老人――魔道師ドーガの言葉に、半ば予想していたとはいえ、ジョーとメグは軽い驚きを覚えた。
「あなたが、ノアの弟子のひとりなんですね?では、ここは・・・」
「うむ。もともとはノアさまとわしら三人の弟子が住んでおった。だが、今ここにいるのはわしと・・・」
 ドーガが顔を横に向けると、いくつもの影がぱたぱたという音とともに飛んできた。メグが顔を向けて、たちまち顔を輝かせる。
「あっ、これ・・・」
 音の正体は、白い猫に蝙蝠の羽を生やしたような動物だった。全部で五匹。クリンとした青い十個の目が、自分たちを見つめている。
「絶滅寸前と言われているモーグリですよね?本物を見るのは初めてだけど、可愛い!わあ、すごくふかふかしてる!」
「クポ!」
 早速一匹のモーグリの頭をなで始めた。なでられている側も悪い気はしないようで、目を閉じてゴロゴロと喉を鳴らしている。しばらくの間、珍しくはしゃぎながら夢中でなでたり喉をくすぐったりしていたが、ドーガの咳払いで慌ててわれに返った。
「・・・気持ちはわからないでもないが、とりあえず仲間を休ませるのが先ではないか?」
「ご、ごめんなさい・・・」
「そうだよ、オレだっていい加減重いんだからな」
 ジョーは、背中のユウを顎でしゃくった。
「ともかく、寝室に連れて行こう。ああ、おぬしたちの船は、すでに館の前に止まっているから心配せんでいいぞ」
 ユウを背負ったジョーとメグは、ドーガのあとをついて行った。

「ふうむ・・・これは・・・」
 ドーガは、ベッドに寝かされたユウに気付け薬を飲ませたあと、何かの本を捲りつつ診察していた。
「あの・・・何の病気なんですか?」
 メグが心配そうな表情で訊いたが、その両腕には、先ほどのモーグリがぬいぐるみのように抱きかかえられていた。余程気に入ったのか、それとも隠せぬ不安と緊張を少しでも和らげたいがためなのかは、ジョーにもわからなかった。ドーガは立ち上がり、
「部屋を移ろう。詳しい話はそれからじゃ」
 ドーガは客間まで戻ると、ふたりに席を勧め、人数分のお茶を入れてから語り始めた。
「あれは病気ではない。意識が別の世界に旅立っているだけだ。しばらくすれば目を覚ますだろう」
「別の世界?」
 ジョーはホッとする一方、ふとガルーダ戦でサロニードに会ったときのことを思い出していた。
「仮死状態みたいなものか?」
「それとはまた別じゃ。率直に言えば、今彼がいるのは夢の世界なのじゃ」
「夢の世界?じゃ、単に眠ってるだけってことか?」
「いや・・・無理やり引き込まれたと言ったほうがいいな。おぬしらは眠ると夢を見るだろう?あれは、眠ることによって意識が身体から離れ、夢の世界にたどり着くからじゃ。そのときの当人の心の状態によって、いい夢を見るときもあれば、悪夢のときもある。何らかの悩みを抱え込んでいるときは、いい夢を見るときのほうが少ないじゃろ?そればかりは、夢の番人にもどうすることも出来ない」
 ドーガの言葉に、ふたりは頷いた。
「た、確かに・・・でも、引き込まれたってどういうことだ?」
「その前に・・・彼が倒れたのは、ダルグに入ってすぐだと言っていたな?」
「はい、そうです。その前から気分が悪そうにしていたけど・・・」
「おそらく・・・ここに来たとき、この大陸を漂っている残留思念が、彼の魂とシンクロしたのだろう。今は残留思念の持ち主の過去を見ていると思われる。ウネだったらもっと上手い説明が出来るんじゃろうが・・・ああ、ウネというのはわしと同じく、ノアさまの弟子だった者じゃ。ノアさまから夢の番人を受け継いでいるので、時々わしの夢の中に現れては、一方的に予知や用件を告げていく。今朝も、おぬしらが来ると言っていたから待っていたのだが、船の様子がなんだかおかしい。このままだと館に突っ込まれそうだったので、館と船の空間をつながせてもらったんだよ」
「す、すみません・・・」
 メグは、赤面して頭を下げた。ジョーは仏頂面で鼻を鳴らし、
「ぶつからなかったんだからいいだろ、別に。ところで、ノアの弟子はあんたとウネってヤツを入れて三人いるんだろ?もうひとりは何ていうんだ?」
 ドーガが答えるのに、なぜか少し間があった。
「・・・ジッタ。ノアさまの一番弟子じゃった」
「ジッタさんとおっしゃるんですね。その方は今、どちらに?」
「今、ジッタはここから北にあるシルクスの塔にいると思われる。そして・・・土のクリスタルの力を我が物にし、この世界に闇をもたらそうとしている・・・」
 思いもかけない言葉に、ジョーとメグは一瞬絶句した。と同時に、思い出したことがある。オーエンの塔で戦ったメデューサと、偽ゴールドルが口にした名前は・・・。
「それって、まさか・・・」
「ザンデのことか!?」
 ドーガは、重々しく頷いた。ジョーの手から、唇に当てられる寸前だったお茶のカップが滑り落ち、床に鋭い破裂音を響かせた。
「・・・ザンデは、あなたたちの兄弟弟子だったんですね」
 ようやくメグが蒼白な顔で口を開いたのは、たっぷり一分以上経ってからのことだった。
「その通り。わしらがここに来たのはまだ子どものときだが、すでにジッタ・・・ザンデはいた。まだ赤子で道端に捨てられていたのを、ノアさまが拾って育ててきたのだそうだ。そのときから、彼には何かがあった。ノアさまとはまた違う、全身からほとばしる何かが・・・子ども心に、わしは思ったものじゃ。『ジッタは神に選ばれた、いや、神そのものかもしれない』ってな。そんなものいるかどうかわかりゃせんが」
「それが、何で?」
 自分が落としたカップの破片を慎重に拾い集めていたジョーが訊いた。
「今から三百年ほど前、ノアさまが逝かれた。その際遺言により、わしには魔力、ウネには夢の番人の力、そしてザンデに人間の生命が託された」
「人間の生命?ザンデは人間じゃないんですか?」
「というより、わしら三人とも人間ではない。自分の正体が何なのかすら知らない。この姿も、ノアさまが作ってくださった、成長する人工生命体に身体と魂を閉じ込めているだけにすぎんよ。ザンデだけが、完璧な人間の身体と魂を授けられたのだ。今思えばその行動は、ノアさまは魔力が一番強かったザンデのことを気遣ってのことだろうな。恥ずかしながら、当時は『なぜジッタだけ・・・』とノアさまを恨み、ザンデを妬んでしまったんじゃよ」
「ノアがザンデに魔力を渡さなかったのは、力の暴走を防ぐため・・・ですね?」
「うむ。ノアさまが亡くなられたとき、まだザンデは十にもなってなかったからな。子どもの身には、多大すぎる魔力は負担をかけるだけだ。そういう意味では、わしが一番出来の悪かった弟子ということになるかもしれないが・・・」
 ドーガは自嘲気味に言った。ノアなりに、適材適所を考えた末で決めたことだったかもしれないが。
「それからしばらくして・・・十歳の誕生日に、突然ザンデは出て行ってしまった。何があったのかは知らないが、『つまらないものを与えられて喜んだ自分が恥ずかしい』と書き置きを残して。・・・あとは、おぬしたちの知っている通りじゃよ。わしらの知るジッタは、もうどこかに行ってしまった・・・」
 ここまで言ったとき、ドーガは激しく咳き込んだ。口に当てた手から、にじみ出るように血が流れ出し、床に落ちる。
「大丈夫ですか!?」
 近づこうとするメグを手で制し、懐紙で口をぬぐった。そして、口の中にまだ残っている血とともに、お茶をグイと飲みこむ。
「案ずるな、大した病ではない・・・ここを出たら、ウネに会うがいい。彼女は、ここから北西にあるほこらで眠っている」
 そう言うと、ノアはテーブルの横に置いてあったこうりをあけ、一本の撥弦楽器を取り出した。木製でマンドリンに似ているが、洋梨を半分に割ったような形状をしているのが違いだ。
「これは・・・リュート、ですよね?」
「ノアさまのリュートじゃ。これを奏でれば、ウネを呼び出すことができる。持って行きなさい」
 リュートを受け取ろうとしたメグの手がピタリと止まった。吟遊詩人になれば、基本的な曲くらいは弾くことができるだろう。だが、「楽器を演奏する」という行為に、ダスターでの出来事を連想してしまう。自分の心につけこまれ、呪われた竪琴と曲にとりつかれてしまったことを。躊躇するメグを、ジョーが突っついた。
「おい、何固まってるんだよ」
「心配しなくても、ノアさまの霊にとりつかれたりはせんよ」
 メグは、急ぎリュートを受け取った。ためしに弦をピンピンとはじいてみるが、とくに音が狂っているということはない。
「さて、あいつが起きるのはいつになることやら・・・」
 ジョーはそう言って、寝室の扉をにらみつけた。彼は今、どんな夢を見ているのだろうか。