それから二週間後。メグは、サロニア北東の街で薬草や毒消しなどの日用品を買い込んでいた。今夜の戴冠式を見届け、明日サロニアを発つのだ。食料は城のほうで用意するとアルスに言われたので、遠慮なくその好意に預かることにした。

 サロニアは、以前と同じくらいの活気を取り戻していた。連絡船が一日に何回も行き来を繰り返し、市場は買い物客や、売り物を勧める売り子たちの声で賑わっていた。また、家をなくして路上を寝床にするしかなかった人々はほとんど姿を消した。新しい仕事場や住み家を城から斡旋されたのだ。

 メグは買い物のついでに、街の状況をゆっくり見て回っていた。街に出るのは約二十日ぶりだが、まるで別のところのように変わっていた。店の前を通りかかるだけで、

「お嬢さん、新鮮な果物が入ってきてるよ!ひとつどうだい?」

「アムル直送の干し魚!味は保障つきだよ!」

「今日は『光の戦士さま感謝祭』だから、お安くしとくよ!」

 などと声をかけられる。その場の空気を全て二酸化炭素に換えてしまうのではないかと思ってしまうような人ごみの中を歩きながら、当の光の戦士が目の前にいると知ったらどんな反応をするかしら、などと考えていた。アルスが、自分たちに関する情報を最小限に留めたので、国民たちに伝わっているのは「光の戦士がガルーダを倒した」ということだけだった。そのおかげで顔や名前を知られずにすみ、こうして動き回るのに都合がよかった。とはいっても、中にはどこから情報を聞きつけたのか、

「おい、知ってるかい?光の戦士ってのは、まだ十八かそこらの子供だそうだ」

「なんでも、伝説の竜騎士になれた人が中にいたんですって」

 という会話には少しギクリとさせられたが。

「・・・これくらいでいいかな?」

 木陰で休みながら、メグは買ってきたものの確認をしていた。思ったより早く買い物がすんでホッとしている。少し迷ったが、

「ちょっとくらいなら、いいよね?」

 誰かが聞いているわけでもないのに言い訳をし、ほかの街にも寄り道することを決めると、勢いよく立ち上がって弾んだ足取りで歩き出した。

 

「・・・これが?」

 ユウは、目の前の船を見てアルスに聞き返した。横にいるジョーはと言えば、ポカンと口を開けたまま、微動だにしない。

「本当にいいのか?」

「もちろんです。ささやかですが、私どもからのお礼とお詫びの気持ちです」

ユウたちは、城内の庭園にいた。アルスから「受け取ってほしいものがある」と言われて案内されたのだ。彼らを待ち構えていたものは・・・一機の飛空艇だった。卵のような形状で、大きさは最初に使ったシドの飛空艇よりも小さく、十人前後乗るのが精一杯と言うところだろう。だが、流れ星の軌跡をそのまま形にしたような機体、そして船首には、オーブを模した透明の玉をくわえる大鳥の像が飾られている。まさに「空飛ぶ芸術品」と呼ぶにふさわしい船だった。甲板がないのは、全部の部屋が中でつながっているからだろうか。

「はい、飛空艇ノーチラスです。今から三十年ほど前、古代遺跡を調査していたサロニアの学者によって発見されました。手入れはすませておりますので、いつでも使える状態です」

 ユウは、レプリトの長老から聞いた話を思い出していた。世界最速の飛空艇ノーチラス。これを、自分たちの足として使えるというのだから、必然的に胸は高鳴ってくる。いちはやく船内の操縦室に飛び込んで、落ち着きなく内部をキョロキョロと見回した。ジョーが呆れるくらいに。

「舵は・・・今までの飛空艇と形が違うんだな」

 シドの飛空艇やエンタープライズの舵輪と違い、左右からのびている棒状の操縦桿。ノーチラスはこれを操作して動かすのだと言う。ノーチラスの仕組みや原動機のことなど、城の技師の専門的な説明をユウは熱心に聞いていたが、ジョーは適当に聞き流していた。そして操縦の仕方を教わるときになったが、ジョーがあくびをかみ殺しているのを見ると、

「おいジョー、おまえはメグを迎えに行け」

 と言っておいた。ジョーは待ってましたとばかりに、ふたつ返事で庭園を飛び出していった。 

「・・・すっかり遅くなっちゃった」

 メグは急ぎ足で、城へと向かっていた。結局、三つの街全部を回ってきてしまい、街の散策が主で、買い物がついでのようになってしまったのだ。空は既に茜色に染まっており、戴冠式まであと数時間もないだろう。

 城門をくぐったところで、ちょうど外に出ようとしたジョーと鉢合わせになった。

「遅かったじゃねえか、何やってたんだよ!」

「ご、ごめんなさい、買い物ついでにちょっとお散歩を・・・」

「何時間もほっつき歩くのが『ちょっと』かい?女の身支度は時間がかかるんだから、さっさとしろよ!」

「うん、わかった、すぐ行く・・・あ、これお店の人からもらったんだけど・・・食べる?」

 メグが袋から果物を出して見せると、ジョーはすばやく取り上げ、

「こんなもので騙されるか!・・・まあ、くれるものはもらっておくけど」

 言い終わる前にかじり始めた。そのまま歩き出し、メグも彼の横に並ぶようにして、城の玄関へと歩を進める。

背後から自分を見ている冷徹な視線にも気づかずに・・・。

 

 ・・・お城の宴って、こんなにすごかったっけ?

 メグはサロニア城二階のバルコニーに来ていた。涼しい風が心地よい。顔が火照っていたのは、宴の熱気と少しばかり飲んだハチミツ酒のせいだ。一階の大広間で行われている宴のせいで、ここにはメグ以外誰もいない。

 手すりにもたれかかりながら街を見下ろすと、城以上に騒ぎ立てていた。時折あがる季節はずれの花火が、夜空に無数の花を咲かせ、歌声や音楽、喧騒などが絶え間なく聞こえてくる。ジョーだったら、「こっちのほうが賑やかで楽しそうだから」という理由で街のほうに行きたがっただろう。

 アルス、いやゴーン六十世の戴冠式は思ったより早く終わり、そのまま宴に入った。もともとサロニアの人々は、お祭り騒ぎが好きな性分なのか、宴の用意ができた途端にほとんどが相好を崩した。といっても、国中の名士や貴族たちが集まっているのだから、街のような馬鹿騒ぎは出来ないが。

 ここで初めてアルスは、ユウたち三人を「ガルーダを倒した光の戦士」として紹介した。本当のところ、ユウはそれを望んでおらず、「招待された貴族のフリをしていよう」と言ったのだが、アルスの「この宴の主役はあなたたちですから」という言葉に押し切られたように渋々頷いた。予想通り、最初はまわりから驚愕と困惑の声が上がったが、少ししてそれは歓声へと変わっていった。

 また、アルスの口から兵士長カトルと侍女ヒルデの婚約も発表され、ユウたち、ギガメス、フェイ、アレックスたちは祝福の声を送った。

ふたりの晴れ晴れとした嬉しそうな表情と、ヒルデの左の薬指に光る指輪を見れば、何があったのかは明らかだった。トレーズ団の歌姫だったユイは、これからはカトルの妻ヒルデとして生きていくのだろう。ユウはデュオに、その旨を伝えることに決めた。曖昧な言葉で誤魔化すのは好きではないので、トレーズたちが既にこの世の住人ではないことも隠さないつもりだった。ダルグ大陸に向かう途中でダスターに寄っていくことにした。ノーチラスなので、あっという間に着くだろう。

 そのあとが大変だった。一挙手一投足が常に注目の的。子供たちからは冒険の話をせがまれ、女性たちからは舞踏に誘われる。ユウは寡黙な態度を貫いてひたすら葡萄酒の杯を傾けていたが、結局は半ば押し切られたように女性の誘いを了承し、楽師が奏でる曲に合わせて、部屋の真ん中で優雅に踊り始めた。少なくとも、踊っている間はしつこく声をかけられることはないからだ。踊っている間、その場にいた者たちは呼吸をするのも忘れたかのように、黙り込んで見入っていた。女性が常にうっとりと微笑みを絶やさない一方で、ユウの表情はどこか暗かったが、それすらも女性たちにかかれば「陰があって素敵」ということになってしまうのだった。

 メグは、貴族や名士と挨拶程度の会話を交わしたあと、専ら子供たちを相手に、魔法に関する話をしていた。魔法は便利なだけの代物ではないこと、使い方を誤ったり力に溺れてしまえば、自分のみならず他人をも殺傷しかねないということ。結局、一番大事なのは術者の心がけなのだということをせつせつと語った。だが内心では、黒魔法を忌み嫌っているくせに何を言ってるんだろう・・・と自嘲していたが。

 ジョーのほうはといえば、食べることだけに集中していた。まわりから寄せられる好奇の視線にはお構いなしで、卓に並べられた豪華な料理を次々に胃の中に送り込んでゆく。そんな彼にも寄って来る女性はいて、

「ジョーさま、どうぞ」

 と、料理を山盛りにした皿を渡すのだ。そうすると、素早く受け取り、

「ありがとう」

 礼を言い終わる前に料理を口に運び始める。その食べっぷりを「見ていて気持ちがいい」と評価する女性も少なくない。メグはジョーのほうをチラッと見たが、何も気づかない様子で子羊のローストを齧っていた。それを見たときから胸の奥に、モヤモヤしたものが湧き上がり、「少し涼んでくる」と子供たちに言い残して二階に上がったのだった。

「――何か言ってくれてもいいのに」

 メグは自分の格好を見下ろしながら呟いた。薄い水色のドレス。丁寧に結い上げられた亜麻色の髪を飾る、青い宝石を象嵌した銀のティアラ。施された化粧。鏡を見せられたとき、「これ、本当にわたし?」と思ってしまったくらいだった。宴の前、ユウには「どこの令嬢かと思ったよ」と言われたりしたが、ジョーは無関心といった様子でさっさと行ってしまった。

「鈍感、バカ、無鉄砲・・・」

 酒のせいか、普段は口にしない言葉が次から次へと出てくる。サロニアがもとに戻っても、アンのことは何もわかっていないというのに、能天気なんだから・・・。その後も延々グチり続けていたが、

「あ、あの・・・」

 背後から聞こえてきた声に慌てて振り向くと、使用人の服を着た子供がふたり立っていた。

「あら、あなたたち・・・」

メグはすぐに思い出した。図書館広場で、自分に石をぶつけた兄妹だった。アルスから、身寄りのない子供たちは城に引き取ることにしたと聞いたのを思い出していると、まず兄のほうが頭を下げた。妹もそれに倣う。

「この間はごめんなさい・・・」

 メグは屈んでふたりに視線を合わせると、ニッコリと微笑んで、

「そのことなら、もう気にしなくていいよ。わたしも気にしてないから、顔を上げて」

「あのあと言われたんだ。『もし広場にいたのが兵士さんだったら、同じことをしたのか?』って・・・兵士さんは怖いから『ううん』って言ったら、『それじゃ、おまえたちのやったことはお城と大して変わらない』って・・・それから、ずっと謝りたくって・・・」

「あのバケモノを、やっつけてくれてありがとう」

 再び、兄妹が頭を下げる。メグは、両腕を伸ばしてふたりを抱きしめるようにした。

 

 酔いもさめ、大分、気持ちは軽くなっていた。兄妹と別れ、広間に戻ろうと廊下を歩いていたとき、背後に何かの気配を感じて振り向いた。そこにいたのは、

「アンさん!?」

 行方知れずだった侍女アンが立っていたのだ。侍女の服に身を包み、口元に微笑を浮かべてメグを見ている。

「よかった、無事だったんですね・・・」

 歩み寄ろうとして、メグはピタリと足を止めた。西の塔での会話を思い出したのだ。あのとき、アンの正体はユイではないかと思わせるようなことを言っていた。だが、ユイだったのはヒルデのほう。全く同じ境遇で記憶喪失になり、城で侍女として働いていた歌姫。そんな人間がもうひとりいるとは思えない。それに、自由に出入りできる秘密の通路といえば、外部の人間には絶対教えないようなことだ。もしかしたら、自分に間者の疑いを向けさせるためにわざと教えたのだろうか・・・?そう思った瞬間、口から出た言葉は、

「あなたは・・・一体誰なの!?」

 アンは答えず、クスッと笑った。途端に姿がみるみるうちに変わり、白い衣をまとった長い髪の女が立っていた。ヘキナだった。

 ヘキナが漂わせる妖気に、メグは悪寒を感じながらも身構えた。だが、氷のように冷たい真紅の瞳を見たとたん、催眠にかかったように全身の力が抜ける。ヘキナが右手を伸ばすと、目に見えない手のようなものが、メグの首をしめあげた。

「あっ・・・」

 そのまま、見えない力に押されるように後退する。背中が階段の手すりにぶつかり、足が宙に浮く。少しでも力を和らげようと両手を首元に持っていくが、何も触れなかった。苦し紛れに頭を振ると、外れたティアラが落下し、下にある銅像に硬い音を立ててぶつかる。その間にもメグの身体は半分以上手すりからせり出していた。そして、手すりの外に向かって大きくのけぞったとき、

「メグッ!」

 階段を駆け上がる足音が聞こえた。

 

 ピシャン。頬に軽い刺激を感じてメグはうっすらと目を開けた。背中の絨毯の感覚から、今は廊下に寝ているのだと感じる。

「ほら、起きろ!」

 ジョーは、再び手の甲でメグの頬を打った。今度はハッキリと目が開く。自分を見ているユウとジョーに戸惑い、

「な、なんでここに?」

 ジョーはため息をつくと、

「それはこっちの台詞!おまえを捜しに出てみたら、階段の手すりから落ちる寸前だったから、急いで来たんだよ」

「もうちょっとで串刺しだったんだぞ、ほら」

 ユウが指すほうを見ると、ちょうど自分の真下に立っている竜騎士の像が目に入った。もし落ちていたら、像が持っているヤリに身体を貫かれていただろう。そう思うと、メグの背中を冷たいものが走りすぎていった。

「おいメグ、なんで身投げなんてしようとしたんだ?オレたちに言えない悩みでもあるのか?」

「違うわ、アンさんがいたのよ。でも、急に姿が変わって、目を見た瞬間に気が遠くなって・・・」

 メグははっとしたように辺りを見た。だが、その場にいたのは自分たち三人だけだった。絞められていた首を触ってみたが、何の痛みも感じなかった。下の大広間からは、相変わらず音楽や賑わいが聞こえてくる。

 ユウとジョーも真似をして見回したが、何者の姿もなかった。気配も感じなかった。

「誰もいないぞ?」

 メグは、愕然とした様子で、

「そんな・・・!わたし確かに会ったのよ!?長い髪で、血のように真っ赤な目をした女と!」

 ヘキナの姿を見ていないふたりには、メグの話はにわかには信じがたかった。先ほど彼女が酒を口にしていたことを思い出し、

「疲れと悪酔いが重なったんだろう、部屋で休んだほうがいい。アルスにはおれから言っておくよ」

「夢でも見ていたんじゃないか?あんなもの飲むからだぞ」

 メグは釈然としないまま、ユウたちと連れ立って部屋に戻った。

 窓の外に立っていたヘキナは、三人の後ろ姿を冷酷な瞳で見ていたが、やがて姿を消した――。