しばらくしてウネが部屋から出てきた。ブカブカだった服を朱色のローブに変え、乱れた髪を梳かし、両手にハーブティーの茶碗と焼き菓子の皿がのったお盆を持っている。皿には、ブルーベリーのジャムが添えられていた。

「さ、遠慮しないで食べな」

「は、はあ・・・」

 ウネは盛んに勧めたが、三人ともなかなか手をのばそうとはしなかった。メグはさきほどの出来事が原因でまだ呆然とし、ユウは戸惑いを隠していなかった。ジョーはと言えば、スコーンを取り上げて入念に匂いを嗅いでいる。

「何をしておる?別に変なものは入っておらんよ」

「・・・だってあんた、三百年近くも眠っていたんだろ?ということは、この茶も菓子もそれ位の間ほったらかしにされていたんじゃ・・・」

 ウネは呆れたような顔で肩をすくめ、

「・・・あんた、見た目通りの無礼なヤツだね。心配しなくても、これらは全部今朝用意したものだよ。マグに使いを頼んで買ってこさせたんだ。そのジャムだって、出来立ての新鮮そのものさ。疑うのなら食べなくていいよ」

「別にそんなこと・・・」

ジョーが言い返すように口を開きかけたとき、メグが慌てて、

「あ、あの、頂きます!」

 被せるように言うと、ハーブティーを啜り、スコーンを口に運んでみせた。新鮮なブルーベリーの香りと味がぱっと広がる。ユウもそれに倣いカップを取り上げる。ジョーも、持っていたままのスコーンをぽいっと口に放り込んだ。

「美味しいわ。なんだか、ほっとする感じ・・・」

 ウネは微笑みながら、

「そうだろ。心を安らげる成分が入っているからね。さっきと比べて、大分表情が変わったよ」

「えっ・・・?」

「自分じゃ気づいてないかもしれないけど、さっきは顔が真っ青で、今にも倒れそうだったよ。その点に関しては、脅かしたアタシが悪かったよ」

 そう言われて、メグはやっと思い出した。ウネが老化していく過程を見せられて、しかもその原因を作ったのが自分ということで取り乱していたのだ。

「別にあんたのせいじゃない、今まで止まっていた時が一気に動き出しただけさ。年を取れない、死ぬこともできないほど辛いことはないからね。年相応の姿に戻れてほっとしたところだよ・・・といっても、これが本来の姿ってわけじゃないけどね」

 ユウはドーガの話を思い出した。

「ああ、ノアの作った人工生命体に身体を入れてるとかいう?」

「そう。だから、自分の本当の身体が今どうなってるか、アタシでさえ分からないのさ。もしかしたら、とっくに朽ちているのかもしれないが・・・分かるときがくるとすれば、この身体を捨てるときだね」

 ウネはそう言って、胸に手を当てて見せた。ジョーが耳ざとく聞きつけて、

「身体を捨てるとき?いつのことだ?」

「・・・例えばの話だよ。ノアさまから授かった身体を捨てるなんて真似は死んでもしないよ」

 このとき一瞬だが、ウネの瞳がわずかに揺れたのをユウは見逃さなかった。

「ドーガから大体のことは聞いているだろう?ノアさまが遺した三つの力のことや、ジッタのことも・・・」

「はい。ジッタが、闇の力を呼ぼうとしている、魔王ザンデなんですよね?人間の生命をつまらないと言って、出て行ったとか・・・」

 メグが代表して答えると、ウネはその通りだと言うように頷いた。

「ザンデ・・・ジッタは、どんなヤツだったんだ?ドーガからは抽象的なことしか聞いてないんだ」

 ユウが訊ねた。ウネの話と、自分が見た夢の内容を照らし合わせることで、ザンデが今闇を呼ぼうとしている動機をつかむとっかかりになればと思ったのだ。

「ドーガはあいつのことを神に選ばれた者と言ったんだろう?ま、確かに天から遣わされた神の子といっても差し支えないかもね。アタシたちの中で、一番人間になりたがっていたのはあいつだった・・・だから、ノアさまが人間の生命をジッタに与えたとき、アタシはそうなって当然と思ったんだよ。嫉妬の気持ちが皆無と言えば嘘になるが・・・ノアさまは、ジッタ宛の手紙の中で、『人間は限られた時間の中で、痛みも苦しみも悲しみも喜びも、感情と呼べるものを全て体験できる貴重な生き物。ひとつの感情だけでは生きていけないということ、そしてそれには利点もあれば欠点もあるということを忘れないでほしい』と書き遺していたんだ。だがジッタは行ってしまった。アタシはそれに耐えられず、夢の世界に逃げることを選んだのさ」

「・・・まさかザンデは、人間になったばかりに悪い心に負けたって言うんじゃ?」

 思いついたことを口にしたジョーの脇腹を、ユウがつっついた。ウネは寂しそうな顔で茶を啜り、

「そうかもしれないねえ。ノアさまが授けた人間の生命があまりにも完璧で純粋すぎたのかもしれない。そのせいで正だけでなく負の感情も強くなり、己の欲望に従ってしまったのかもしれないね」

「そんな・・・」

 ウネは反論しようとしたメグの目をまっすぐに見つめ、

「この世の中に、欲望のない生き物なんているのかい?何か食べたい、寝たい、強くなりたい。それも欲望の範疇ではないのか?家にあった食べ物を、食事まで我慢出来ずにつまみ食いしたという件だって、ある意味欲望に負けているのではないのか?」

 その体験が豊富なジョーは、仏頂面で腕を組んだ。ウネは肩をすくめ、

「ま、あくまで全部アタシの推測だからね、本当のことを知るのはあいつだけさ・・・長くなってしまったね。これを渡しておこう」

 ウネはローブの袖から赤い牙を取り出すと、テーブルの上に置いた。血のように赤い石で作られたもので、表面には飛翔する竜の姿が彫り込まれていた。

「炎の精霊サラマンドラが宿る炎の牙。あんたたちが持っているふたつの牙と、残りの土の牙と、全部で四つ集まれば、ザンデが呼び出した抹殺の像を壊すことが出来るんだ。なくすんじゃないよ」

 メグは丁重に牙を受け取り、袋の中にしまった。

「さて、行かなきゃね。支度するんだよ」

「行くって、どこにだ?」

 ユウの問いに、

「ここから北にある古代遺跡さ。そこに、巨大船インビンシブルがある。それを取りに行くんだ」

「巨大船?でも、今ノーチラスを使っているんだ。わざわざ取りに行く必要なんてないと思うぜ」

 ウネはジョーの眼前で手を振ってみせ、

「土の牙は、高い山に囲まれた洞窟の中にあるんだ。そこには、あんたたちのノーチラスじゃ行けない。だから、山を越えることのできるインビンシブルが必要なんだ。場所は知ってるから案内するよ。それと、古代遺跡は魔物の巣窟になっている。そいつらは、直接攻撃をすれば分裂するから、気をつけることだね。まず魔法で叩いて、そのあと一気にとどめをさすというのがいいかもしれないね」

「そうか。じゃあ、おれは幻術師になっておくよ。メグは白魔道師のままがいいな」

「それじゃ、オレは黒魔道師?」

「いや、おまえの魔力はいつなくなるかわからないからな。無難なところで空手家になっておけ」

 間接的に「おまえの黒魔法は役に立たない」と言われたような気がして、ジョーはむっとした。

「アタシも少しは援護してあげるよ。マグ、留守番頼んだよ」

 ウネの言葉に、マグは了解と言うように羽を上げてみせた。

 

サロニア大陸の西南西にある古代遺跡に到着したのは、それからしばらく経ってからだった。

 険しい谷や山に囲まれているため遠回りしなければならず、余計に日にちがかかってしまったのだった。その間、メグはウネに魔法を教わっていた。

 古代遺跡には、古代人が遺した秘宝が数多く眠っているという。ノーチラスもそのひとつだ。だが、古代遺跡は完全には発掘されてはいない。残りの秘宝をすべて発見せんと、サロニアから多くの学者が派遣された。だが、二十年ほど前に落石事故が起こり、洞窟は崩れたアダマンタイトの壁で埋もれ、先へ進めなくなってしまった。学者たちは躍起になってアダマンタイトの岩を崩そうとした。だが、強固さではミスリルを遥かに凌駕するアダマンタイトは、いかなる手段を用いてもびくともせず、結局調査は頓挫。それ以来、古代遺跡は放置されているのだという。

「どうやって中に入るんだよ?」

 ジョーが、通路を埋め尽くしているアダマンタイトを短剣で叩いてみたが、アダマンタイトは硬い音をたてて剣を跳ね返した。と、あぐらをかいたままの格好で宙に浮いているウネが、アダマンタイトの前に移動すると、

「アタシに任せておき!夢の世界の岩をぶつけてやれば、アダマンタイトといえども、次元の狭間に消えるはずさ」

 ウネは三人を下がらせると、杖を構え、目を閉じ、口の中でなにやらぶつぶつと唱え始めた。やがて杖が桃色の光を帯び、大きく膨れ上がって丸い球となった。球は――いや、夢の岩は次々に杖から生み出され、アダマンタイトの岩にぶつかっては消えていく。それにつられてアダマンタイトも削られていく。

 アダマンタイトがすべて消えたのは、十分ほどたってからだった。ウネは、肩で息をしながら額に浮いた汗を拭った。かなり疲労しているようだった。

「大丈夫?」

 メグが尋ねると、

「ああ。久しぶりに呪法を使ったから疲れただけだよ。さあ、先を急ごう。インビンシブルの場所なら知っているからね」

 そう言うと、ウネは再び最後尾にまわり、ユウたちは慎重に洞窟に入っていった。

 

「この、大馬鹿者!あれほど言ったのに・・・」

 古代遺跡に入って数分後、ジョーは正座させられ、ウネから大目玉を食らっていた。ユウとメグのふたりはと言えば、どこか冷めたような呆れたような目でその光景を見ている。彼らの後ろには、屠ったばかりの魔物の血が、池を造っていた。

 地下二階への階段を下りてすぐ、ユウたちはアズリエルと出くわした。特大の芋虫が三匹集まったような容姿の不気味な魔物だ。そして、真っ先に突っ込んでいったのがジョーであり、以前ウネが言ったとおり、飛び蹴りをくらった魔物は分裂した。幸い、ウネの援護もあって大した傷は受けずに撃退することができたのだが・・・無鉄砲な行動の報いが、今の大目玉につながるのだ。

「おい、ウネに何も言わないのか?」

 ユウはそっとメグにささやいた。ウネの声に遮られないよう、耳元に口を近づけている。

「これ位言われないと、また同じことを繰り返すに決まってるもの。あまり長続きしないと思うけど・・・」

 いつになく辛辣な口調で返した。その間にウネの説教も終わり、ジョーが頭を振りながら近づいてきた。

「くそ、まだ耳がキンキンする・・・ところで、さっきふたりで何を話していたんだ?こんなところに来てまでいちゃつく気かい?」

 ジョーが言い終わった瞬間、鈍い音が洞窟内に轟いた。メグはひっくり返った彼を一瞥すると、フン、とそっぽをむいてずんずん進み、そのまま角を曲がる。

「おい、勝手に行くな、危ない・・・」

 ユウの言葉が終わる前に、

「キャーッ!」

 メグの悲鳴が聞こえてきた。
  急いで駆けつけると、強固なカラに覆われた魔物――ガープが、長い触手をメグに巻きつけていた。

 素早くユウが、シヴァの召喚魔法を唱えた。オーブから発せられた白い光線が、魔物――ガープを捕らえると、ガープはメグを落として眠ってしまった。間を入れず、ウネがエアロガの魔法を放つと、魔物の身体がずたずたに切り刻まれる。あとは気を溜めたジョーがとどめをさすだけだった。

「ご、ごめんなさい!」

 頭を下げるメグに、

「これからは勝手な行動はするんじゃないよ」

ウネは穏やかだがたしなめるような口調で言った。そんなふたりのやり取りを見ながら、ジョーとユウはこんな会話を交わしていた。

「・・・オレのときとは、随分態度が違うんじゃないか?」

「気のせいだろ」

 

 戦闘を繰り返しながら、ようやく地下八階にたどり着いたころには、ユウたちは疲弊しきっていた。

 眼前の扉を開けると、ひとつの梯子が目に入った。それを上がっていくと、ノーチラスの何倍もある広大な船内にたどり着いた。何千年も洞窟の底に封じられていたはずなのに、埃ひとつかぶっていない。やっとインビンシブル内に到着したのだった。

 三人が感嘆の声を上げているとウネが操縦室に入り、

「さ、こんな辛気臭い洞窟からさっさと出ちまおう」

 舵を取ると、インビンシブルがうなりをあげ海を上昇し始める。あっという間に、巨大船は洞窟の外へと到着していた。

「うん、大丈夫だったね。操作の仕方はノーチラスと同じだから。あ、そうそう・・・」

 ウネが何かの術を唱えると、ユウの手の中に、魔法で縮小したノーチラスが現れた。

「えっ、これ本当にノーチラスなのか?」

「ああ。水につければ元の大きさに戻るようになっている。小さくするときはミニマムをかければいい。これでなきゃ、ダルグ大陸に行けないだろ」

「ああ、ありがとう」

 ユウは礼を言うと、ノーチラスを机の上に置いた。

「さて、と。アタシは行かなきゃね」

「行くって、どこに?」

 ユウの問いに、

「ちょっと用があるんでね。土の牙はアムルの北にある、暗黒の洞窟に封印されている。そこの魔物もまた、攻撃すると分裂するんだ。はっきりいって、遺跡の魔物とは比べものにならないよ」

「じゃあ、どうすればいいんだ?」

「斬っても魔物を分裂させない武器、暗黒剣で戦うのさ。魔剣士の村ファルガバードにお行き。それと、幻獣の力も手に入れておいたほうがいいね。サロニアで、高等幻獣のひとりオーディンが眠っていると聞いたことがあるんだ」

「よし、まずはサロニアに行こう」

「アルスは元気かしら?」

 ユウとメグが懐かしそうな顔で会話を交わすのを、ジョーは複雑な気持ちで見ていた。

「じゃあ、また会おうね」

 そう言い残すと、ウネは振り返ることもなく姿を消した。

 

 三人と別れたウネは、浮遊する杖にかけながら、異次元空間をさまよっていた。

「ノアさま、すみません・・・アタシに、夢の世界の主は務まらない・・・」

 出来るものなら、また眠りについてしまいたかった。何もかもが揃っていて、何も考えずにすむ、夢の世界に閉じこもりたかった。だがそれは、偽りの幸せだ。こうしている間にも、ジッタ、いやザンデは――。

純粋さはときに罪になることもある

 ふと、そんな言葉がウネの心に浮かび上がり、消えていった。