扉の外の通路を歩き階段をおりると、まず新鮮な空気のにおいとせせらぎの音を感じ、さらに歩くとがっしりとした鉄格子が見えた。その向こうにある川が、陽光でキラキラ光っている。丸一日部屋の中にこもっていたこともあり、やけにまぶしく見えた。鉄格子の間隔はひどく狭かったが、ミニマムの魔法で難なく抜け出すことができた。

 解放感で一瞬幸せな気分になったが、ゆっくりしているヒマはない。ふたりを捜し出して、夜までに戻らなければいけないのだ。四つもある街で、人ふたりを見つけるのは容易なことではない。それでも捜さないわけにはいかないのだ。

 メグはアンから聞いた街の情報を思い出していった。商業都市北東街。工業都市南西街。世界最大規模の図書館がある北西街。サロニアを救った伝説の竜騎士をまつる塔がある南東街。サロニアはこの四つの街と城で成り立っている。メグはふたりの立場になって、彼らが行きそうな場所を推理してみた。街に行って真っ先にすることは?――宿の確保。

 少し考えた後、北東街に向かうことにした。商業都市ということもあって、宿や食堂の数は一番多いのだ。しらみつぶしに当たっていくしかないだろう。

 街門そばの雑貨屋で紙と木炭を調達すると、メグは手早くふたりの似顔絵を描いた。口で特徴を説明するより手っ取り早いからだ。横に、髪の色や服装、身長も明記しておくことも忘れなかった。

 描き終えると、メグは早速、目の前の宿屋に入っていった。

 

 十二軒目の宿を出て、メグは沈んだ顔でため息をついた。太陽の位置から、すでに昼を過ぎているということは明らかだった。

 手掛かりはなかった。ユウもジョーも、この街の宿や食堂には寄っていないとのこと。試しに、武器屋や魔法屋にも立ち寄ってみたが、どこも固く扉を閉ざしていた。兵士が使うのと、謀反を起こさせないために城が品物を没収したのかもしれない。

 また、店の人間は皆、メグが入ってきた途端にギョッとしたような、怯えたような表情をした。正確には、メグに怯えているのではなく、メグの服にあるサロニアの紋章に怯えているのだ。それだけ城への恐怖感が大きいのだろう。似顔絵を見せたときも、「信じてください、本当に何も知らないんです!」と土下座までされてしまった。或いは逆に、「賞金は出るのか?」と訊かれたりもした。とりあえずお尋ね者ではないことを説明したが、果たして信じてもらえたかどうか・・・。

 また、外を歩いているときも刺すような視線を感じずにはいられなかった。街のいたるところに、襤褸を纏い、汚れた顔をした人間が壁にもたれかかるようにしてたむろしていた。大人もいれば、子供も老人もいる。乳飲み子を抱えた女性もいる。だらしなく寝そべっている者もいるが、死人のように動かず同じ姿勢を保ち続けている。いや、本当に死んでいるのかもしれないが、誰も気にかける者はない。だが、メグに気づくと、いっせいにそちらを見るのだ。悲しみ、恐れ、憎悪、憤怒、様々な感情が入り混じった視線だった。と、

「さあさあ、いかがかね?焼きたてのパンと絞りたてのミルクがあるよ」

 この場には似つかわしくない、やたら陽気な声が響いた。見ると、小太りの男がやってきて、抱えている木箱の中からは香ばしいにおいが漂ってくる。物売りのようだが、様子が少し違った。

「最近の食料不足は顕著でね、やっと手に入れることができた新鮮なものなんだ。ほかではこれと同じものは手に入らないよ。今日は特別価格でパンは百ギル、ミルクは百五十ギルだ!」

 商人の言葉に、メグは驚いてしまった。相場の十倍ではないか。暴利もいいところだ。それに、先程寄った食堂には、食料のつまった箱や樽が置かれていた。それほど不足しているようには見えなかったが・・・。と、乳飲み子を抱えた女性がふらりと立ち上がり、

「私は構いませんので、どうか、この子にミルクを・・・」

 それを聞きつけた商人はなれなれしく女性の肩を抱き、

「でもあんた、金ないんだろ?まあ、あたしも鬼じゃないから、ちょっとばかり付き合ってくれれば考えてやらんこともないよ」

 女性が弱々しく頷いたとき、今度は別の方向から女性がやってきた。着ているものは、浮浪者たちのそれより少しマシ、という程度。

「お願いします・・・子供たちのパンをください・・・」

 商人は空いているほうの手でその女性の腰に手を回し、

「わかっているだろうが、パン三つとなるとかなり付き合ってもらわないと割が合わないよ、わかる?」

 覚悟しているかのように女性が頷くと、商人はふたりを半ば引きずるように連れて行ってしまった。呆然としているメグに、ひとりの男が近づいてきて、

「あれが、あいつのやり方なんだよ。お嬢ちゃんは城暮らし、高みの見物で何も知らないだろうが、これがこの街の、底辺で這いずるしかない人間の現実なんだ。そのきれいな目にしっかり焼き付けておくんだな。・・・わかったらさっさとおうちに帰りな」

 

われに返ったときには、北西街の街門に立っていた。どうやってここまで来たのか、まったく覚えてなかった。

 先程見た光景の衝撃はまだ残っていたが、メグはふらつく足取りで図書館のほうに向かっていた。とにかく、ふたりと合流しなければならない。この考えが彼女の心を占めていた。ジョーが図書館にいるとは思えないが、もしかしたらユウなら・・・。

 そう思いながら図書館前の広場に行こうとしたとき、大勢の人々がぞろぞろ出てきて、やがてばらばらに散っていくのが見えた。みんな一様に沈んだ顔をしていた。

 急いで広場に行ってみて絶句した。無表情の兵士がふたり立っていて、広場の中央に設置された処刑台の上に、見せしめのためか斬首されたばかりの首がふたつ置かれていた。切り口から流れるまだ真新しい血が地面に滴り落ちていて、その顔は恐怖と苦痛のために醜く歪んでいた。首から下の身体は、後ろ手に縛られたままの状態で、地面につっ転がされていた。ここで処刑が行われたのだ。

「ひ、ひどい――」

 メグが言いかけたとき、額に強い衝撃を受けてよろけた。

「うっ!」

痛みと同時に、鼻から唇にかけて、生暖かいものが伝う。衝撃は投げつけられた石のせい、生暖かいものは傷口が開いて流れ出した血だった。

「人殺し!」

 声のしたほうを見ると、十歳くらいの少年と六歳くらいの少女が、メグをにらみつけていた。

「おまえたちのせいで、父ちゃんと母ちゃんは死んだんだ!」

「おしろのひとたちなんてだいきらい!」

 近くにいた若い男性が慌てて駆け寄ると、ふたりの口を塞いだ。抵抗する子供たちを抱えあげ、男性はその場から急ぎ立ち去った。突発的な出来事に注目していた街人たちも、メグがあたりを見回すと、まるで目が合うのを避けるように慌しく去っていった。あとは孤独感と痛みだけがメグを静かに襲う。と、突然身体の底から、正確には胃の底から嫌な感触がこみあがってきた。

メグは口を押さえると、そのまま駆け出した。傷のことは忘れていた。

 

 南西街の木陰で、メグは木に力なく座り込んでいた。あれからどれくらい経ったかわからないが、空は茜から淡い紫に変わりつつある。そろそろ城に戻ったほうがいいとは思いつつも、身体を動かす気力もない。

 服に縫われたサロニアの紋章は、夢中になって木炭で塗りつぶした。あんな目で見られるくらいなら、ならず者に襲われたほうがまだマシだ。

「あのときと同じ目・・・」

 メグは、幼少時の出来事を思い出した。初めて魔法を使ってしまったとき、あの三人も同じ目で自分を見ていた。畏怖と嫌悪に満ち溢れた目と、自分を罵る声。たまらず部屋に戻り、自分に対する恐怖で震えていた。そんなときに手を差し伸べてくれたのは、大切な仲間――。

「会いたい・・・」

 メグの目からいつの間にか涙がこぼれていた。と、「会いたいなら何をすべきか?」という問いが自分の頭の中に浮かんだ。そうだった、そもそもふたりを捜すためにここに来たのだ。

「捜さなきゃ・・・」

 メグは気力を振り絞って立ち上がった。その途端不思議なことに、それまでの倦怠感や気だるさが少し吹き飛んだような気がした。気を取り直すと、ユウとジョーの似顔絵を取り出し、歩き始めた。

 入り口の案内図を見ると、この街には宿屋はないが、酒場を兼ねたわりと大きい食堂があるようだ。

まずはここに行ってみよう。そう思って酒場の近くまで行ったとき、何かをひっくり返したような音が建物の中から聞こえてきた。直後に扉が開いて、人相の悪い男がふたり、転がるように出てくる。ふたりはお互いを支えあいながら、

「くそ、なんてガキだ・・・!」

「まるで怪物だぜ・・・!」

 この捨て台詞を聞いて、メグはもしやと思った。開いたままの扉から中に入り、自分の仮定が正しかったことを知った。同時に、心が解きほぐされたかのような安堵感がどっと来る。

 そこにいたのは紛れもなくジョーだった。ふたりの大男――総髪とハゲという、対照的な組み合せだ――と乱闘を繰り広げているが、どちらが優勢かは明らかだった。

「こ、この野郎ーっ!」

 総髪の大男が飛び掛かるが、最早無駄な抵抗だった。難なくかわすと、拳を真上に突き上げて顎に強烈な一撃を食らわせ、さらにまわし蹴り。男の身体は軽々と吹っ飛び、窓を突き破っていった。その間にハゲの男は、取り出したナイフを構えてジョーに突っ込む。が、その動きは既に読まれていた。男の手首を蹴り上げて胸を両手で突き飛ばすと、男が尻もちをつく。ジョーの身体が軽やかに宙を飛び、着地したときには男のナイフを握っていた。

「これ以上痛い目遭いたくなかったら、さっさとうせろ」

「わ、わかった・・・」

 男は立ち上がって――油断したジョーに突撃した。が、直前でジョーはヒョイと屈み、男は勢いあまって壁に突っ込んだ。バリバリと音をたてて特大の穴が開く。

「逃がしてやろうと思ったのに、筋金入りのバカだな、てめえはよ!」

そこへ飛び蹴りが炸裂し、今度こそ男は抵抗する気力を喪失した。というより気絶した。

「さて、外に放ってくるか・・・ん?」

 このときになって、ジョーは初めて、メグの存在に気づいた。

「メグ!おい、今まで何やっ・・・」

「ジョー!」

 言い終わるより前に、メグはジョーに抱きついた。今の今まで堪えていたものが一気にふき出して、そのまま嗚咽する。ジョーは少しの間、黙ったままメグの背中に手を回していたが、

「――わかったから、落ち着け。ほら、見られてるぞ」

 ジョーの言葉に顔をあげると、

「あの・・・もういいですか?」

「一応、壁と窓は弁償してね」

 茶色い髪の少年と酒場の主人らしき中年女性が傍に来ていた。そして、周りにいたほかの客たちも、ひやかしの口笛と拍手を飛ばし、メグの顔がみるみるうちに真っ赤になった。