ジョーは、一滴も余さず飲み干したカップを、叩きつけるようにテーブルに置いた。空がすっかり茜色に染まっているのも原因のひとつだが、
「・・・ったく、女の身支度ってもんはなんでこうも時間がかかるんだよ」
ユウはぬるくなったお茶を啜りながら、相槌を打つこともなくジョーの愚痴を聞いていた。これはよくある光景だが、このときのジョーはいつも以上に苛立っているように見えた。
そんなにイライラしなくても、ファルガバードは逃げやしないぞ・・・ユウは心の中でつぶやいた。口に出して言うとまた面倒くさいことになる。
食堂の扉がパタンと開いたのは、ジョーが二杯目のお茶を注ぎかけたときだった。
「メ・・・」
ユウは口を開いたが、それ以上の言葉が紡がれることはなかった。メグに背中を向ける形で座っていたジョーは、彼の様子を不審に思いながら振り返り・・・理由を悟った。
メグは髪をおろしていたのだ。髪が伸びてからというもの、いつも後頭部で結い上げた髪型で行動することがほとんどで、おろすのは風呂に入るときと寝るときぐらいだった。
「珍しいな。どうしたんだ?」
ユウが尋ねると、メグは髪をかきあげて尖った耳を見せた。
「これを見たら、ファルガバードの人たち、びっくりするかもしれないでしょ。だから・・・」
ユウは考えすぎじゃ?と思ったが、あえて黙っていた。ジョーはそっぽを向いてお茶を口に流しこみ、その熱さに目を白黒させた。
ユウたちがインビンシブルを降りたときには、既に空は薄暗くなりかけていた。なだらかな山道を歩き始める。
季節は、すっかり春に変わっていた。暖かな風が髪をゆらし、頬を撫でる。三人は、言葉ひとつかわさず、黙々と歩き続けていた。運良く、魔物には遭遇せずに済んだ。
十分ほど歩いたとき、風にのってきた甘い花の香りが三人の鼻腔を擽った。
「沈丁花ね」
メグが、誰にともなく言った。
また少し歩いたとき、
「あっ!」
三人の顔が輝いた。
目の前に、綺麗な泉が湧いていた。そのまわりには、美しい野の花が咲き乱れ、道のはしには、沈丁花が列をつくり、さらに赤紫の躑躅の木が植えられていた。他の木には、野生の果実がたわわになっていた。
野趣あるその風景は、三人にウルを思い起こさせた。
三人は次第に早足になった。そして、やっとファルガバードの門にたどり着いた。
そこでは、初老の兵士がひとり、手持ち無沙汰な顔で突っ立っていた。
ユウたちが近付いていくと、兵士は不審そうな目を向け・・・それから息をのみ、ユウに話しかけた。
「サ、サイラーか!?」
ユウは首を振る。
「いや、おれは・・・」
「リュウガ!リュウガだなっ!?サイラーの息子の!」
「リュウガ?それがおれの本当の名前なのか?」
兵士は何度も頷いた。
「間違いない!その顔だち・・・サイラーに生き写しだ!おっと、こうしちゃいられない!」
兵士はそう言うと、脱兎のごとく村に駆け込んでいった。
あっと言う間にユウたちは、村人たちに取り囲まれた。
「よく帰ってきたのう、リュウガ!・・・といっても、おまえはあのとき赤ん坊だったから何も覚えてはいないだろうけど」
村長らしき老人が話しかけてきた。雰囲気はどこかトパパに通じるものがある。
「実はな、一週間前に不思議な夢を見たのじゃよ。大きな竜が現れて言った。『サイラーの息子が帰ってくる』とな。わしだけじゃない、村の者皆同じ夢を見たのじゃ」
「バハムートだな」
ジョーはそっとユウに囁いた。と、村長が、
「おまえに会わせたい奴がおる」
と言うなり、群衆の中からひとりの青年が進み出た。赤茶色の髪に藍色の双眼。年のころは二十代半ばだろうか。
「ラシュカじゃ」
「え、この人が俺の・・・?」
「ああ、アスナ・・・お前の母親の弟だ。だからお前にとっては叔父だな。といっても年はそう離れておらんが」
ユウは愕然とした。いざ当人との邂逅に、胸が一杯になって何も言えなくなってしまった。と、ラシュカがつかつかと近づき、
「お前があのときの赤ん坊か。本当、父親そっくりだ」
それだけ言うと、ラシュカはすっと右手を差し出した。挨拶代わりの握手でもするのかと思い、ユウも自分の右手を差し出した。それが見当違いと分かったのは次の瞬間だった。
ラシュカの拳が、ユウを思い切り殴り飛ばしていたのだ。
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