キングスソードの刃と、ミスリルソードの刃が激しくぶつかり合った。キンという小気味よい音を立てて、火花と金属の粉が飛び散る。戦っているのは、ユウとアーガス兵士だった。左手をまだ吊っているのでユウは右手だけで剣を持っているが、どちらが優勢かは明らかだった。対戦相手の兵士の顔には焦りと諦めの色が浮かんでいる。

「くそっ!」

 兵士は体勢を立て直すと、剣を構えなおして突進した。刃が届く直前に身体を反転させてよけるとユウの剣が一閃し、鋭い音とともに兵士のミスリルソードが遥か後方に飛んでいく。次の瞬間には、兵士の喉もとにキングスソードの刃が突きつけられていた。

「・・・そこまで!勝者、ユージン!」

 カトルは急いで左手を挙げた。そうしないと、そのまま兵士の喉を貫いてしまいそうな勢いだったからだ。それだけ、ユウの目つきは殺気立ったものがあった。だが、合図とともにユウは剣を鞘におさめた。そして膝をつくと、たった今まで戦っていた相手に、

「お手合わせ、ありがとうございました」

 と深く頭を下げた。つられたのか、相手もしりもちをついたままの体勢で慌ててお辞儀をする。副兵士長候補と噂される兵士を破った腕はもちろんだが、カトルはその態度にも感服させられていた。

「見事な腕だ。戦時中でなければ、我が兵団の師範として迎え入れたいくらいだ」

 ユウはカトルに向かって無言のまま頷く。と、パン、パンと手を打ち鳴らす音が聞こえ、訓練場にひとりの男性が入ってきた。彼の姿を見たとたん、

「ギ、ギガメス殿!」

カトルと兵士がかしこまり、敬礼してみせる。三十歳前後とみられるその男は、まとっている上質な黒絹の衣装やふたりの態度からするに兵士ではないようだ。端正な顔立ちと鋭い目つきは冷たさすら感じさせた。

とりあえずふたりの真似をしたユウに、カトルが囁いた。

「大臣のギガメス殿だ。失礼のないようにな」

 ギガメスは、ユウの前まで行くと、

「お主が新入りのユージンか。先程の手合わせ、とくと見せてもらった。無駄がなく素晴らしい剣さばき、さすがアーガスの剣を扱うだけのことはあるな」

「ありがとうございます」

「陛下の前では言えないが、私は東軍に勝ってほしいと思っている。だから、お主が来てくれて感謝しているのだよ」

 ギガメスは、口元に笑みを浮かべてはいるが、その目には感情がなく、何を考えているのか読み取れなかった。

「まずは、養生して怪我を治せ。戦うことを考えるのはそのあとでいい。期待しているぞ」

 と言い、ギガメスは右手を差し出した。

「全力を尽くします」

 ユウも同じく右手を差し出し、ギガメスの手を握り締める。刹那、何かがピリッと伝わってきた。といっても静電気のような生易しいものではなく、邪悪な瘴気のようなものだった。それもかなり強大な・・・。
 ユウはギガメスの顔を見たが、とくに変化は見られなかった。気づいていないのか、それともフリをしているのか・・・。

「では、私はこれで失礼する」

 ギガメスは身体を翻し、そのまま訓練場を出て行った。ユウは彼から目を離さずにいたが、視界のはしを不自然なものがかすめ、思わず床に目を落とした。ほんの一瞬、ランタンに照らされたギガメスの影から、巨大な羽根のようなものが生えているように見えたのだ。だが、何も不審なものは見つからず、ギガメスの影は人間のそれと相違なかった。だが、先程感じた瘴気のこともあり、単なる見間違いで片付けてしまうのはどうにも釈然としない。

ユウは、アーガスの件を思い出した。去年の大地震以降、人望があった王が突然豹変した。大地震を大陸浮上に置き換えれば、今回の件もそれと同じだ。そして、実際に事件を起こしていたのは神官ハインを乗っ取った魔物だった――となると、ギガメスに憑依するか、変装した魔物が今のサロニアを掌握している可能性は大きい。

 ユウの頭の中で、ギガメスの顔の上に要注意人物の判が押された。彼のことをよく調べてみる必要がありそうだ。と、

「――よし、訓練は終わりだ。夕食にしよう」

 カトルの言葉がユウの黙考を遮った。

 

 食堂の前でユウは少しためらうと、髪を少し乱し、目を伏せて疲れた表情を作った。内紛を無理強いさせられている者たちの中に、いきなり血色のいい人間が混じりこんできたら、違和感を感じさせるだろう。
 中に入ると、数人の兵士たちがすでに食事を始めていた。が、見慣れぬ顔のユウに注意を向ける者も言葉をかける者もなく、皆食欲があるとはほど遠い状態のようで、ほとんど料理に手をつけず席を立つ者と、蒼白な顔で強い酒をあおる者とにわかれていた。席について間もなく、沈んだ表情の侍女が食事を運んでくる。戦渦にあるにも関わらず、その内容は豪華な部類に入るほうだった。
 ユウは固いパンを千切りながら、さりげなく兵士たちの様子を伺っていた。その場にいる全員が憔悴しきっている。言葉を交わす者は皆無で、話を聞けそうな相手はいそうにない。と、そのとき食堂に自分と対戦した兵士――アレックスといった――が入ってきた。ほかの兵士と比べるとまだ顔色はマシなほうだ。
 彼に聞くか。ユウはそう決めると、オレンジソースを絡めた鴨肉を口に運び始めた。

「さっき来た大臣って、どんな人なんだ?随分若いようだけど・・・」

 わざとゆっくり夕食をとったあと、ユウはアレックスに声をかけ、「挨拶代わり」と称して酒を酌み交わしていた。ほかの兵士が退室したあと、世間話をしながら、頃合いを見計らってさり気なく探りを入れてみる。

「ギガメス殿か・・・あの人はエリート中のエリートだ。俺はあの人を尊敬している」

酒が入ったことで少しは口が軽くなったのか、もともと饒舌なのか、アレックスはギガメスの出世物語をさも自分のことのように話し始めた。

ギガメスは貧しい家の出だが、わずか十二才で文官付きの書生に合格し、その度量をかわれて五年前に大臣の職に抜擢された。このときはまだ二十五歳で、長年務めている者たちの反発も少なからずあったが、実力を重視する王の決断により半ば強行された。数年後にはほかの大臣や次官たちも、王の人選は正しかったと認めざるを得なかった。

「俊才とはあのお方のために作られた言葉なんじゃないかと思うがね」

 話の間に、アレックスはかなり酔いが回っていたが、それでもこれだけは言い忘れないとばかりに、ギガメスが今までにとった様々な政策や実績を並べ立てはじめた。それは賛美といっても差し支えないくらいで、兵士の話だけで伝記が一冊書きあがってしまいそうなくらいだった。

「――だから・・・さっき東軍に期待しているとおっしゃった、ときは、心底・・・嬉しかったね。あの方のためなら、たとえ、この生命を投げ出しても、惜しくは・・・ない・・・」

 言い終わったときには、すでに食卓に突っ伏していた。わけのわからない言葉をムニャムニャと呟いている。ユウは頬をかくと、杯に残っていた蒸留酒をひといきに空けて席を立った。アレックスに肩を貸したとき、ちょうどカトルが入室してきた。

「悪い、そいつ酒が入るとくどくなってな・・・」

 話が終わるまで待っていたんじゃ?と思ったが口には出さず、アレックスを部屋まで運ぶのを手伝ってもらった。ベッドに寝かせるとユウはカトルに向き直り、

「兵士長・・・気になっているんだが、あんた自身はこの戦のことをどう思っているんだ?本音を聞かせてほしい」

 唐突な質問にカトルは驚いた表情を作ったが、机の上にあった羊皮紙と羽ペンを取り上げると、何かをサラサラと書き付けてみせた。

 ――陛下の手の者に聞かれるとまずい。ヤツらはどこに潜んでいるかわからないからな――

 ユウはもう一本の羽ペンを手に取ると、同じように文章を書いた。

――手の者とは?兵士の中に間者がいるのか?――

 この問いに、カトルは顔をしかめ、激しく首を振って否定した。

 ――そうではない!内紛が始まってから城にやってきた二人組の男のことだ――

 ユウが詳しい話を求めると、カトルは説明を書き出した。名前は知らされていないが、双子のように酷似した容姿を持ち、片方は赤い服、もう片方は青い服を纏っている。常に王の両側に立ち、何者も近づくことを許さない。あるとき突然目の前に現れたりするので、忍者かと思ってしまうくらいだ。率直な話、カトルたちが恐れているのは王よりこの二人組のほうだった。王が内紛の命を出したとき、憤慨したひとりの兵士が立ち上がって抗議しようとした。だが次の瞬間には、その兵士の額からナイフの柄が生えていた。赤い服の男が投げつけたのだ。これを見せられて、兵士たちは反発する気を一気になくしてしまった。

――それだけではない。内紛後に、王の悪口を言った罪とやらで数人の兵士が捕まり、処刑されている。その直前に、青い服の男を塔の中で見かけた。きっとヤツが密告したに違いない――

 ユウの頭の中で、要注意人物がふたり増えた。

 ――確かに、そいつは厄介だな――

 ――だから、反乱は慎重に行わなくてはならない。そう思っていたのだが、西軍が本気を見せたからにはこちらもそうせざるを得ないようだ――

 カトルはここまで書くと、ため息をついてまた追加した。

 ――それと、私はギガメス殿もこの戦に一枚噛んでいるのではないかと思っている。アレックスには言えないが・・・以前、あの方の影が大きな鳥になっていたのを見たことがあるのだ。目の錯覚と言ってしまえばそれまでだが――

 一枚噛んでいるどころか、おそらく首謀者だろう。とりあえずユウは、カトルが今でも内紛に否定的だということを知り、少し安心した。と、カトルが、

「すっかり話し込んでしまったな。そろそろ部屋に戻ったほうがいい。お主の顔を知らない者に見られたら厄介だからな」

「ああ、そうさせてもらうよ・・・」

 ユウは自分の部屋に帰り、鍵をしめた。そのまま明かりを消してベッドに入ると、ひたすら時が過ぎるのを待った。

 

 それから、一時間も経っただろうか。

ユウはおもむろに起き上がると、音を立てないように気をつけながら、寝間着姿のまま部屋を出て行った。