」
「なんで?」
「俺は勝手に、変わった姿をした生物を想像してたから。でも、耳が尖っているのを除けば、おれたちと変わりないんだな」
 ユウの台詞に、メグは、
「産まれるときは、みんなヒト型なの。成長するにつれて、姿かたちが変わるのもいるけど。成人したら、それぞれの幻獣に変身することが出来るの。兄さまたちが、竜や蛇の姿になったようにね。召喚魔法として人間界に呼びだされる幻獣は、全ての幻獣の中の、ほんの一握りでしかない。幻界には、もっとたくさんの幻獣がいるのよ」
 ここまで言った後、わたしもいつかは・・・と呟いた。
「なるほどね・・・」
 ユウが呟くと、メグは家族のことに話題を移した。 
「わたしのお父さまは先代のバハムート。お母さまは慈愛の女神アシュリナ。そして、ふたりの兄さま。今のバハムートとリヴァイアサンよ」
 メグは、首飾りを見せ、
「これは、わたしの誕生日に兄さまがくれたの。『なくしちゃ駄目だよ』と言って」
「それで、今のバハムートがノアと出会い、封印してくれるよう頼んだ。そのとき、お前も人間界に来ていたわけだ。待たされている間、ドーガたちをじっと見ていただろ?」
「うん・・・。羨ましかったのよ。兄さまたちはいたけど、あんな風に、同じぐらいの年の子と遊んだ事なんてなかったもの」
 そこまで言うと、口を閉ざした。問題は、この後なのだ。ユウもそれに気づいていた。
 なぜ、数百年の時を経てメグがウルに来たのか、なぜ、メグは人間の姿のままなのか・・・。まだ取り戻せていない記憶と関わりがあるのだろうか。バハムートは、結局それらのことについては触れることはなかったのだ。知らないのかもしれないが。と、
「ユウ、ごめんね・・・」
 不意にメグが言った。ユウは面食らって、
「何だよ、急に」
「ユウのお父さんのこと。確かにお父さまは人間を信用していなかったけれど・・・でもあの仕打ちはあんまりだわ。恨んでるでしょ?」
「だからって、何でおまえが謝るんだよ。・・・もしかしたら、おまえの父さんは、知ってたのかもしれないぞ」
「えっ?」
 怪訝な顔をするメグの眼前で、ユウは人差し指をたてて見せ、
「闇の氾濫のことや、光の戦士のことも全部。だから、おれが産まれるように仕組んだという解釈だって出来るんだ」
「そ、そうかな?」
「おれはそう思うことにした。おまえ、父さんのこと好きだったんだろ?」
 メグは無言で頷いた。
「じゃ、それでいいじゃないか。・・・冷えてきたな。そろそろ戻るか。顔青いぞ」
「うん・・・もう寝るね。おやすみ、ユウ」
 メグがかすかな笑みを浮かべたとき・・・彼女の額に一瞬、模様のような物が見えた気がしてユウは眉をひそめた。
「どうしたの?わたしの顔に何かついてる?」
「い、いや別に」
 メグの姿が船室に消えるのを見送ると、ユウは両目を強めに押さえた。
 気のせいだったのか・・・?