「この野郎ーっ!」

 ジョーの容赦ない連続正拳突きがカトブレパスに命中し、魔物は悲鳴ひとつあげることなく消滅した。

「なんなんだよ・・・来いというから来てやってるのによ・・・」

 ジョーは、額に浮いた汗をぬぐった。昨夜の夢での言葉が気になってたまらず、アルスに「落とし物を探しに行く」との口実をつけてうまく抜け出し、竜騎士の塔を訪れたのだ。だが、中に入った早々魔物の襲撃を受けた。少しでも進もうとするたびに休む暇もなく襲われ続け、戦闘回数はすでに両手の指どころか、足の指を使っても数え切れない。空気も薄いせいか、五階にたどり着く頃には、ジョーの体力は限界に近づいていた。

「はあ、はあ・・・」

 鉛のような足をひきずるようにしながら、一歩一歩階段を踏みしめるようにあがる。ほんの数歩先のところに上り階段が見えるが、今の状態ではこの距離でさえもひどく長く感じられてしまう。それでもなんとか六階への階段に足をかけたとき、足元が突如ボコッと盛り上がった。

「うわああっ!?」

 咄嗟に跳躍すると、たった今までジョーが立っていた地面から、筒状の虫――サンドウォーム――が飛び出して、宙を噛んだ。あと少し遅れていたら確実に餌食になっていただろう。

「砂漠でもないのに出てきてんじゃねえよ!」

 壁を蹴った反動で勢いをつけ、そのまま体重をかけて強烈な蹴りを魔物の口の中に突っ込むと、飛び出した嫌な色の体液がジョーの身体をぬらした。

「わあ、汚ねえ!」

 バランスを崩して大きくのけ反ると、そのまま下り階段から転げ落ちそうになり、慌てて手すりをつかんだ。下は吹き抜けになっており、手を離してしまえば一階に向かって真っ逆さまだ。普通の状態なら、上に飛び上がることなどたやすいことだが、今のジョーは疲弊しすぎている。落ちないようにするだけでも精一杯だ。と、サンドウォームがズルズルと身体を引きずりながら近寄ってきた。

「く、来るな、この死にぞこない!」

 手すりをつかんでいないほうの手で追い払う仕種をしたとき、もう片方の手が汗でヌルリと滑って、

「あ・・・」

 落ちるかと思ったそのとき、ジョーの身体が白い光で包まれ、ふわりと浮きあがった。同時にジョーに食いつこうとしていたサンドウォームの姿も消えてしまった。そして、塔全体から魔物の気配そのものも消えた。

「な、なんだ・・・?」

 床におろされ、何が起こったのかわからなかったが、立ち上がるとまた階段を上がり始めた。この塔は六階が最上階のようだ。到着したとき、ジョーの脳裏に昨夜見た夢が蘇ってきた。六階の間取りは、夢で見たものとほとんど同じだったのだ。祭壇や燭台の位置、部屋の広さ。ただひとつ違うのは、部屋の両側にのぞき窓があることだった。ここからサロニアの街や城全体を見下ろすことができる。以前は見張り役や衛兵がいたのかもしれない。

「まあ、いいか・・・」

 壁にもたれかかるようにして座り込むと、のぞき窓から風が吹き込んできて、戦いで火照った身体を適度に冷やしてくれる。魔物の気配がなくなったことにひとまず安堵し、胸ポケットから最後の角砂糖を取り出して口に無造作に放り込んだ。ゴリゴリ音を立てて噛み砕くと、心なしか少しだけ疲れが消えたような気がする。そのとき、かけていた十字架のペンダントが突然まばゆい光を放ち始めた。

「あ・・・!?」

 光は一筋の線となり、祭壇の中央に突き刺さる。と、光を吸い込んだ祭壇から、ひとそろいの篭手が上昇し、光に包まれて浮かび上がった。肘までを覆う長さで、手の甲にあたる部分に翠緑の鉱石が象嵌されている。石の周りには、何か楔形文字のようなものが刻まれていたが、読むことはできなかった。ジョーがおそるおそる篭手に手を触れようとしたときだった。

「待っていたぞ、資格ある者」

 いきなり背後から聞こえた声にギョッとして振り返ると、茶髪と褐色の瞳の青年が階段の手すりにもたれ、腕組みをしてて立っていた。年は自分とそう変わらないだろう。

「だ、誰だ!?」

 思わず身構えた。予期せぬ出来事に見舞われていたとはいえ、彼の気配をまったく感じなかった自分を恥じ、それを振り切るかのように青年に殴り――かかろうとした。間違いなく青年に当たったはずだった。だが、拳は身体をすっぽぬけてしまったのだ。勢いあまってまた階段から落ちそうになるが、服をつかまれてなんとかとどまった。

「身体より頭を先に動かせ。・・・まあ、オレも人のことは言えないが・・・」

 ジョーを引き戻したあと、青年はぼやいた。

「何者だ!」

「オレはサロニード・ゴーン・レストー。初代サロニア王であり、竜騎士でもある」

 ジョーはアルスから聞いたサロニアの伝説を思い出した。

「ガルーダを倒した張本人ってことか。でも、それは大昔の話だろう?なんでこんなところにいるんだ!?」

「ああ・・・オレの肉体はとっくの昔に滅んでいる。だから、今は魂だけの存在だ。現に、オレに触ることはできなかっただろう?逆に、オレがおまえに触ることはできるがな。それに対する追求はなしだぞ」

「実体のないアンデッドと一緒だな。あれも直接攻撃が効かない割に、攻撃は食らっちまうし・・・」

「あんなのと一緒にするな!せっかくオレ自ら呼んでやったのに、なんたる言い草だ・・・」

 サロニードの台詞で、ジョーはここに来た目的を思い出した。

「そうだ、なんでここに呼んだ?もしかして、昨日オレを塔から見ていたのも・・・」

「ああ、そうだ。塔の中に魔物を呼び出して、おまえの力も試させてもらった、間違いない。ガルーダを倒せるたったひとりの資格の持ち主、それがおまえだ」

 ジョーは混乱しそうになって、額を押さえた。資格の持ち主とはっきり言われたことも勿論だが、なぜここでとうに倒されたはずのガルーダの名前が出てくるのか。ジョーの疑問を察知したのか、サロニードは再び口を開いた。

「ガルーダは間違いなくオレが倒した。だが・・・闇の力で蘇ったんだよ。そして、復讐のためにサロニア城の大臣ギガメスにとりつき、王を操っているのだ」

 その言葉は、今まで単なる推測にすぎなかったものを確信に変えた。とりつかれたのが側近というところまでアーガスと同じだったとは・・・魔物のやり方もマンネリ化してるのかな、などと思っていた。

「なるほど。蘇ったガルーダを倒すために竜騎士の力が必要なんだな?で、なんでオレだけにその資格があるんだ?ユウじゃだめなのか?」

「ああ・・・率直に言おう」

 サロニードは殊勝な顔つきに戻り、ジョーに向きあった。そして、重々しく口を開いた。

「おまえは、オレの子孫・・・つまり、現サロニア王ゴーン五十九世の・・・息子だ」

 窓から、一陣の風が強く吹き込んできた。

 

 沈黙は長く感じられた。だが、実際には一分も経っていないだろう。今の心情を、驚きや衝撃などという言葉で表すのはあまりにも短絡的だった。ジョーは、カラカラに乾いた口を開けた。

「・・・そりゃ、どういうことだい?冗談にしちゃたちが悪すぎるぜ」

「冗談などではない。おまえの母親の名はノイン・・・前の王妃だ。そして、父親は今の国王・・・つまり、おまえはサロニアの第一王子なのだよ。本名はヒリュウというのさ」

「な、何の根拠があるんだ!?」

「そのペンダントがなによりの証拠だ。それは、オレに力を貸してくれた竜からもらったもの。サロニア王家に代々伝わる宝で、国王が生まれたばかりのおまえに贈ったのだ」

 ジョーはペンダントに目をやった。確かに、先程はこれが発する光で篭手が現れた。それに、今自分の前にいる青年が現れたときから、なぜか奇妙な懐かしさを感じていた。自分の中に流れる血が反応したのだろうか。

「じゃあ、なんでオレはウルに捨てられていたんだ!?」

「詳しいことはオレも知らない。十七年前の夏のことだ・・・その日はおまえのお七夜だったのだが・・・夜中に突然サロニア全体が炎の海にのまれたのだ。宴の直後だったので、人々は何もできず逃げ惑うしかなかった。その火事で、王妃ノインは崩れ落ちた梁に押しつぶされて死んだ・・・だが、その後いくら捜してもおまえの姿は見つからず、結局火事で死んだという結論に達した。どんな経緯を経たのかは不明だが、おまえが浮遊大陸に逃れていたということは、既にそのときから光の戦士になる宿命を背負っていたのかもしれないな・・・」

 ジョーは無意識に、服の上から火傷のあとがある部分をつかんでいた。この傷が、その大火事のせいだったというのか?

「それから七年後、国王はルクレツィアと再婚し、アルスをもうけた・・・オレの話はこれで終わりだ。さあ、あまり時間がない。あの篭手をつければおまえは竜騎士になれる・・・城に行って、ギガメスにとりついたガルーダを倒してこい。今それができるのはおまえだけだ」

 ジョーは応えず、無言のまま俯いていた。サロニードはそれを見ていたが、ふとジョーが発した声に眉をひそめた。彼はクックッと声をあげて笑っていたのだ。どこか自嘲的な笑いだった。

「何がおかしい」

「黙っていれば勝手なことばかり・・・オレが王の息子で、てめえの子孫だって・・・?ふざけるな!」

 予期せぬ反応に、サロニードはたじろいでいた。その間にもジョーはまくし立てる。

「オレは孤児だ、親なんていない!王の息子はアルス・・・あいつひとりだけだっ!オレの家族は、ウルにいるじっちゃんと母さん・・・そしてあいつらだけだ!」

 ジョーは吐き捨てるように言い残すと、サロニードの反応を待たず階段を駆け下りていった。

 

 塔を飛び出したあとも、ジョーはひたすら街中を走り続けていた。その勢いと鬼気迫る表情に、周りの人間は皆大急ぎで逃げるようにして去っていった。

「何が王子だ、何が子孫だ!あの野郎、ふざけやがって・・・オレはあんなヤツの息子じゃない!」

 感情に任せて走り続ける。そして一昨日寄った食堂の角を曲がろうとしたとき、不意に誰かが目の前に現れた。そのままだと衝突は確実だったが、相手がすばやくかわしたためジョーは無様にすっ転ぶ羽目になった。

「いてて・・・気をつけ・・・」

 自分のことを棚にあげて怒鳴りつけ――ようとしたが、ののしり言葉は途中で止まった。

「悪かったよ、ジョー」

 自分がぶつかりそうになった相手は、ユウだったのだ。顔を合わせるのは三日ぶりだが、もっと長い間会っていなかったような感覚さえ覚えた。

「ユ・・・ユウ!なんでここに!?」

「話せば長くなるが・・・それより、メグが城に捕まったらしいんだ」

「な、なんで?あいつ城に世話になってたんじゃないのか!?」

「詳しいことは聞いてないが・・・間者の疑いをかけられたらしい。なんでも、偽王子も一緒に捕まえたとか・・・」

 ジョーの頭の中で、不快な渦がぐるぐる回っていた。自分の出自を知らされたことへの衝撃がまだ残っているというのに、更に混乱してしまいそうだ。

メグとアルスは、自分が塔に行っている間に合流したと思われるので、偽王子というのはアルスに間違いないだろう。ギガメスとかいうヤツに陥れられたのだろうか?

「・・・それより、なんでメグが城にいたことを知ってるんだ?」

「あ、ああ・・・そっちの説明が先だな・・・」

 ユウとジョーは街を歩きながら、飛空艇が爆撃されてからのことを報告しあった。自分たちの推理どおり、ユウは東軍に世話になっていた。傭兵として雇われたあとは、情報収集に勤しんでいたということだった。大臣ギガメスが、ガルーダという怪鳥にとりつかれていることを突き止め、王の傍にいる赤と青の二人組には要注意だという忠告もされた。

 ジョーもまた、城を抜け出してきたメグと会ったこと、城を追放された王子アルスとともに行動していたこと、メグと一緒に捕まったのは本物のアルスと思われることを話した。ただし、竜騎士の塔での出来事は割愛し、「自分が席をはずしていた隙に捕まったようだ」とだけ説明した。この部分にユウが不審そうな顔をしたので急いでその場を糊塗した。

「それより、おまえはなんでここにいるんだ?」

「ああ・・・この街にある塔に用ができたんで、城をこっそり抜け出してきたんだ。ガルーダとやりあうには、塔に眠る竜騎士の力が必要らしいんでね」

 ユウは、「本で調べた」と前置きして、サロニアの竜騎士伝説について話し始めた。内容はアルスのそれと大差ないものだったが、ジョーは適当に相槌をうっておいた。そして気がついてみると、塔の入り口に戻っていた。

「行ってくる。ジョーはここで待ってろ」

 と言われたが、ユウが塔の中に入った数分後、気になってたまらなくなり、ジョーはまた塔に足を踏み入れていた。今度は魔物の気配は感じなかった。

小走りに五階まで行ったとき、上階――つまり最上階からユウの悲鳴と、何かが激しくぶつかる音が響いてきた。

「ユウッ!?」

 慌てて階段を駆け上ると、壁際にユウが倒れていた。そして、祭壇上には光を放った篭手がさっきと変わらない状態で浮かんでおり、サロニードの姿はどこにもなかった。ユウの身体を支え、

「おい、大丈夫か!?何があった!?」

「くそ・・・あの篭手を取ろうとしたら、いきなり弾き飛ばされたんだ・・・頭の中に、『資格なき者は去れ!』と声が響いてきて・・・どうやら、おれは違うらしいな・・・悔しいけど・・・」

 ジョーは顔を上げて篭手を見た。おそらく、自分に取ってもらうのを待っているのだろう。今ここで祭壇に近づき、篭手を手にすればいいだけの話だ。だが、そうすると・・・。

「仕方ない・・・」

 ユウは立ち上がった。その口調には悔しさがにじみ出ていた。

「竜騎士の力なしでも、ヤツと戦ってやる・・・おい、おまえは黒魔道師になっておけ」

「あ、ああ・・・」

 ジョーは、ゆっくりと階段を下りるユウのあとをついて行ったが、心の中で呟いていた。

 なりたいヤツにならせてやりゃあいいじゃねえか――と。