客用寝室の扉が勢いよく開き、使用人が飛び込んできた。いや、使用人の格好をしたジョーだった。
「アルス!」
 ジョーが真っ先に見たものは、倒れているサロニア王を抱き起こすアルスの姿だった。王の胸からは真っ赤な血がだらだら流れ、床には、血のついた黒い短剣が転がっている。
「父上!しっかりしてください、父上!」
 そしてその光景をじっと見ている男性がいた。悔しそうに唇を噛んでいる。
「くそ、人形のくせに抗うとは・・・余の術は完璧だったはずなのに・・・」
 王は目を開けると、顔を横に向け男をにらみつけた。そして、傷の深さからは信じられないほどの強い口調で、
「ギ、ギガメス・・・!我が身が、どう・・・なろうとも・・・息子のアルスだけは・・・殺させはしないっ!」
 王はそう言い放つと、ゴボリと吐血してぐったりと頭を落とした。アルスが叫び声をあげて父王をゆする。
「仕方ない・・・こうなったら、余が直々に・・・!」
「させるかよっ!」
 われに返ったジョーは、振り向いたギガメスに飛びかかった。不意をつかれたギガメスの首筋に強烈な飛び蹴りが炸裂し、床に転がる。そのすきに、ジョーはアルスたちのもとに駆け寄った。
「アルス、大丈夫か!?何があった!?」
 アルスは返り血のついた顔をジョーに向け、
「父上が、ぼくから剣を取り上げて・・・それで、自分で自分を刺したんです・・・」
「おい、しっかりしろ!」
 ジョーは、王の傷口を見た。かなりひどい状態なのが一目でわかる。そして、目を閉じた王の顔を見たとき、ジョーの全身をズキンと鈍い痛みが走りぬけた。
 ――この男が、オレの・・・?そう思ったとき、
「おのれ、邪魔をする気か・・・!」
 ギガメスが、首を押さえながら立ち上がった。ジョーはアルスと王をかばうように身構えたが、ギガメスは身を翻すとそのまま部屋を飛び出していってしまった。
「待て!」
 後を追おうとして思い直した。今はケガ人を優先させるべきだと思い、ジョーはベッドからかけ布を一気に剥ぎ取ると、王の身体にきつく巻きつけた。たちまちのうちにかけ布に血がにじむ。メグが地下の取調室に連れて行かれたらしいことは聞いているから、そこに行けば多分合流できるだろう。
「来い、アルス!」
 ジョーは王を背負うと、アルスを従えるように走り出した。背中を嫌な冷たさが襲う。すでに血がしみだしているのだろうが、それを気にしている余裕などない。ジョーはひたすら走りながら、心の中で叫んでいた。
 ――死ぬなよ・・・あんたには息子がいるんだからな・・・!

  メグの首飾りが不思議な光を放った。
「うわあっ!?」
「な、なんだこの光は!?」
 光は瞬時にして、その場にいた者を昏倒させてしまった。同時にメグを縛り付けていた鎖が解けて床に落下する。
 地下の取調室にユウが飛び込んできたのはその直後のことだった。続いて、カトルとアレックスも入ってくる。
「メグ、大丈夫か!?」
 ユウの目に真っ先に映ったのは、床に倒れているメグの姿だった。次いで、頭を振りながら起き上がる赤の男と青の男、兵士の姿に気が付く。
「フェイ!」
 カトルとアレックスは、うずくまっている兵士――フェイに駆け寄ろうとしたが、フェイ自身の長剣にそれを阻まれる。
「フェイ、何をするんだ!?」
 カトルが攻撃を避けながら叫ぶが、フェイは聞こえていないかのようにカトルを攻め続ける。
「何を言ってもムダですよ。今の彼は、我らの下僕ですから・・・」
 風の塊でアレックスを吹っ飛ばした赤の男がにやりと笑いナイフを投げつけた。あやういところで剣を払って叩き落とすアレックス。
「貴様らの目的はなんだ!?」
 青の男と激しい剣戟を繰り広げながらユウが叫んだ。ユウの攻撃を的確に受け止めながら、
「サロニアへの復讐だ。それ以外言う必要はないっ!」
 青の男の一撃でユウの身体は跳ね飛ばされ、後方の床に勢いよく叩きつけられていた。起き上がろうとするユウの喉もとに剣を突きつけ、動きを完全に封じてしまった、そのときだった。二人組の身体がピタリと止まったのだ。それと連鎖するかのように、フェイの攻撃もピタリとやむ。
「なんだ・・・?」
 予期せぬ出来事に、その場にいた者たちは皆怪訝な顔をした。と、青の男が、
「時が来たようだ・・・行くぞ、相棒」
「了解・・・おっと、その前に」
 赤の男はユウに向き直り、彼にしか聞こえない声でささやくように言った。
「あなただけにいいことを教えてあげましょう。あなたのお父上は生きておられます」
「なんだと・・・!?」
「では」
 二人組は空気に溶けるように姿を消し、フェイがその場に崩れ落ちた。それと同時にメグが目を覚ます。
 ユウが駆け寄ると、メグは「外して」と言うように首輪を指した。ユウは頷き、近くに落ちていたナイフを拾い上げると、首輪に突き立てた。
「フェイ!」
「兵士長!」
 カトルとアレックスが呼びかけると、フェイは目を開けた。あたりを見回し、
「なぜ私はこんなところに・・・?」
「・・・きっと、あの二人組に操られていたんだよ。だから、いなくなったことで正気に戻った。あいつらはガルーダの手下で、大臣ギガメスにとりついたガルーダが王を操っているんだ!」
 メグの首輪を外し終えたユウが言った台詞に、カトルたちは驚きを隠せなかった。とくにアレックスの衝撃が大きかった。
「なんだって・・・ギガメスさまが、そんな・・・」
「カトル兵士長・・・西軍が強力な兵団を雇い入れたと言うのは誰から聞いたんだ?」
 ユウの質問に、フェイはまた驚いた。
「兵団?なんのことだ?それは東軍のことではないのか」
「ギ、ギガメスさまだ・・・ギガメスさまから訊いた情報を、そのまま兵士長に伝えたんだ・・・」
 アレックスの答えに、ユウはやっぱりなと呟くと、
「その偽情報で、あんたたちが相手に裏切られたと思い込み、本気で戦うよう仕向けたんだよ。つまり、みんな騙されていたんだ!」
「そ、そんな・・・」
 ユウの言葉に三人が戸惑いと動揺の表情を見せたとき、扉が開いてジョーとアルスが飛び込んできた。
「へ、陛下!」
 ジョーが背負った男を見て、カトルたちは大声を上げた。ジョーはそれには構うことなく、起きあがったメグの前で王を降ろすと、
「サロニア王だ、こいつを治してやってくれ!」
「ぼくを助けようとして・・・自分を刺したんです!」
「わ、わかったわ・・・」
 メグはおびただしい血の量に怖気づいたが、それでも精神集中を始める。ユウはジョーに顔を向け、
「ジョー、あいつらを追うぞ!ガルーダはサロニアに復讐するために蘇ったんだ、だから逃げるようなことはしないだろう」
「あ、ああ・・・」
 ユウとジョーが立ち上がったとき、
「待ってくれ!私たちも戦う!」
「サロニアとギガメスさまを汚すなんて許せない!」
「これが詫びになるなんて思っちゃいないが・・・私も行くぞ!」
 それぞれ自分の意志を口にするカトルたちに頷いて見せると、
「メグ、アルスと王を頼んだぞ!」
 そう言い残し、ユウとジョーは取調室を出た。カトルたちも後に続くと、邪悪な気配を追って階段をかけ上がっていった。

 ユウたち五人が城のバルコニーにたどり着いたとき、ギガメスと二人組は手すりの上に立ち、冷たい目でユウたちに視線を投げつけていた。
「観念して身投げでもする気かい?なら、下に誰もいないときにしろよ」
 ジョーの軽口にギガメスは、
「観念するのは貴様らのほうだ、光の戦士どもよ・・・」
 この言葉に、カトルたち三人が唖然としてユウとジョーを見た。
「あ、ばれちゃってた?なら仕方ねえな!」
 ジョーは言うなり、ブリザガの氷の矢を投げつけた。刹那、ギガメスと二人組が黄金色の光に包まれ、矢はあっという間に消滅する。光はさらに広がり、ユウたちが立っているバルコニーに突き刺さった。床にビシビシと亀裂が走り、
「うわああっ!」
 ユウたちの身体は無数の石片とともに落下した。
「いてて・・・」
 なんとか立ち上がったユウが空を見上げると、一羽の巨大な鳥が空に浮かびあがり、自分たちを悠然と見下ろしていた。広がった翼がギラついた鬱金色に輝く。羽の一本一本が風になびいてひらめくさまは、得体のしれない生物が蠢いているようだ。その姿は、歴史書で見た怪鳥ガルーダに相違なかった。
「貴様ら、皆殺しにしてくれるわ!」
 ガルーダが片方の翼を高々と挙げると、傾けた匙からこぼれる砂糖粒のように、二体の黒騎士を筆頭にしたゴールドナイトの大群がバラバラと落下してくる。黒騎士の片割れは赤い柄の細剣、もう片割れは青い柄の長剣を手にしていた。これが二人組の真の姿なのだろうか、とユウは思った。騒ぎを聞きつけたのか、ほかの兵士や使用人たちも駆けつけてきた。そのなかにはヒルデの姿もあった。
「こいつらは私たちに任せてくれ!」
 カトルとフェイが猛然と黒騎士に斬りかかったのを皮切りに、アレックスたちもゴールドナイトの軍団に戦いを挑み始めた。心のなかで感謝の言葉を告げると、ユウとジョーはガルーダと対峙した。正直なところ、竜騎士の力を得られなかったことで、若干の不安感がある。それでも・・・。
「戦う!」
 サロニアの人々のために、王のために、そしてアルスのために。
 ユウは決意すると、召喚魔法のオーブを高々と掲げ、詠唱を始めた。

「父上!父上!しっかりしてください!」
 アルスは、父を抱き起こしながら、懸命に呼びかけていた。
 メグは、両手を王の胸に当てると、回復魔法を施した。
「慈愛の精霊よ、汝の抱擁により、かの者の血を止め、傷を塞ぎ、再び立ち上がる力を与えたまえ。ケアル――あっ!」
 メグの両手から発せられた白い光が弾け、分散してしまった。メグはその衝撃に、床に倒れ込んだ。
「ど、どうしたんですか!?」
「回復魔法が・・・効かないの!」
「そ、そんな――!」
 メグは気力を奮い立たせると、もう一度魔法をかけようとした。そのとき、王が僅かに目を開け、
「アルス・・・」
 やっと聞き取れるほどの声で言った。
「父上!」
 王は、焦点のあわない目をアルスに向けながら、
「私は・・・妃が死んでからずっと、ギガメスに化けていた魔物に操られていた・・・心の隙をつかれたのだ・・・私は、迂闊だった・・・」
「しっかりしてください!」
 王は、かすれた声で続ける。
「あの魔物は、私を利用して、お前の抹殺を謀った・・・。お前を追放したときは、私はまだ完全には乗っ取られてはいなかった・・・まだ私自身は残っていたのだ。お前を魔物から少しでも遠ざけたくて、追放を命じたのだ・・・すまない、お前に辛い思いをさせてしまって・・・」
「父上、ぼくは・・・何も知らず父上を疑っていた。ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさあい・・・」
 アルスは、嗚咽しながら何度も何度も謝った。王は震える手を伸ばすと、アルスの肩を抱いてささやくように言った。
「良いのだ。お前が戻ってきてくれて・・・本当に嬉しかった。お陰で私も・・・最期に、正気に、戻れた・・・ありがとう・・・」
「ぼく、父上のこと大好きだから・・・だから死なないで!」
「私は疲れてしまった。もう休ませてくれ・・・よいかアルス、これからは、お前が、王となって、この国を治めるのだ・・・お前には立派にその資格がある・・・」
 王はそう言うと、服の袖を探ってひとつのペンダントを取り出した。金色の鎖に、美しい金の十字架がついているものだった。それを差し出すと、
「さあ、受け取るがいい・・・これが・・・サロニア王の証だ・・・」
「嫌だ、ぼくを置いていかないで!ぼくはまだ・・・!」
「お前なら大丈夫だ・・・それに、支えてくれる者たちがいるじゃないか・・・どうか、強く生きておくれ。ア、ルス・・・私の一番大切な宝・・・よ・・・」
 王はゆっくりと目を閉じた。その顔が微かに微笑んでいるように見えた。アルスの肩から王の手が滑り落ち、床にパタリと落ちた。
「父上!?」
「王さまっ!?」
 アルスは王を揺すった。何度も何度も揺すり続けた。だが、王は二度と答えなかった。
「起きて父上・・・死んじゃ嫌だ、父上ーっ!」
 アルスは父の亡骸を抱きしめながら泣いた。涙が流れて止まらなかった。王の顔がアルスの涙で濡れる。 
「アルス・・・」
 メグは涙を流しながら、しばらくの間慟哭するアルスを呆然と見つめていたが、われに返ったように立ち上がった。そして、聞こえるか聞こえないかの声で、
「アルス・・・あなたはここにいて。わたしは、行く・・・」
 アルスの反応を待たずに、メグは部屋を出た。王は遠くへ逝ってしまった、それは動かしようのない事実だ。冷たい言い方かもしれないが、身体を離れてしまった魂はもう二度と戻らないのだ。ユウたちは魔物と戦っていることだろう。それなら今は彼らの援護を優先させるべきで、悲しんだり故人を悼んだりするのはそれからだ。
 歩き続けるメグの両手と両足から、赤い血が流れていた。首輪がなくなったので、魔法で治そうと思えば治せる。だが、あえてそれをしなかった。王を助けられなかったことに対する贖罪・・・というのは虫がよすぎる話かもしれないが、アルスたちの痛みはこれの比ではない。だが、彼らが今まで受けてきた痛みの一部でもいいから、この身に刻みつけておきたかったのだ。
 メグの後をついていくように描かれた赤い点と線が、静か過ぎる廊下を染めていった。