翌朝。小さな袋を持ったメグは、小走りでジョーとの約束の場所に急いでいた。本当はもっと早く出るはずだったのだが、抜け出す直前になって西軍の兵士長フェイが部屋に来たのだ。

「朝早くにすまない。ちょっと来てくれないか?」

 そう言って連れてこられたのは、塔内の医務室だった。入ったとたん、メグは一瞬硬直してしまった。

部屋を埋め尽くすかのようにぎっしりと並べられたベッド。その上では、負傷した兵士たちが呻いている。頭や手足に巻かれた包帯ににじみ出た血は、すっかり赤茶けた色に変色しきっている。そして床には、ベッドにあぶれた怪我人たち。壁にもたれて座りこみ、微動だにしない様子は死人かと錯覚してしまいそうだ。

「勝手だとは思ったが、きみをここに運んできたとき荷物を調べさせてもらった。魔道師らしいが、白魔法は使えるか?」

 フェイの問いに、メグは反射的に頷いていた。どうやら、愛読の魔法書を見つけられたらしい。

「はい・・・白魔道師、です・・・」

「では、頼みがある。まあ、私が言わなくとも察しはつくと思うが・・・部下たちの身体を治して欲しい」

 兵士たちを見たときから楽にしてやりたい、という気持ちはあったので、メグは早速治療にとりかかることにした・・・のだが、ほとんどの兵士たちにそれを断られてしまった。

「治ったらまたあの戦場に行かなきゃならないんだ・・・だから、放っといてくれないか」

「いっそ、一息に殺してくれ・・・」

「もう戦なんてウンザリなんだよ・・・」

 相手に拒まれてしまっては、無理やり魔法をかけるわけにもいかない。仕方なくメグは退散し、フェイには「怪我の状態がひどく、わたしの魔法力では完治はしませんでした」と答えるのに留まった。それだけでフェイは何かを悟ったのか、何も言ってはこなかった。と、

「おはようございます、朝食をお持ちしました」

 数人の侍女たちが、兵士たちの食事を運んできた。そのなかにアンの姿もあった。生気の失せたような顔をしていた兵士たちだったが、アンを見た瞬間、表情がぱっと明るくなった。

「おお、待っていたぜ、アン!」

「アン、またあれを歌ってくれよ!」

 ひとりがそう言うと、アンは微笑んで部屋の中央まで移動した。そして息を軽く吸い込むと、その細身の体躯からは信じられないような声量で歌い始めた。透き通った涼やかな声が一筋の光となって空気にとけこみ、あたりに響き渡る。絹のようにつやのある、美しい歌声だった。メグもフェイも兵士たちも侍女たちも、その場にいた者は皆うっとりと聞きほれる。メグは、ダスターでリリーナの歌に聞き入ったときのことを思い出していた。あのときの心地よさと同じだ。

 歌が終わった。ほんの二、三分ほどの歌だったが、数時間も経ったように思えた。誰かが手を打ち鳴らしたのを合図にほかの人々も次々それにならい、万雷の拍手がアンを称えた。アンは頬を赤くしながらお辞儀をした。

 アンは、本当の意味で兵士たちを癒しているな、とメグは思っていた。

 

「アンさん、さっきの歌素敵でした。あれは何ていう歌なんですか?」

 部屋に戻る途中、メグは興奮さめやらぬ表情で言った。アンはありがとうございます、と前置きした後、

「実は・・・わたしも知らないんです。自分のことは何もわからないわたしが、唯一覚えているのがあの歌・・・」

 意外な答えに、メグの顔から笑みが消えた。

「それ、どういうことですか?」

「わたし・・・去年までの記憶がまったくないんです。気がついたときにはお城のお世話になっていて、そのままここで働くことになりました。ここにいれば、もしかしたら手掛かりがつかめるんじゃないかと・・・未だに何もないですが・・・」

「そうだったんですか・・・」

 メグは、アンが自分と同じ記憶喪失ということに親近感を覚えた。状況はかなり違うが。

「でも、時々思うんです。記憶をなくす前は、歌うのを生業にしていたんじゃないかって。サロニアに身内がいないということは、ひとつのところに留まらない旅芸人みたいなことをしていたのかもしれないって・・・」

「えっ・・・」

 ここまで聞いたとき、メグはデュオの話を思い出した。トレーズ団の歌姫ユイ。サロニアで王政を批判して捕まったという噂。・・・まさか、アンさんが?

 メグの顔からすっと血の気が引いたが、それに当人は気づくことはなかった。

「あの・・・大丈夫ですか?お食事どうされますか?」

「・・・あ、じゃあ、お部屋に持ってきてください。それと、今日も外に出ますから・・・」

「わかりました。兵士長さんたちに上手く言っておきますわ」

 メグは、デュオから詳しい特徴を聞いておかなかったことを後悔したが、それでも手掛かりのひとつには違いない。更には、さり気なく話しかけた兵士のひとりから、東軍の情報を得ることもできた。

「東軍が腕利きの傭兵を雇い入れたようだ・・・そいつはアーガス兵士で、名前はユージン・マックスウェルというらしい」

 これを聞いたとき、直感的にユウのことだと思った。ユージン本人は病気が原因で四年前に引退しているし、第一、ユウ以外にユージンの名を使う人間がここにいるとは思えない。

 このふたつの有力情報を、一刻も早くジョーに伝えたかった。メグは、運ばれてきた朝食のパンを袋に入れると、昨日と同じ経路をたどって外に出ていき、南東街に行った。が・・・。

 

「――それ、どういうこと!?」

 唖然としたメグは、合流したアルスに聞き返した。アルスは申し訳なさそうな顔で、

「ジョーさん、『昨日の市場で落とし物をしたらしいから探してくる』と言って出て行ったんです・・・止める間もありませんでした」

 肩を落としたメグは、悄然として街門そばのベンチに腰かけた。アルスもためらいがちに隣に座る。

「だったら、昨日のうちに言ってくれれば・・・」

 がっかりする一方、彼の言動に少し腹立たしいものを覚えていた。横を向いたまま、アルスに持っていた袋を差し出す。中にはパンがふたつ入っていた。

「持って来たの。ふたつとも食べていいわよ」

「あ、ありがとうございます・・・」

 アルスは袋を受け取って立ち上がった。

「今ぼくが住んでいる共同住宅に、両親を亡くした子がいるので、届けてきます。すぐ戻ってきますね」

 アルスが戻ってくるまで、メグは心の中で、ひたすらジョーに文句を言っていた。そのせいか、自分を見つめる複数の視線があることにまったく気づいていなかった。

 

「これからお城に行こうと思います。そして、納得いくまで父上と話し合いたい・・・」

 戻ってきたアルスは、昨夜ジョーに言ったのと同じ言葉をメグにも言った。

「たしかに、それが一番かもしれないわね」

 アーガスのときと同じく、王の側近に魔物がとりついてサロニアを支配しているのだとすれば、王は利用されているだけということになる。それなら、正気に返る望みはまだあると思っていい。

「でも・・・正直言って、父上に会うのが怖いんです」

「怖いって?」

「父上は・・・ぼくのことを嫌いなのではないかと思ってしまうんです。追放された日の父上の目は、ひどく冷たかった・・・」

内紛が始まって、他の兵士たちが次々に倒れていくのを見ていられず、思い切って父王に、これ以上戦を続けさせないでくれと懇願したが、父王は頑として聞き入れなかった。それどころか、王は「自分に逆らう反逆者」と罵り、アルスに追放を命じた。赤と青の服の男たちに城の外まで引きずられながらも、アルスは必死に父を呼んだ。だが、その呼びかけに父王は二度とふりむくことはなかった――。

「アルス・・・」

「それに、ぼくは父上の実子ではありません。ぼくの実父は、父上の弟に当たる人なんです・・・」

 アルス自身も、十歳の誕生日を迎えるまで知らなかったことだった。きっかけは、使用人の些細な噂話。すぐにでも真偽を確かめたかったが、母はそのときすでに床についていて、そんなことを訊ける状態ではなかった。そこで、おそるおそる父王に訪ねてみた。

「ぼくは、父上の本当の息子ではないのですか・・・?」

 当然、否定の返事が来るものだと思っていた。笑いながら「誰がそんなくだらないことを言ったんだ?」と言ってくれると信じてやまなかった。だがその期待は、一瞬にして打ち砕かれることになる。父は重々しく頷くと、

「その通りだ。おまえの本当の父親はマキス・・・私の弟なのだよ」

 信じたくない答えだった。呆然とするアルスを前に、王は話し始めた。アルスの母ルクレツィアは、もともとはマキスの妻だった。アルスが生まれる五年前に結婚したのだがなかなか子供に恵まれず、側近からも「側室を迎えてはどうか」と言われるようになった。

そんなとき、マキスが亡くなった。狩りに出かけて落馬したのが原因だった。夫を亡くしたルクレツィアは「今となっては、私が城にいる意味はありません」と城を出て行こうとしたが、王はそれを止めた。直後に妊娠が判明し、王は「子供には親が必要だ」と求婚した。ふたりが正式に結婚したのは、アルスが生まれた後のことだった。

 

 アルスは、耳につけている緑色のピアスをいじった。出生の秘密を聞かされたとき、「マキスの形見だ」と父から渡されたものだ。

「その日から、ぼくは父上が信じられなくなり、自然に避けるようになりました。母上と結婚したのも、ただ跡継ぎがほしいだけのことで・・・愛情なんかなかったのではないかと。母上が亡くなったのはそれから間もなくのことです。そして戦争が始まった・・・。きっと、ぼくがあの日、実子ではないことを聞きだしてしまったから、だから父上は・・・!」

「アルス!」

 メグは、考えるより前にアルスを抱きしめていた。いつの間にかアルスの瞳からこぼれていた涙を、指でそっとぬぐう。

「ね、アルス・・・本当のことを聞く前の王さまは優しい人だった?」

「え、ええ・・・そう、思います・・・」

「じゃあ、王さまは本当は、アルスのことが大好きなのよ。だから、本当の子じゃなくてもそれだけ愛情を注いでくれた。アルスだって、今でも王さまのこと好きなんでしょ?」

 メグは訊きながら、トパパとニーナのことを思い出していた。あのふたりも、血のつながりのないわたしたちを大切にしてくれた。本当の親じゃないけど、親のぬくもりを教えてくれた・・・。だから、わたしたちはふたりのことを、かけがえのない存在と思っている。

 アルスもまた、父王との思い出の記憶やぬくもりが次々に蘇ってきて、何回も頷いていた。涙が溢れてとまらなかった。

「今回のことだって、きっと何かわけがあるのよ。だから、それを確かめるためにもお城に行こう?でないと、何も変わらないと思う」

「そう・・・ですね・・・ありがとう、メグさん・・・」

 アルスが落ち着くのを待ってから、メグはアルスの手を握り締めた。

「じゃ、行きましょ」

 そう言って立ち上がったとき、メグとアルスの前に、ふたりの大男が立ちはだかった。初めて見る顔ではなかった。

「あ、あなたたちは・・・!?」

 南西街の酒場で、ジョーに叩きのめされた四人組のうちのふたりだ。額や頬にアザが残っている。男たちは下卑た笑いを浮かべると、

「よお、おまえ本物の王子さまだったんだな。昨日は疑って悪かったよ」

「その詫びと言っちゃなんだが、お城に行くなら俺たちに護衛をさせてくれねえかな?」

 メグは直感で、男たちがよからぬことをたくらんでいると思った。

「アルス、こんな人たちの言うことを信じちゃだめよ!何が目的なの!?」

 アルスを背にかばいながら、メグは男たちをにらみつけた。

「嬢ちゃん、たしかあのガキの仲間だったな・・・じゃ、本当のことを教えてやろう。お城から王子を連れてくるよう頼まれたのさ。ついでに、嬢ちゃんとあのガキも見つけ次第捕まえろ、とな」

「ひとり十万ギルだから、これで二十万ギルもらえることになるな」

 メグは怪訝な顔をした。自分が城を抜け出して街に行っているということが、なぜばれている?・・・いや、今は考えている暇などない。ジリジリ迫ってくる男たちに押されるように後退する。いざとなったら魔法を使うしかない、そう覚悟を決めたとき、うしろからアルスの悲鳴が聞こえてきた。

「アルス!?」

 反射的に振り返ってしまったメグの目に、ハゲの男に腕をつかまれたアルスの姿が映った。必然的に、正面の男たちに背を向けたことになる。しまったと思う間もなく、野太い腕がメグの首を絞めあげていた。

「うっ・・・」

メグは意識を失いその場に倒れこんだ。アルスも、総髪の男に当て身を食らわされて既に倒れている。

「ちょろいもんだぜ」

 メグとアルスの背後に隠れていた二人組は、そう言って笑い声をあげた。

 

 四人組はメグとアルスを抱えて城の裏口まで回っていた。見つけたらここに連れてくるよう指示されたのだ。待つ間もなく、赤い服の男と青い服の男が音もなく現れた。

「連れてきましたぜ。このふたりでいいんでしょ?」

 気絶したままのメグとアルスを地面に横たえると、肯定するようにふたりは頷いてみせた。

「じゃあ、早速礼金を・・・」

「ああ、そうでしたね。どうぞお受け取りください!」

 赤い服の男の手がすばやく動いたと思うと、矢のように飛び出した二本のナイフが総髪とハゲの男の額に突き刺さる。それとほぼ同時に青い服の男が動き、長剣で残りのふたりの心臓を一突きにしていた。四人がものも言わず折り重なるように倒れる。その間、十秒と経っていなかった。

「俺はこいつらを始末しておく。お前はヘキナさまに報告して来い」

「はいはい・・・」

 赤い服の男は、メグとアルスを抱えあげると城の中へと消えていった。青い服の男が四つの死体に向かって手をかざすと、男たちの身体から白い煙がゆらゆら立ちのぼり、やがて蒸発するように消えてしまった。