扉がゆっくりと開き、ベッドに横になっていたユウは、そちらに顔を向けた。

「お食事をお持ちしました」

 入ってきたのは、つややかな黒髪を首で束ねた侍女――最初にヒルデと名乗った――だった。

「ありがとう。自分で食べるから、そこに置いて行ってくれないか」

 ヒルデは、食事の盆をベッド上のテーブルに置くと、

「何かありましたらお呼びください」

 無表情のまま一礼して出て行った。ユウは身を起こし、胸に走った痛みに思わず声をあげそうになった。

 ユウが運びこまれたのは、サロニア城東の塔だった。今は、サロニア城お付きの白魔道師のおかげで大分回復したが、発見されたときは火傷だらけに加えて血まみれで、死人かと見まがわれるほどだったらしい。ユウ自身、あの高さから落ちて死ななかったことを不思議に思っていた。これもクリスタルの力なのだろうか。とはいっても、肋骨にはひびが入り、左足と左手はまだ動かすことを禁じられている。

 ユウは、右手で匙を取り上げると、ゆっくりと食事を口に運び始めた。ジョーとメグが心配だったが、この身では外に出ることも出来ない。怪我の状態が少しマシになるまで、おとなしくしているしかないのだ。食べながら、飛空艇が砲撃されてからのことをゆっくりと思い出していく。

 ユウも、ここで目を覚ましたときにはなかなか事態が理解できないでいた。とはいっても、それは今も大して変わらない。ヒルデから聞かされたのは、ここはサロニア城東の塔内だということ、現在サロニアは内紛の真っ最中ということ、内紛は王の命令で行われているということ、王に進言した王子アルスが一月前に追放されたということだった。

「なぜそんなことを?」

 訊いたユウに向かって、ヒルデはただ、

「陛下の命令だからです。逆らうことや批判することは許されません。牢に入れられるのはまだマシなほうで・・・死罪になった人も少なくないそうです」

 と言うだけだった。内紛が始まったのは去年の九月に入ってから――つまり、大陸が浮上した直後ということになる。王は理由も何も言わず、「戦え。負けた軍は全員死罪にする」と告げた。王の命令とはいえ、かつての仲間を攻撃するのは抵抗があり、処刑への恐怖もあって東軍も西軍もなかなか決着をつけることができないのだという。とはいっても、戦いの手を止めることは許されない。だから、手抜きがばれないようにそこそこに戦い、人の血はムダに流されるばかりだった。

 城内でさえこんな状態なのだから、四つの街はさらにそれを上回るひどさなのかもしれない。気になるが、ヒルデには答えを避けられ、自分がいる部屋には窓がないので、確かめる術は今のところなく、幽閉されているのと大して変わりはなかった。

 こっそり抜け出すなら、夜になってからだな。ユウはそう思いながら、食事を終えた。お茶を一口飲んだとき、扉が開いて長身の男が入ってきた。二十代後半くらいで、右手に包帯を巻き、布で肩から吊っている。彼がユウを発見した兵士長カトルだった。

「具合はどうだ?気分は悪くないか?」

「まだ痛むが・・・それ以外は何もない」

「そうか・・・あ、これを返しておこう」

 カトルは、一振りの剣を差し出し、ユウの眼前で鞘から抜いてみせた。使い慣れたキングスソードだ。ひびが入ったり欠けたりしていないのを見て、ユウはホッとした。

「ありがとう、手入れしてくれたんだな」

 カトルは、剣をベッドの横に立てかけると、椅子に腰かけた。が、剣から視線をはずすことなく、

「ところで・・・柄の飾りはアーガスの紋章だったな。お主はアーガスの関係者なのか?」

「え、あ、まあ・・・そうだ」

「名前は?」

「ユ・・・ユージン・マックスウェル」

 ユウは咄嗟に、子供のとき稽古をつけてもらっていたアーガス兵士の名を出した。今のこの時期に、わざわざアーガス城に問い合わせるようなことはしないだろう。

「ユージンか、良い名だな。それでユージン、お主を辣腕の剣士と見込んで頼みがある。東軍に入って、私たちと一緒に戦ってくれないか?もちろん、傷が治ったあとでいい」

 この依頼に、ユウは驚いてカトルを見た。

「なんだって?東軍と西軍は、戦争を終わらせることができないんじゃないか?」

「ああ、昨日まではそうだった。だが、今は事情が違う。実は今日になって、新情報が入ったのだよ。西軍が腕利きの戦士団を雇いいれるらしいのだ。詳しいことはまだわからないが・・・あいつらがいよいよ本気になったということだな。結局、自分たちだけ助かりたいということだ」

 カトルの目が、一瞬怒りの色で染まった。

「私ひとりだけが敗戦の責を問われるならまだいい。だが、大事な部下たちまで処刑されるのは耐えられない。不本意だが、こちらも本気を出すしかないようだ・・・」

ユウは、黙ったまま聞いていた。王が豹変したのは魔物が絡んでいる可能性があると考えているが、今それを口にしたところでカトルがそれを信じるとは思えない。それより、確実な証拠を見せるほうが説得力は大きい。城に滞在して、さり気なく探りを入れたほうがいいだろう。

「・・・わかった、戦う」

 ユウが頷くと、カトルは彼の右手を強く握り締め、頭を深く下げた。

「ありがとう・・・感謝する」

「その代わりと言っては何だが、頼みがある。仲間ふたりを捜してくれないか?もしかしたら、東軍の戦力になれるかもしれない」

 ユウが、ジョーとメグの背格好や特徴を告げると、カトルは「巡回の兵士に捜させよう」と言って部屋を出て行った。入れ替わりにヒルデが来、無言のまま食器を下げていった。

 再びひとりになったユウは、これからどうすべきかを考え始めた。慎重に、それでいて大胆に行動しなければならない・・・。

 

「外に出たいんです」

 翌朝(と思われる時間)。食事を運んできたアンに、メグは懇願していた。

「ふたりのことも、街の様子も気になるんです」

「お気持ちはわかりますが・・・塔の入り口には常時兵士さんたちが立っていて、許可をもらわない限り出入りはできないことになっている・・・あ、そういえば・・・」

 ここまで言いかけたところで、アンは何かに気づいたような顔をした。そして衣装戸棚の前にしゃがみこむと、埋め込まれている四つの宝石を右回りに押していった。すると――。

 ゴッ――。戸棚が横滑りに移動し、木製の扉が現れた。メグの身長なら、少し屈めば入れる大きさだ。アンは振り向き、

「城の外に出られる隠し扉です。昔、兵士さんから聞いたのを思い出しました。避難用に作られたんだそうです。あと・・・」

 アンは、戸棚から黒い長衣を取り出した。胸の辺りに、白い糸でサロニア王家の紋章が刺繍されている。

「私たち侍女が外出するときに着る服です。街には大勢のならず者がうろついていると聞きます。ですが、城の関係者を襲うような真似はさすがにしないでしょう」

 メグは、服を受け取ると手早く着替え、

「ありがとうございます、夜までには戻ります!」

 礼を言うなり、そのまま扉の中に飛び込んでいった。廊下に出て部屋の鍵をかけたアンは厨房に入ると、

「メグさまはご気分が優れず、しばらくひとりになりたいとのことです。なので、部屋には入らないようにしてください」

 近くにいた給仕に告げた。