メグの意識は、終わりのない闇の中をふらふらと漂っていた。見えるわけではないが、今の自分は、暗く冷たいところにいるのだと感じていた。なんでこんなところに・・・と考えたとき、思い出した。
 ああ・・・そうだった。あいつらに襲われたんだわ。ということは、ここはお城の中なのかしら?アルス、無事でいるといいんだけど・・・。王さまに会えずじまいじゃ可哀想すぎる・・・。
 そんなことをぼんやりと考えていたときだった。
 ――親が子供を疎むわけない、か・・・親を知らぬおまえが、よくもそんなきれいごとを言えたものだな――
 また、あの声が聞こえてきた。直接脳に突き刺さるような耳障りな声だ。
 ――なら、教えてもらおうか。おまえの親は、なぜおまえを捨てたのだ?しかも、豪雨の中あんなところに放り出して・・・あれは死んでもかまわないと言う意志の表れだろう?――
 きっと、何かの理由があったのよ・・・。メグは動揺する心を抑えて、必死に抵抗を試みた。
 ――それはおまえが自分を維持するために、そう思い込みたいだけだ。期待と言うものは裏切られるためにあるのだ。おまえは恐ろしい力を持った魔女で、疎ましく思われて捨てられた・・・そう考えるほうがよほど自然ではないか?つまり、あの三人組の言うことは正解だったと言うことだ――
 違う、わたしは、魔女なんか、じゃない・・・!

 目を開けて真っ先に感じたのは、首への圧迫感と不自然な息苦しさ。その次に感じたのは、手を強く引っ張られているような痛みと、奇妙な浮遊感だった。こもったような空気を吸い込もうとして、猿轡をかまされていることに初めて気づく。顔を上げると――。
「やっとお目覚めですか、待ちくたびれてしまいましたよ・・・」
 暗さに慣れた目に最初に映ったものは、自分の前に立つ赤い服を着た男だった。その後ろでは、青い服の男がのんびりお茶をすすっている。兵士から、赤と青の二人組のことは聞かされていたので、彼らがそうだとすぐにわかった。そして、天井から吊るされた黒い鎖が、両手首にきつく巻きつけられている。痛みの原因はこれで、浮遊感は地面に足がついていないせいだったのだ。
「ここは城の地下取調室です。いくら声を出しても他の者に聞こえることはありませんからご安心ください。あ、今は話せないんでしたね、はずしてあげましょう」
 赤の男は、冷ややかな笑みを浮かべながら猿轡をはがした。メグは荒い呼吸を繰り返しながら辺りを見回した。
 壁や床など、窓もなくすべてが石で作られているその部屋は、巨大な石棺のようだ。心なしか空気も薄く感じられる。壁にかけられている剣やヤリは、罪人を尋問するさいに使う道具なのだろうか?それとも、この場で・・・?メグの身体に戦慄が走った。
「言っておきますが、魔法を使って逃げようなどとは思わないでくださいね。すでに手は打ってありますので・・・」
 言いながら、赤の男は円形の鏡を取り上げ、メグに見えるように掲げてみせた。首に、冷たく光る銀色の輪がはめられている。
「あなたが魔法を使おうとすると、魔力の流れに反応して、首輪から刃が飛び出すように出来ています。よーく手入れしてありますからね、あなたの喉を貫くことくらいたやすいことですよ。わかったら大人しくこちらの質問に答えることですね」
「質問ですって?それより・・・」
 アルスはどこ、と言おうとしたとき、取調室の扉が開いて、西軍兵士長フェイが入ってきた。
「フェイさん・・・」
 名を呼ぼうとして、メグは違和感を感じた。フェイは、束縛された自分を見ても一向に驚いた様子を見せなかったのだ。まるで、捕まっているのを前から知っていたかのようだった。フェイはそのまま甲高い靴音を鳴らしメグの前まで移動した。その動きは機械的なものすら感じさせた。
「貴様のような小娘が間者だったとはな・・・すっかり騙されてしまったよ」
 フェイは、空洞のように感情のない目をメグに向けて言った。二人組は、口のはしに冷たい笑みをたたえてメグとフェイを見ている。
「か、間者!?何を言うんですか!?」
「とぼけたってムダだ。貴様は部屋に閉じこもると見せかけて隠し扉から外に出ていただろう。あれは仲間に情報を流すためだったのではないか?あの侍女をどうやって懐柔したのかは知らんが・・・」
 メグはアンのことを思い出した。まさか、彼女も捕まって・・・?
「ち、違います!わたしが無理に頼み込んだんです!アンさんは関係ありません!」
「ふん・・・どっちだっていい。アンはもう処分が決定した、次は貴様の番だ。ほかの仲間たちは今どこにいる?」
「わ、わたしに仲間なんて・・・」
 いない、と言いかけたとき、フェイの長剣がメグの胸に突きつけられていた。
「嘘をつくな!東軍に雇われたユージンとかいう傭兵は貴様の仲間だろう!?・・・さっき城を飛び出していったそうだ。それは、貴様と落ち合うためじゃないのか!?」
「そ、そんな人、知りません・・・」
 きっとジョーを捜しに行ったんだ、と思いながらも、メグは白を切り続けることにした。と、ヒュっという音とともに風を感じ、頬に鋭い痛みが走った。メグの真横にタン、という音を立てて小さなナイフが突き刺さる。
「兵士長、あなたのやり方は手ぬる過ぎますよ」
 赤の男がニヤニヤしながら立ち上がった。右手に四本のナイフを持っている。それをそのまま投げつけた。
「うっ・・・」
 四つの刃に両腕と両足を切り裂かれ、メグは痛みに呻いた。
「そうそう、私はこんなこともできるんですよ」
 何も持っていない男の右手が、目にも止まらぬ速さで突き出された。直後、脇腹に衝撃が走り、
「ゴホッ!」
 メグの口から押し出された血まじりの空気が飛び出す。クラーケンに矢を撃たれたときの激痛に酷似していたが、不思議なことにメグの身体も服も傷ついてはいなかった。
「どうですか?私は、風圧を塊にして武器にすることが出来るんですよ。しかも直接体内に働きかけるから、その玉のお肌は傷つけないで済む。女性用に考えられた、最良の攻撃方法でしょう?・・・さて、もう話す気になりましたか?」
「し、知らない!」
 赤の男の問いに、メグは激しく首を振った。死んでも話す気などなく、いざとなったら舌を噛んでやる、とまで思っていた。
「強情ですねえ・・・仕方ない、いいものを見せてあげましょう」
 赤の男が振り向くと、青の男が頷き、先程の鏡を持ってきた。
「あなたが気になっていることを教えて差し上げますよ」
 鏡の表面がどよどよ大きく波打つと、鏡の中に別の部屋の光景が映し出された。天井から吊り下げられたシャンデリア、ふたつ並んだ大きなベッド。掃除は行き届き、整頓された調度品は規則正しい位置に設置されている。自分が運び込まれた部屋に似ているが、窓があるので、塔の中ではない。城内にある、来客に提供される部屋だろうか・・・?そんなことを考えているうちに、鏡はベッドに座り込んでいるひとりの少年を映し出した。
「アルス!」
 アルスの無事に、とりあえずは安心した。本当はそんな状況でもないのだが・・・。
 アルスは、彫像のようにじっと身じろぎもせず、両手を組み合わせ、顔を伏せて床を見つめたままだった。メグにはその表情を見ることは出来なかったが、彼が不安な気持ちになっているのが手に取るように分かった。メグは鏡を凝視することに集中することにした。

 コンコン。不意に聞こえてきた扉を叩く音に、アルスが顔を上げる。
「誰・・・?」
「アルス・・・私だ、開けてくれぬか」
 声を聴いた瞬間、アルスの顔がぱっと輝いた。立ち上がるなり、
「父上!」
 そしてためらうことなく扉を開ける。自分の前にいたのは、紛れもない自分の父、ゴーン五十九世だった。最後に会った時と比べていささかやつれていたが。
「父上・・・会いに来てくださるとは思いませんでした」
「アルス・・・おまえが戻ってくるのを待っていたのだよ。入っていいか?」
 アルスが頷くと、王は部屋の中に足を踏み入れた。それを追ったアルスが、
「あの、父上。ぼくと一緒にいた人は・・・?」
「ああ、あの娘なら別の部屋に通した。おまえを捜すためとはいえ、嫌な目に遭わせてすまなかった。おまえたちを襲ったやつらには罰を与えるので安心するがいい」
「そ、そうですか・・・」
 メグも城内にいると知りホッとしたアルスは、さきほど侍女が運んできた紅茶のポットを取り上げると、花柄のカップに注いだ。あたりにふわっと広がるバラの香りで、胸のつかえが取れたような気がする。
「父上、どうぞ・・・」
 カップを差し出そうとして・・・アルスは信じたくない光景を目の当たりにした。王が――短剣を持った王が、自分に襲い掛からんとしている!
「うわあっ!?」
 アルスは慌てて身をよじった。黒い短剣の刃が空を切り、勢いよくぶちまけられた紅茶が床にしみを作り、カップの破片が散らばった。
「ち、父上・・・!?」
「アルス・・・おまえが邪魔なのだ」
 王の目はつりあがり、その顔は幽鬼のようだった。ついさっきまでここに立っていた人間と同一人物とは思えない。と、いつの間にかもうひとり、男が入室していた。大臣ギガメスだった。目の冷たさは、王とひけをとらない。
「ギ、ギガメス・・・」
「おわかりでしょう、アルス王子?陛下はあなたを殺してしまいたいくらい疎んじているんですよ。王子が陛下のことを愛しているなら、王のお望みどおりに死ぬのが親孝行というものじゃないですか?」
「そ、そんな・・・」
 アルスはガクリと膝をついた。同時に、今までの出来事や父との思い出が走馬灯のように頭の中で回る。城を追放されたときも、きっと許しを得て戻れるものだと信じていた。だから辛いことも悲しいことも我慢することが出来た。日が経つうちに疑いを持ち始めるようになってしまったが、メグの言葉で思い直した。だが、その願いもたった今木っ端微塵に打ち砕かれた。気づかないうちに、涙がとめどもなく溢れてきた。
 ぼくは必要ない子だったんだ。父上だって今はっきりそう言ったじゃないか。それなら、最後くらい父上の願いを叶えてあげよう。そうすれば、ぼくもこれ以上苦しまずに済むし、父上だって幸せになれるはずだ・・・。
 そう言い聞かせると、アルスは決心したように顔を上げた。短剣を持ったまま立ち尽くしている王に、
「わかりました・・・父上のためなら、この生命喜んで捧げましょう・・・その短剣を貸してください。父上の手を血で汚すくらいなら、自分の手ですべてを終わらせます」
 この台詞に、ギガメスも鏡越しに見ていたメグも驚いた。王の表情は動かないままだった。
「アルス、ダメよ!」
 聞こえはしないとわかっていても、メグは呼びかけずにはいられなかった。一方ギガメスは、
「王子・・・変なことを企んでいるのではないでしょうね?私たちが襲われちゃたまりませんよ」
 アルスは首を振った。
「いいえ・・・覚悟は出来ております。信じられないなら、ぼくから離れていてください」
「そこまで言うなら信じてあげましょう・・・陛下、いいですか?」
 ギガメスが訊くと、王は無言のまま短剣をアルスに手渡し、ふたり揃って扉の近くまでさがった。仮にアルスがふたりを刺そうとしたとき、外に逃げるための保険だ。アルスは哀しげな顔で王を見ると、短剣を喉もとにつきつけ、言った。
「信じてもらえないかもしれませんが・・・ぼくはあなたを尊敬しておりました・・・父としても、国王としても・・・あなたの息子になれて、本当に幸せでした」
「アルス、やめて!アルスーッ!」
 メグは狂ったように鏡の中のアルスに呼びかけていた。だが、その声も赤の男によって遮られる。黙れとばかりに、風圧の塊を飛ばされたのだ。
「さようなら、父上・・・」
 短剣が、アルスの喉に肉薄する。
「いやーっ!」
 そのとき、メグの叫びと呼応するかのように、首飾りが不思議な光を放った。
 直後、寝室に大量の血しぶきが飛びちり、寝室と取調室の扉が開いた。