ユウが目覚めたあと、三人はドーガの案内で、館がよく見える丘に建っているノアの墓に来ていた。「万年冬の大陸」という呼び名の通り、あたりは雪が降り続け、地面に積もっている。ドーガに言わせれば「吹雪がない分、今日はまだマシなほう」らしい。

 三人は手を合わせ、しばらくの間目を閉じていたが、ユウはつい先ほどまで目の当りにしていた人物の墓参をすることに妙な気分を覚えていた。
 ノアの墓標の前には、ドーガが摘んできた、青みがかった白い花が手向けられている。

「これは・・・四季草ですね?一年中咲き続け、季節によって色を変えるという」

 メグの質問にドーガは頷き、

「ノアさまが一番好きだった花じゃ。これは綺麗なだけでなく、煎じて飲むと苦痛を和らげ、弱った身体に効果があると言われている。ウネもこれが好きで、ノアさまが倒れられてからは毎日のように摘みに行ったものじゃ。だから、ノアさまが亡くなられたときの衝撃は一番強くてな・・・『こんな役立たずの花なんて大嫌いだ!』と叫びながら摘んできた花を暖炉で燃やしたり、花を煎じたポットを床に叩きつけたりしたんじゃ・・・その後、十日間ほど部屋に閉じこもったままだった」

「うは・・・壮絶・・・」

 ジョーは唖然として言ったが、それだけノアが死んだ悲しみと何も出来なかった悔しさが大きく、何かを悪者に仕立て上げないことには自分が壊れてしまいそうだったのだろう。ユウはおもむろに立ち上がり、膝についた雪を払うと、

「・・・さ、そろそろ行こうか。ウネを起こしたあとはどうすれば?」

「まずは、精霊の力がこめられた牙を揃えるのが先じゃ。四つの牙がないと、ザンデのいる塔に近づくことすらできないからな」

「牙って、これのことですか?」

 メグが、ネプト竜から受け取った水の牙と、長老の樹から受け取った風の牙を取り出して見せた。

「そうじゃ。炎の牙はウネが保管している。土の牙の在り処も知っているはずだから、詳しい場所は彼女に訊くといい。わしは、今からやらなければならないことがある。全ての牙が手に入ったら、ここに戻ってきなさい。そのころには、わしの用も済んでいるじゃろう」

「わかった。じゃあな」

 ユウが別れの言葉を言い終わると同時に、ドーガは姿を消した。

 消える間際の、ドーガの悲しげな微笑が印象に残っていたが・・・その表情にこめられた真の意味を知るはずもなく、ユウたちはダルグ大陸をあとにした。

 

「・・・じゃあ、ノアとバハムートは知り合いだったっていうのか?」

 自動操縦に切り替えたノーチラス内の食堂で、ユウとジョーは遊戯盤を挟みながら会話していた。隣の船室からは、メグが奏でるリュートの音色が聞こえてくる。奏者の腕がいいのか、リュートに宿る力のおかげなのかは不明だが、数時間練習しただけとは思えないほどその旋律は美しかった。

「うん・・・ノアが封印の呪法を使うことを切り出して、バハムートがそれに同意したって感じだった。寿命が縮むことを覚悟で、ノアはその手段を使ったんだな。バハムートのほうが申し訳なさそうな態度だったぜ」

「今までは、ノアが力ずくでバハムートとリヴァイアサンを封印したんだと思っていたが・・・どうやら違うみたいだな」

 ユウは、夢の中で見たふたりの会話を、鮮明に思い出そうとしていた。白い駒を移動したあと、

「そういえば・・・バハムートは『こんなことになるとは、信じられない』と、どこか取り乱しているような感じだった。それに対してノアは、『自分に近しい者が関わることが分かって冷静でいられる者は、人であろうとなかろうと皆無だろう。ぼくだってまだ信じられない』と言っていたな。・・・これはどういうことかわかるか?」

「えっ?」

 ジョーは、黒い駒を盤上でウロウロさせながら考えていたが、ある可能性に思いついて駒を置いた。乾いた唇を湿すと、

「おい、それってまさか・・・バハムートの身近にいる幻獣と、ザンデが組んで闇の氾濫を起こしているってことか!?」

 ユウは頷くと、手近なところにあった白い駒と黒い駒を取り上げてくっつけた。

「ありえない話じゃないな。幻獣の力は人間のそれとは比にならないから、ザンデが欲しがっても不思議じゃない。いや、逆にその幻獣のほうからザンデを誘ったのかもしれないが・・・」

「うう・・・今更だけど、オレたちはとんでもないヤツらと戦おうとしてるんだなあ・・・」

 ジョーは、自分で自分を抱くようにして大げさに震えあがってみせたあと、ふと何かを思いついた表情で、

「・・・待てよ。寿命が縮む呪法を使ったのなら、ノアが早死にしたのはバハムートたちのせいか?」

「いや・・・そのときから既に具合が悪そうだったし、ドーガと同じように血も吐いていた。もう長くないのをわかっていて、あえて呪法を使うことを選んだんだろう。自分が生きているうちに出来る、唯一の手段だからな」

 ユウの言葉に、ジョーは額に手を当ててため息をついた。

「もしかしたらドーガたちは、間接的にノアを死なせたバハムートとリヴァイアサンを恨んでるかもしれないな・・・」

 

 冷たくそびえるシルクスの塔の最上階。地下室のように窓のない空間は時間に関係なく闇に包まれている。壁に埋め込まれているたいまつの炎が、唯一の灯だった。

と、闇の一部が歪むと、やがてひとりの若い男が姿を現した。顔の左半分を隠すほどの長い黒髪を腰まで伸ばしている。氷の彫像に魂を吹き込んだと言われたら信じてしまいそうな、血が通っていないのではと思わせる白い肌、切れ長で鋭利な銀の双眸、薄い唇。ザンデだった。

ザンデが現れるのとほぼ同時に、彼の前の空間も歪み、白い衣をまとったヘキナも現れていた。ふたりの距離は、ちょっと手をのばせば抱擁を交わせるくらい近かった。

「ヘキナ。あれは出来たのか?」

「はい、ザンデさま。先程仕上がりましてございます」

「見せてみろ」

 ヘキナは螺鈿の箱を取り出すと、おもむろに蓋を開けた。中におさまっていたのは鋭い黒に輝く仮面だったが、奇妙なことに、その仮面は左半分の部分しかなかった。奇抜さでは群を抜いているかもしれないが、これをつけて仮面舞踏会に出るには少々頼りないだろう。

「ふん・・・なかなかのものだな」

 だが渡された側のザンデは、仮面が半分しかないことに何の疑問も口にせず、取り上げるとそっと顔に当てた。

「気に入った。ご苦労だったな、ヘキナ。もう下がっていいぞ」

「はっ・・・」

 ヘキナが消えると、ザンデはつけたばかりの仮面にそっと触れた。これだけで、自分が完璧な存在に少し近づけたような気がする。

 そうだ、自分は完璧な存在にならなくてはいけない。ただ純粋なだけのヤツらにはなることができない、完璧な存在に・・・。

 ここまで考えて、ふとザンデは師匠であるノアのことを思い出した。心の中で問いかける。

 ノアさま・・・人間の生命を捨て、こうなってしまった私を軽蔑していますか?しないわけないでしょうね。でも、私は怖かったのです・・・。

 

サロニア大陸南部のヒーズ山脈に、ウネが眠るほこらがあるというドーガの言葉をもとに、ユウたち三人はサロニア大陸沿岸から徒歩で、その場所を探していた。季節は初夏だというのに肌寒い気候で、三人は冷えた腕をこすりつつ歩を進めていた。

 冬の名残の雪帽子をかぶった山々が立ち並ぶ中で、ただひとつ闇がぽっかりと口を開いている奇岩を見つけたのは、ノーチラスを降りて一時間後のことだった。思い切って飛び込むと、中には暖かい空気がたちこめていて、思わずホッと息をついた。と、ユウたちを待ち構えていたかのように、壁にかけられていたランプに火がともった。続いて、パタパタという羽音とともに一羽のオウムが飛んでくる。

「あ、マグ・・・か?」

 鮮やかな黄色と緑の羽に見覚えがあったユウは、思わずオウムの名前を呼んでいた。オウム――マグはそれをいぶかしがる様子も見せず、

「きみたちが光の戦士だね、ドーガから聞いてるよ。ウネを起こしに来たんでしょ?こっちに来てよ」

 マグに案内されて奥に行くと、小さなベッドと来客用のテーブルがあるだけの簡素な部屋にたどり着いた。ベッドで眠っている人物を覗き込んでみて、

「あれっ?」

 思わずジョーが驚きの声をあげた。驚いているのはほかのふたりも同じだった。

 ベッドで眠っていたのは、自分たちとそう変わらない――十五、六才と思われる亜麻色の髪の少女だったのだ。その姿は昔絵本で読んだ眠り姫のようだった。

「こ、こいつは誰だ?」

「きみたちが会いに来たウネだよ。眠りについてから身体の成長が止まっているから、ドーガと違ってずっとこの姿のままなんだ。冬眠と一緒だよ」

 ジョーの問いを予期していたかのように、マグは答えた。

「眠っているって・・・三百年ずっとかよ!?」

「正確には、えーと・・・二百九十四年だね。でも、そろそろ起きてもらわなきゃ。さあ、そのリュートを弾いて」

「あ、うん・・・」

 メグはリュートを取り出すと、弦に指を添えた。楽器にはいい思い出はなかったが、そんなことは言っていられない。落とさないようにリュートをしっかりと固定させ・・・演奏を開始した。

 それからの数分間は、よく覚えていない。自分が演奏しているというより、指が勝手に動き、楽器自らが旋律を放っているような感覚を覚えていた。自分がリュートと同化して、身体がリュートの一部になってしまったのではないかとすら思った。身体から離れた魂が、この部屋のどこかでリュートを奏でる自分を見、聞いているような気がしていた。音色が美しいとしたら、それはリュートの手柄であって、自分ではないと思った。

 陶然として聞き入っているのは、ユウ、ジョー、マグも同じだった。春の暖かさと情感にあふれ、聞いているだけで心が癒され、澱みや重苦しさなどの負の感情をすべて洗い流してくれる、それを実感できる力がこの旋律にこめられていた。

 異変が起こったのは、終わりまでもう少し、というところだった。眠っているウネの顔に一本のシワが刻み込まれたのをきっかけに、その身体がどんどん老化していったのだ。艶やかな亜麻色の髪はパサパサの白髪に、肌は水気を失ってどんどんシワが増え、頬はこけ、全身は空気の抜けた風船のように縮んでいく。

「なっ・・・!?」

 ユウたちは驚愕のあまり呆然とその光景を見ていたが、メグの反応が顕著だった。

「だめ、やめてー!」

 金切り声で叫びながらリュートを数回叩いたが、旋律が流れるのを止めることはできなかった。リュートがメグの手を借りずに、自分だけで歌っているのだ。「また呪いの楽器にとりつかれた!」という恐怖感が頭の中に閃いた。やっと音色が止まると、メグはリュートを床に叩きつけようとして、慌てて手を下ろす。そして脱力したように肩を落とし、嘆息した。ユウとジョーはなんとも言えない顔でメグを見ていたが、なぜかマグは平然としていた。と、

「う・・・む・・・」

 老化したウネが、ベッドの中で寝返りを何度か打つと、大きく息をついた。そして、ゆっくりと目を開ける。ベッドのそばまで飛んでいったマグが、

「ウネ、おはよう」

 と声をかけた。ウネはまだトロンとした目で、

「うん?マグ・・・ああ、そうか。やっと来たんだね?寝すぎで疲れちまったよ・・・」

 身体を起こすと、ウーンと伸びをした。目をこすったあとユウたちに目を向けると、

「ようこそ、光の戦士。事情は知ってるから、とりあえずそこに座ってな」

 ウネが隣室に消えていくと、ユウたちは狐につままれたような顔を見合わせたのだった。