その翌朝。アルスから譲り受けたノーチラスに乗り込んだユウたちは、早速離陸準備に取り掛かった。といっても、荷物はすでに積み込まれているから、ユウはすぐに操縦桿を握り、ジョーとメグはそれを見ているだけだった。やがて、足下を持ち上げられるような、すーっという不思議な感覚とともに機体がどんどん上昇する。不快な揺れは感じなかった。窓に駆け寄ったメグが、
「あ、もうこんなに浮いてる!」
 ジョーがメグの真似をして窓の外を見ると、ノーチラスがサロニア城の上を飛んでいる。アルスが屋上に立って手を振っているのが見えた。ふたつの塔の窓からは、兵士たちや侍女たちが身を乗り出して手を振っている。メグは思わず手を振りかえしていた。
「相手に見えてるわけないのに・・・」
 ジョーが呆れたように言ったが、メグはその言葉も耳に入らぬかのように手を振り続けていた。
「おいユウ、おまえも何とか言ったらどうだ?」
 ユウは壁に貼られた地図を凝視しながら考えていた。レプリトで聞いた情報とサロニア城の書庫で仕入れておいた知識を総合すると、希代の大魔道師ノアは、ダルグ大陸で生涯を過ごした。亡くなったのはおよそ三百年ほど前だといわれており、享年は諸説あり。
 ノアには、三人の弟子がいた。そのうちのひとりは、ノアの死後、現在もダルグ大陸にある館に在住している。ほかのふたりの消息は不明。  ダルグ大陸の入り口の岬は嵐が吹き荒れ、何人たりとも寄せ付けないことから「拒絶の大陸」とも呼ばれている。だが、ノーチラスの速度なら嵐を乗り越えることも容易だという。
 また、ノアの死後冬に閉ざされていることから、「万年冬の大陸」ともいわれている。
 とりあえずはっきりしているのはこれくらいだ。といっても、当時の学者が書き残したことであって、弟子自身の記録や証言などはないので、全部真実だとは言い切れないかもしれないが。歴史書に誇大表現や知られなかった真実、意図的に葬られた真実は常に付きものなのだ。

「実際にダルグに行くのが一番だよな」
 ユウがこの言葉を発したのが、ジョーが問いかけた直後のことだった。
「話かみあってねえ・・・もうそっちのほうに考えを働かせているなんて、真面目人間というかなんというか・・・」
「その前にダスターに行くのを忘れないでね」
 メグが念を押すように言うと、われに返ったユウは、
「わかってるよ、心配するな」
 サロニアからダルグ大陸に行くには、北東に進路をとったほうが早い。だが、ダスターは南にあるので正反対に進むことになる。日数もそれだけかかることになるが、ノーチラスの速度ならそう大きく遅れることはないとユウは判断し、舵をとった。

 ノーチラスの速さは予想以上だった。サロニアを発った二日後にはダスター島に到着していたのだ。前の船だったら、少なくとも四日はかかっていただろう距離だ。
 森の中を歩いて村に向かう。以前来たときまた小さなつぼみだった花は、鮮やかに咲き誇っていた。
 ユウたちが酒場に入ったとき、デュオとリリーナは歌の練習をしていたところだったが、三人に気づくと嬉々として歓迎の態度を見せた。
「あまり時間がないので、率直に言うけど・・・」
 ユウはデュオに、サロニアでの調査結果を簡潔に話した。トレーズたちはすでに死んでいること、ただひとり処刑を免れたユイは、つい先日ある人と結婚の約束を交わしたこと。デュオはそれらをずっと暗い表情で聞いていたが、ユウの話が終わってしばらくすると、やっと顔を上げた。
「覚悟はとうに出来ていました・・・トレーズたちはもういないのだと。ユイが無事だと分かった以上、今は彼女の幸せを願うばかりです」
 デュオの表情は変わらぬままだったが、ユウたちには、彼は突きつけられた事実に悲しみ、泣いているのだと察した。リリーナは、そんなデュオを黙って見ているだけだった。
 リリーナからの夕食の誘いを丁重に断り別れを告げると、すぐにダスター島を出発し、空路を南に向けた。ダルグ大陸の入り口の目印である、逆さ十字型の半島を求めて飛び続けること数日。
「もう少し東」
 サイトロの魔法で地形を見ていたメグの言葉に従い、ユウはノーチラスを移動させた。だが今度は、
「あ、行き過ぎた!西に戻って!」
 東に行っては西に戻り、北に進めば南に戻る。この繰り返しがすでに半日近くも続いていた。半島が小さく、しかも大陸のほとんどが山脈に囲まれているため、どこにもぶつからないように移動させるのも一苦労だ。ジョーはかなり苛立っていた。壁に拳を叩きつけながら、
「くそ、速度調節できないのかよ!」
「不良品をつかまされたんじゃねえのか!?」
「なんて融通のきかない船だ!」
 誰に言うでもなく癇癪を起こしていた。つい前日まで、ノーチラスを便利だの世界一の船だのと言っていたのに勝手なものだ、とユウは心の中でぼやいていた。とはいえ、苛立っているのは自分も同じだったが。
 幸いにも、ジョーが完全に怒りを爆発させる前に、ノーチラスは大陸に入ることが出来た。外を強風が吹き荒れているとは思えないくらい、快調に進んでいく。一時間もかからずに半島を通り抜けると、窓に雪がこびりついては消えていくのが見えた。どうやら吹雪らしい。だが、この頃からユウの様子がおかしくなっていた。顔面蒼白になり、両手は小刻みに震える。
「ユウ!?」
 いち早く彼の異変に気づいたジョーがすばやく操縦をかわり、メグがユウを食堂の椅子に座らせた。
「ユウ、大丈夫?
 メグが訊いたときには、ユウの額には脂汗が浮き、拳を額にあてながら荒い呼吸を繰り返していた。
「頭が・・・痛いんだ」
 吐き気の症状を覚えていたユウは、口をきくのもやっとという感じで答えた。目を開けているのも辛いので、ずっと閉じている。まだ飛空艇に慣れていないときに、何度か頭痛を起こしたことはあるが、ここまでひどいのは初めてだった。頭の芯に、針を直接刺されているような痛みだった。
「熱はないみたいだけど・・・少し休んだほうがいいわ。館に着いたら起こすから」
「そうさせて・・・もらうよ・・・」
 力の入らない身体を必死で立ち上げ、歩き出そうとするが、彼が覚えているのはそこまでだった。目の前が墨をぶちまけられたかのように真っ暗になり、のけぞるように大きくよろけたかと思うと、椅子を巻き込むようにして床に勢いよく倒れこむ。
「ユウ!ユウーッ!」
 メグの叫び声も耳に入らず、床に倒れたときの衝撃も感じることはなかった。
 そして、彼の意識はそのまま夢の世界に旅立っていった。
「おい、どうした!?」
 メグの叫び声を聞きつけてか、ジョーが駆け込んできた。
「立ち上がったら、急に倒れて・・・」
「ちっ・・・仕方ねえな、部屋に運んでやるか」
 ジョーがユウを背負い、メグはユウの部屋への扉を開けて――。
「えっ!?」
 驚愕の声をあげた。そこにあった景色は、見慣れた船室ではなかった。
 ポットとカップが置かれたテーブルと長椅子。柱時計。棚に飾られた銀の置物。まるで、どこかの客間かと思えるような部屋が、目の前に広がっていた。
「こ・・・これは・・・」
 ジョーも予期せぬ出来事に唖然とする。と、ぎこちない足音がして、部屋にひとりの老人が入ってきた。腰は曲がり、歩調もゆっくりだが、ただならぬ気配を発していた。そのまままっすぐジョーたちに近づくと、灰色の目を向けて口を開けた。
「ようこそ、光の戦士たちよ・・・おぬしたちを呼んだのはこのわしじゃ」
「えっ?あ、あなたは一体・・・」
 メグの問いに、老人は表情を変えることなく答えた。
「わしはドーガ。大魔道師ノアの二番弟子だった男じゃ」