翌朝、ユウたちはサロニアを発った。
 アルスに挨拶をして行こうかと考えたが、結局門番に手紙を託すに留まった。というより、ジョーが城に行くことに反対したのだ。「朝っぱらから行くとかえって迷惑になりそうだ」というのが言い分だったが、それをメグは不審に思った。夜明けならともかく、街も城もとっくに生活を始めている時間帯だ。まるで、城に行くことを嫌がっているように見えた。
「――ジョーの様子がおかしいの」
 ジョーが操縦を交代したのを見計らって、メグは読書中のユウに話しかけた。
「あいつが変なのは今に始まったことじゃないだろ」
 ユウは、アルスと会ったときのことを思い出しながら答えた。アルスともほとんど口をきかず、どこかぼんやりしている様子だった。
「でも、昨日宿に戻って来てからますます変よ。ゆうべも今朝も食事を残してたじゃない」
「ああ・・・」
 それは確かに珍しいことで、ユウも気に留めていた。残したといっても、付け合わせを少々だったが。
「で?あいつに何か聞いたりしたのか?」
 ユウの問いにメグは首を振った。
「じゃ、黙っておくことだな。あいつにはあいつなりの考えがあるはずだ。しつこく気にするのもどうかと思うぞ」
 納得には程遠い表情をしながら頷いたメグを見て、ユウは内心「少し冷たかったかな」と反省していた。

 サロニアを発ってから半月後の朝――インビンシブルは、雲の塊の中に突っ込んだ。
 操縦桿を握るユウは、巧みに雲の隙間をすり抜けながら、白の景色に目をこらす。
 そして、唐突に白が消えた。代わりに目の前に広がるものは、草原の緑、海の青、わずかな雪を頂にかぶった山々・・・。
「着いたのね!」
 メグが、興奮を抑えきれずに言った。
「あっ、あれ、オーエンの塔じゃないか!?」
 一足先に甲板に出ていたジョーが指す方に目をやると、アーガス大陸の最北端にその姿を構えるオーエンの塔が、人差し指くらいの大きさに見えた。ユウたちは、ふとデッシュのことを思い出した。
「帰ってきたんだ・・・浮遊大陸に!」
 ユウが、感慨深げに呟いた。

 サスーン城の屋上。
 王女サラは、いつものようにそこに登って、転寝をしていた。今日のように、太陽が暖かく照りつける日は言うことなしだ。こればかりは、いくら父王や家臣たちがやめろと口を酸っぱくして言っても、やめる気はなかった。最近では、諦めきっている様子だ。
 強い陽光に瞼を射られ、サラは目を覚ました。そして――ガバッと身を起こす。
 青空に、天を翔ける飛空艇の姿が見えたような気がしたのだ。だが、目を瞬かせると、その姿は消えていた。
 サラは、ユウたちと共に、ほんの少しだが冒険したことを忘れたことはない。あれからすでに一年以上が経っている。
「ユウたちどうしてるのかな?」
 そして、お守りを取りだす。別れの前日、ユウに渡したのと全く同じものだ。
「みんなを・・・ユウを守ってね」

 カナーンのとある一軒家。
「じいさん、お茶が入ったよ」
「ああ、今行くよ」
 シドは、機械油で真っ黒の手を拭うと、作業場を出た。太陽光の眩しさに思わず目をつぶる。
 ユウたちと出会ったことが、彼の発明好きに再び火をつけることとなった。今は、飛空艇の改造に熱中する毎日。妻のエルドリンも理解を示してくれている。
「んーっ!」
 空を見上げて思い切り伸びをする。そのとき、彼は青空にキラリと光るものを目にしたような気がした。
「ユウたちはどうしているんじゃろうか?まあ、あやつらのことだから、元気でやってるだろうが・・・」
「あの子たちは大丈夫だよ。なんたって、クリスタルに選ばれた光の戦士だもの。きっと帰ってくるよ・・・」
 老夫婦は、しばらくの間、無言でお茶をすすり続けるのだった。

 浮遊大陸に戻ったことにより、三人はウルに寄りたい、友人たちに会いたい、という想いに捕らわれていた。だが、三人ともそれを口に出すことはなかった。皆に会うのは、全てが終わってから。それは、ユウたちの暗黙の約束事だった。
 アーガス大陸の山を越え、ドールの湖に到着したのは翌日の真夜中だった。ユウたちは、明朝リヴァイアサンを捜すことにして、インビンシブルの中で睡眠を取った。

 上空に青々とした上弦の月が出ていた。その仄かな月光に照らされながら、ひとりもの思いに耽る人影があった。
 メグは、しばらくの間、湖のほとりに立っていたが、やがて靴を脱ぐと、足を湖水に浸した。
 湖に着く少し前から、異様なほど気分が高ぶっている。その原因は、「幻獣」というものを初めて目の当たりにするため・・・とは違うような気がする。初めて?
 胸が激しく高鳴る。――なぜ?
 リヴァイアサン・・・バハムート、そしてノア・・・。三つの名前が、頭の中でめまぐるしく交錯した。レプリトでこの名を聞いたときにも体験した感覚だ。
 わたしは、この名前を知っている・・・?
 メグは、冷たい空気を胸いっぱいに吸い込んで、なんとか落ち着きを取り戻すと、指を湖面に浸した。小さな波紋が、もうひとつの月を歪ませた。

 翌朝。朝霧にけむる森の中を、ジョーとメグが歩いていた。
「ねえ、話って何?」
 メグは、やや舌足らずな口調だった。昨夜のことでなかなか寝付けなかったことに加えて、まだ薄暗いうちに、「ちょっと来てくれ」とジョーに引っぱり出された。寝不足なのは当然と言えば当然だ。
「何なの?」
 メグが更に問うと、ジョーはやっと口を開いた。
「何度も考えてみたんだ・・・。それで、お前にだけは話しておこうと思ったんだ・・・」
「え・・・?」
「実は・・・」
 ジョーは、ずっと胸にしまい込んでいた、自分の出生の秘密を語った。一度口を開けば、せせらぎの水が流れるように、さらさらと滑らかに言葉が紡ぎ出る。
 自分がサロニアの王子ヒリュウであること、十七年前のサロニアの大火のこと、自分のペンダントが王子の証であること・・・。
 メグは、呆然として聞いていた。途中からは、彼の言葉も耳に入らなかった。ジョーが話し終わってから、たっぷり一分以上たって、やっと口を開いた。
「アルスは・・・それを知ってるの?」
「ああ・・・竜騎士の塔で問い詰められたよ。でも、違うと答えた」
 ジョーの答えを意外に感じたのか、メグは少し驚いた顔をした。
「え・・・なんで?」
「なんでって・・・今更それを言ってどうなるもんでもないだろ」
 ジョーもまた、メグの反応を意外に思っていた。メグはジョーの対応を冷たいと解釈していたのだ。
「じゃ、アルスはどうでもいいっていうの?あの子はもうひとりなのよ!」
「はあ?なんでそうなるんだよ!?あいつは王だぞ!?家臣も兵士も一杯いるじゃないか!」
「そういう意味じゃない!あの子には支えになってくれる人が必要なのよ!それに・・・何で王さまだからって特別な目で見るのよ!?あの子だって、なりたくてなったわけじゃないのに・・・」
 ジョーはぐっと詰まった。アルスをひとりの子供としてではなく、王として見ている。確かにそうかもしれない。それに、アルスには部下はいても、血縁と呼べる者はいない。いや、自分を除いてだが。
 メグの言うことは確かに筋が通っている。心のどこかでは、彼女の言うことを理解しているが、頭の中ではそれを拒んでいる。何より、自分が決めたことを真っ向から否定された・・・裏切られたような思いと微かな怒りすら覚えた。
「なんで、なんでそんなこと言うんだよ!?何も分かってないくせに!」
 思わず怒鳴る。
「ジョー、待ってよ・・・」
 メグが更に何か言おうとした時、元々癇癖が強いジョーは、頭に血を上らせ、
「うるさい、黙れ!」
 言うなり、メグの身体を突き飛ばした。背中から勢い良く木にぶつかったメグを見て、ジョーは我に返った。
「あ・・・」
 ジョーは、一瞬棒立ちになった。立ち上がったメグは、涙をぼろぼろ零しながらジョーを睨みつけると、
「バカッ!」
 一言言い捨てて、湖の方へ走っていった。ジョーはしばし呆然として立ちすくんでいた。が、平静さを取り戻すと、いいようのない自己嫌悪に襲われ、
「くそ!」
 思い切り拳で木の幹を突いて、やり場のない自分への怒りをぶつけた。