ガルーダを倒したユウたちは、それから三日間眠り続けた。その間に、サロニアの情勢はかなり変わっていた。

 兵士から聞いた話によると、まずアルスは、父王が崩御したこと、今回の混乱は、大臣ギガメスに化けた怪鳥ガルーダが引き起こしたものだということ、ガルーダは光の戦士たちによって倒されたこと・・・それらの情報を国民に公表したという。情報は一日足らずでサロニア中に伝播し、国民たちは恐怖と闇の支配から解放されたことを喜ぶ一方、国王の死に涙して、黒い服をまとい喪に服した。城にも街にも、サロニア国の半旗が掲げられた。

 そして、濡れ衣を着せられて地下牢に入れられていた人々は皆釈放されたのだが・・・その中には、幽閉されていた本物の大臣ギガメスもいた。大声を出すと刃が飛び出す首輪をはめられていたため、助けを呼ぶこともできず入牢生活を受け入れるしかなかったのだという。

 ギガメス、カトル、フェイは責任を取ってそれぞれの位を退こうとした。が、アルスはそれを受理しようとはしなかった。

「聞いてくれ、私は父上の後を継ぐ。だが、私は見ての通りの若輩者・・・どうか、私が一人前になれるまで力を貸してほしい。このサロニアを、元通りの平和な国にするためにも・・・だから、今までどおりここにいてくれ。辞めても何の解決にもならないと思うから・・・」

 この言葉にギガメスたちは考えを改め、アルスの温情に感謝の念を捧げた。

 

 ユウたちが目覚めた翌日、王の葬儀が行われた。国中に教会の鐘の音が響き渡り、教会から運び出される白い棺とそれに付き添うアルスたちを、悲しみにくれる国民たちがいつまでも見送り、去った者の冥福を祈っていた。

 唇をきゅっと固く結んで、前をしっかり見つめて歩くアルスの姿には威厳が感じられたと、あとでチャン老人から聞かされた。

 棺と喪服を着た集団は、四つの街をまわったあと、王家の墓に向かっていった。

 

 ユウたち三人は、城から借りた喪服を着て城の一室からその風景を見ていた。ガルーダ戦で負った傷が思いのほか深く、しばらく出歩くことを禁じられてしまったのだ。

 やがて窓の外に白い棺が見えてくると、三人はいっせいに目を閉じ、胸の前で両手を組んだ。ジョーは、心の中でそっと別れを告げていた。

 さよなら、父さん――と。

「わたしのせいだわ・・・わたしが、アルスから王さまを奪ったんだわ・・・」

 ふと、隣にいたメグが呟いた。黒いヴェールつきの帽子をかぶっているので表情は見えないが、その身体は小刻みに震えていた。

「なぜ、そう思う?」

「だってそうでしょ?わたしにもっと力があったら、もっと強力な回復魔法を使えたら・・・!わたし、昨夜見たの・・・アルスが泣いているところ・・・」

 

 寝付かれなかったメグは、静まり返った真夜中の城内を散策していた。両足の傷はそんなに深いものではなかったので、ユウと違って松葉杖の必要もなかった。ひんやりと涼しい空気が心地よく、床には分厚い絨毯が敷き詰めてあるので、足音を気にする必要もなかった。

 歩いているうちに、一階の大広間までたどり着いた。国葬が終わった後、この場所は周旋所兼簡易宿泊所として使われるのだという。今回のことで、職や家を失った国民への配慮ということだった。また、この状況を利用してひと儲けを企んでいた商人や、彼らから袖の下を受け取っていた役人や官僚たちは次々に逮捕され、国民と入れ替わりに牢屋行きとなった。

サロニアが完全に元通りになるには時間がかかるだろう。だが、今この国は歩き出したということだけは、ゆるぎない事実だった。

 メグが、そろそろ部屋に戻ろうかな、と考えたときだった。

 ――うっ・・・ううっ・・・

 どこからともなくうめくような声が聞こえてきて、メグは一瞬ビクッと身を震わせた。それでも深呼吸して気持ちを落ち着かせると、息をひそめて声のするほうにそっと向かった。

思ったより近くに声の主はいた。玄関から謁見の間をつなぐ長い回廊に、国王や王妃の肖像画が飾られている。ゴーン五十九世の肖像画の前に、誰かがうずくまるように座り込んでいる。彼が手にしているランプの明かりが、持ち主の顔を照らし出す。アルスだった。

 声をかけられるような雰囲気ではなく、メグは立ち去ることも忘れてアルスを見つめていた。と、アルスが顔を上げた。彼の頬を、光るものが流れ落ちていった。そして呟く。

「お父さん・・・!」

 この言葉を聞いたメグの胸の中を、鈍痛が走りぬける。そのままきびすを返してあてがわれた部屋に戻り、ベッドに潜り込んだあとはひたすら涙を流していた。心の中でアルスと王に何度も詫びを繰り返しているうちに、いつしか眠りについていった。

 

「そんなことがあったのか・・・でもな、王さまの件に関してはおれたちだって同罪だ」

「えっ・・・?」

 メグが戸惑いの声をあげると、

「なあ、そうだろう?」

 ユウがジョーに同意を求めた。ジョーは頷いてみせ、

「ああ・・・もしあのとき、オレがもっと早くアルスたちのところに着いてりゃ、王が自分を刺すのを止められたかもしれない」

「それ以前に、おれがさっさと調べを終わらせてジョーと合流していたら、今回の件は、もっと早く解決していたかもしれないんだ」

 勿論、今更終わってしまったことをどうこういったところで、時間が戻るわけでもないが。

「毎度のことながら、自分の不甲斐なさが嫌になるよ・・・いつも後手後手なんだからな」

ユウはため息をひとつつくと、握りこぶしを額にあてながらぼやいた。

「・・・そういうことだから、ひとりで全部背負い込もうとするのはやめておけ。わかったか?」

 ジョーがメグの肩をポンと叩くと、メグは顔を上げ、そのままジョーの胸に顔を埋めるようにして、一言だけ呟いた。

「ふたりとも、ありがとう・・・」

 ユウはその姿を見ながら、感謝しているのはジョーだけなんじゃないか、と思っていた。

 

 国葬のあと、喪服から普段着に着替えたユウたちは、部屋で休んでいた。三人ともとくに言葉を交わすこともなく、本を読んだりうたた寝をしたりと、それぞれの時間を過ごしていたが、扉を叩く音で我に返る。

「どうぞ」

 ユウが返事をすると、「失礼します」の声とともに、夕食の盆を持ったヒルデが入ってきた。その匂いをかぎつけたのか、目を覚ましたジョーががばっと起き上がり、

「いでで・・・」

全身に走った痛みに顔をしかめる。

「あん・・・ヒルデさん」

 メグはアンさん、と言いかけて急いで修正した。目が覚めて以来、アンのことがずっと気にかかっていた。釈放された人々のなかに、彼女はいなかったのだ。それ以前に、捕まったと言う記録すら残っていなかった。勿論、変装していた黒騎士が、自分を追い詰めるために嘘をついた、ということも考えられるが、アンが城から姿を消してしまったということは紛れもない事実だった。

 アンさん、無事だといいんだけど・・・。

「・・・聞いたよ。兵士長と正式に婚約するんだって?」

 物思いにふけっていたメグを、ユウの声が現実に引き戻した。ヒルデは頷くと、

「ええ・・・そんなことをする場合ではないかもしれませんが、アルスさまが強く勧めてくださいました。戴冠式のあとに発表しようとおっしゃって・・・式の日取りなど、詳しいことを決めるのはこれからですが・・・」

「そうか・・・こんなときに何だけど、おめでとう」

「ありがとうございます」

 ユウの言葉に、ヒルデははにかみながら礼を言った。

「では、お食事が済みましたらお呼びください」

 一礼して出て行こうとするヒルデの背中に、ユウが呼びかけた。

「あの、ユイさん」

「えっ?・・・!」

 ヒルデはユウの言葉に反応し、それからあっというような顔をした。ユウはそれに構わず、質問を続けた。

「ヒルデさん、いや、あなたの本当の名前はユイさんだ。そうだろう?」

 ヒルデは蒼白な顔のまま俯いていたが、ゆっくりを顔を上げ、

「なぜ、わたしのことをご存知なんですか?」

「デュオから頼まれたんだ。サロニアに行って、トレーズ団がどうなったかを調べてきてほしいと」

「デュオ!?彼に会ったんですか!?」

「おい、どういうことだよ!」

 今ひとつ事態が飲み込めないジョーが割って入った。メグはといえば、割り込むことも忘れて呆然としている。

「どうもこうも・・・今話したとおりだ。彼女はユイさん。トレーズ団の人たちが処刑されたことが原因で記憶をなくし、そのあとは侍女としてここで働いていた。記憶を取り戻しているのかどうかは確信できなかったので、ちょっとカマをかけさせてもらったんだ」

 ユウはデュオから聞いたことと、カトルの話を総合して推測したことを言った。最初の日にヒルデと会って会話をかわしたときから初対面のような気がしなかったが、書庫でカトルからヒルデのことを聞かされたときにピンときた。デュオが「ユイとリリーナの声質は似ている」と言っていたのを思い出したのだ。既視感の原因は、ヒルデの声にあったのだ。「ユイさん」と呼びかけたのは、ヒルデとユイが同一人物かどうか、記憶が戻っているのかどうかを確かめるためであり、もし記憶喪失のままで何の反応も示さなければそれでも構わなかった。そのときは、「ユイの行方は分からずじまいだった」とデュオに報告するつもりでいたのだ。

「でも、なんでヒルデさんが記憶を取り戻しているかもしれないと思ったの?記憶喪失なんて、そう簡単に治るものじゃないわよ」

 ここで初めてメグが口を挟んできた。自分も昔の記憶を失っているせいからか、その口調には「無神経じゃないのか」と責めているように思えた。

「おれたちが戦っているとき、ガルーダを見る目がただならぬものだと思って、それでね。率直な話、ほとんど勘みたいなものだ」

 ガルーダ戦のとき、城の兵士やほかの使用人がほとんど呆然とした表情をする中、ヒルデだけがガルーダを、憤怒と憎悪に満ちた目で睨みつけていたのだ。それはまさしく、仇を見る目だった。

「ヒルデさん、おれたちは別に、あなたの記憶が戻っていることを不必要に言いふらすつもりはない。でも・・・何があったかだけは、教えてくれないか?」

 ユウが向き直ると、ヒルデ――ユイは息をついてゆっくり語り始めた。

 

「・・・去年のことです。わたしたちは、最後の連絡船でサロニアに来ました。そのとき、既にこの国はおかしくなっていました。毎日のように人々が城に連行され、あの図書館広場で処刑されていきました・・・」

 処刑場を目の当たりにしたときのことを思い出したのか、メグが口を押さえた。

「親を亡くして孤児になった子供たちを見ていた兄が怒ったのです。『ここの王は人道に外れている。一矢報いてやらないと気がすまない』と・・・小さな旅芸人の一座でしかない私たちにできることと言えば、お芝居と歌だけです。そこで、王政を批判する劇を制作することに・・・といっても、内容が内容だから大っぴらには出来ません。そこで、宿泊していた宿の地下室を借りることにしました。観客も、宿の人と近所の方たちだけで・・・」

 兵士たちがなだれ込むように入ってきたのは、劇が終わった直後だった。有無を言わせず、その場にいた者は全員引っ立てられる。このときユイの脳裏に、劇が始まる直前「持病の発作を起こした」と言って苦しげな顔で席を立った老人の姿が思い浮かんだ。まさか、あの人が密告した?この考えはすぐに確信に変わった。

「賞金をくれるといったじゃないか!わしを騙したんだな!」

 牢に入れられてすぐ、隣の房からしわがれた怒鳴り声が聞こえてきたからだ。そして、すぐあとに聞こえてきた「ぐえ」という呻き声を最後に、房から物音がしなくなった。何が起こったかはなんとなく想像がついたが、考えたくもなかった。自分たちも同じ目に遭わされるのだという恐怖感ばかりが勝っていた。腰縄を打たれて外に連れ出されるトレーズたちを見たとき、それは頂点に達した。

 声にならない長い絶叫のあと、ユイの意識は途切れた。

 

「・・・気がついたときは、東の塔の部屋に寝かされていました。あとで聞いたことなのですが、使用人の方がわたしをかくまってくれたんだそうです。上のほうには、房で自害したとの報告を入れたと・・・といっても、当時は記憶がなかったので何のことかわかりませんでしたが・・・そしてそのまま、侍女としてここで働くようになりました」

「いつ、思い出した?」

「三月ほど前のことです。塔の中を歩いている赤と青の二人組を見た瞬間、全部思い出しました。兄たちを連れ出したのはあいつらだった・・・そして多分、処刑したのも・・・」

 ユイはここまで言って顔を覆った。メグが辛そうに頭を振る。しばらくして、ユイは顔を上げると、話を再開した。

「記憶は取り戻しましたが、わたしは表面上は何もないように振る舞い、侍女のヒルデを演じ続けました。無謀だと分かっていたけど、なんとかして仇を討ちたくて。ケガで寝込んでいる兵士たちの話相手を務めて、さり気なく情報を手に入れたりしました」

「じゃあ、兵士長に関してはどうなんだ?おれは、あなたが兵士長を利用するために近づいたとは思えない」

 書庫でのカトルとユイの会話を思い出しながら訊くと、

「そうですね、そう思われても仕方ないですね・・・カトルさまは、記憶のないわたしによくしてくださって。いつの間にかあの方に、恩義以上のものを感じていたのです。そしてそれは、記憶を取り戻したあとも消えることはなかった。むしろ、日ごとに強まっていきました。だから、求婚されたときは本当に嬉しかった。でもそれ以前に、これでいいのだろうかという罪悪感のほうが強かった。わたしはずるい女だわ・・・」

「・・・好きなら、それでいいじゃないですか」

 ずっと黙っていたメグが、口を開いた。

「兵士長さんがあなたを必要としているように、あなたも兵士長さんを必要としているんでしょう?」

「でも、今のままではわたしも心苦しいのです。こうなったら、カトルさまに全てを打ち明けようかと・・・もし婚約を破棄するとおっしゃったら、それに従うまでです」

「――どうなるのかしら、あのふたり」

 ユイが出て行ったあと、メグは呟いた。ユウはベッドに寝転がりながら、

「さあ、そればかりはおれたちにどうにかできるものでもないからな。でも、兵士長はそんなに心の狭い人間じゃないと思う。おれは兵士長を信じるよ」

「じゃあ、わたしもそうする」

「しかし・・・わけわからねえな。過去とか記憶とか気にする暇があったら、これからのことを考えりゃいいのに・・・」

 食後のお茶をすすりながら、ジョーが言った。

「そういう問題じゃないの。たとえ故意でなくても、結果的に相手を騙していたんじゃないかと思ってしまうのよ」

「それは単に取り繕おうとしてるだけだ。騙してんのは自分の気持ちじゃないの・・・」

 ジョーはそう言いながらも、自分もまた同じではないかと思っていた。少し前までは自分の出自を知りたいと思っていたくせに、いざサロニードから真実を聞かされると、拒絶して逃げたのだから。

「ジョーには、一生わからないことよ」

 メグはと言えば、騙しているのは自分のほうかもしれない、と考えていた。それと同時に、記憶を取り戻すことへの恐怖感がまた湧いてきていた。

「おい、ふたりのことでおまえたちが言い合ってどうするんだ、たいがいにしておけよ」

 ユウは口では注意しながらも、心中では自分の正体に不安を抱いていた。自分は人でも獣でもない存在だという。それが何なのかはっきりしたとき、果たして本当の自分を受け入れることができるのだろうか、と。