サロニア大陸の中心部にあるサロニア城。別名、四つの都市で成り立つ「巨大国家」。

 遥か昔、「ガルーダ」と名乗る怪鳥が、人々を苦しめ、略奪の限りを尽くしていた。そのとき、どこからともなく現れたひとりの竜騎士が、自分と同じくどこからともなく現れた騎竜の力を借り、ガルーダを倒した。彼は人々の願いでその地を治めることになり、美しい国を築き上げた。それがサロニアで、竜騎士は初代サロニア王だった。そして、しばらく平和な時代が続いた。

 だが、サロニア暦一六一七年。かつてない大火事がサロニアを焼き尽くした。地獄の劫火は数日の間おさまることを知らず、建物を、逃げまどう人々を容赦なくのみこんだ。これが「サロニアの大火」と呼ばれる出来事だ。

 この火事で、サロニアは人口の四分の一を失ったという。

 その後、サロニアは再建され、サロニアの名物――それは、奇跡的に焼け残ったドラゴンの塔、世界のありとあらゆる書物や文献をそろえた最大規模の図書館、最強軍隊、古代遺跡から発掘された飛空艇に改良を重ねて完成されたノーチラスだった。

そして、今――サロニアは、かつてない危機と混沌に直面していた。

 

 メグは飛空艇の甲板に立って、潮風にあたっていた。空は雲ひとつない、目の覚めるような鮮やかな青。時々小波の立つ鏡のような海面を、海鳥たちが飛び交うのを見下ろしながら、何かを思うでもなくボンヤリしていた。

 今の季節の割には暖かな日だった。これ以上望めないくらいの快晴で、じっとしていても、陽光に射られてジットリと汗ばんでくる。そこに吹きつけてくる風がたまらなく心地よい。

 メグは目を細めた。手摺りにもたれているうちに、瞼が重くなってくる。と、

「危ないぞメグ。こんなところで寝る気か?」

 ユウが眩しさに手を翳しながら立っている。メグは慌てて照れ隠しに、

「も、もうすぐサロニアに着くわね」

「そうだな。具体的な時間はわかるか?」

「このままだと、あと十分もかからないよ」

 と答えて視線を再び空に戻した。水平線の彼方を見つめながら、メグはおもむろに髪を結ったリボンをほどいた。豊かな黄金色の髪が風に波打ち、肩を覆った。と、

「あ、あのね、ユウ・・・」

 顔を空に向けたまま、メグは訊いてみた。

「ジョー、わたしのことで何か言ってなかった?」

「いいや、別に。あいつがどうかした?」

 メグは慌てて首を振り、

「ううん、何も言ってないならそれでいい」

 その様子を見て、ユウはなんとなくだが、何があったかを察した。ニヤリとしたいのを堪えながら、

 なるほどね。でもあいつのことだ、正攻法が通じるとは思えないけどな・・・。

「あ、サロニアが見えてきたわ!」

 メグの言葉にわれに返って見てみると、眼前には美しい白亜の城と四つの街が、灰色の城壁に守られるように立っていた。城の両側には、まったく同じ高さ、同じ造りの塔が聳え立っている。さらに、右下――南東に位置する街にも、もうひとつの塔が建てられている。

「ここが、サロニアか・・・」

 ユウは呟きながら、デュオから頼まれたことを思い出していた。旅一座トレーズ団のことを調べなくてはならないが、ナイトメアーが言い残した「本物の恐怖と悪夢」という言葉が気にかかっていた。それが意味するところが、リリーナが言っていた「サロニアが真っ二つにわかれて紛争が起こっている」ということなのだろうか。

 城を見下ろしながら、また厄介なことになりそうだな・・・と思ったそのとき。サロニアに着陸するべく下降を始めた飛空艇を強い衝撃が襲い、船体がグラリと傾いた。

「うわあっ!?」

とっさに右手で手すりを、左手でよろけたメグの腕をつかむ。その間にも揺れはガタガタと止まらない。

「ジョー!」

 その声が操縦室のジョーに聞こえたかどうか定かではないが、飛空艇の傾きがほんの少しだけ直り、右に大きく曲がった。なんとか立て直そうとしているらしい。

「いったい、なにが・・・」

 あとの言葉を言い終わるより前に、城の方角から赤子の頭ほどもある黒い球体が飛んできた。飛空艇が悲鳴のような唸りをあげて左に曲がろうとする。だが、球体の速度は飛空艇のそれを遥かに上回っていた。ユウとメグがいる甲板の真下に、球体が肉薄する。

 まにあわない!考えるより先に身体が動いていた。ユウは、思い切りメグを突き飛ばした。直後、轟音をあげて足場が一気に崩壊する。

「うわああーっ!」

そして、ユウの意識とは無関係に、風に吹かれる落ち葉のように回転しながら、彼の身体は無数の破片や火の粉とともに落下していった。

「ユウーッ!」

 メグの悲鳴がひどく遠くで聞こえ、それに被せるようにさらに爆発音、何かがバリバリと裂ける音が耳に響いて・・・。

 ユウが覚えているのはここまでだった。

 

 破滅の花火とともに木っ端微塵になる飛空艇と、ばらばらに落ちてゆく三つの影をサロニア城の二階のバルコニーから、じっと見ている男がいた。

 三十がらみで、目つきが刃のように鋭く冷たく、顔からはほとんど生気が感じられない。

 男は、唇の端を歪めた。皮肉な、酷薄な笑みだった。

 男の名はギガメス、サロニア王家の大臣だ。

 

 闇の中で、誰かの声が聞こえてきた。

 ――おまえは、人間が好きなのか?私は認めない――

 ――なぜ、あなたは人間を嫌うのですか?みんな同じなのに――

 ――許してくれ。私は、おまえを――

 どこか懐かしさを感じる声だった。それきり声は途切れる。が、突然の爆音があたりの静寂を破壊した。それに重なって、剣戟の響きと、人々の悲鳴、怒号。と、それに混じり、また声が聞こえてきた。

 ――おまえを愛する者などどこにもいやしない。現に、私がそうなのだからな――

 ――おまえのせいで、また死んだ――

 ――魔女だ、こいつは魔女だ!――

 ――バケモノめ――

 違う、わたしは――!

 

 メグははっと目を開けた。思わず身動きしようとして、

「うっ・・・」

全身の痛みに顔をしかめる。手足には包帯が巻かれ、額に手をやるとバンソウコウらしきものが貼られていた。

「気がついたんですね」

 声がしたほうに目をやると、紺色の服と純白のエプロン――おそらく侍女の制服だろう――を着た女性が、部屋のすみの椅子から立ち上がったところだった。歳は二十歳前後といったところだろうか。白い髪飾りとしなやかな金髪がよく映えていた。

「えっ・・・」

 なんとか状況を把握しようと、あたりを見回してみる。宿の部屋にしては、広さの割にベッドがひとつしかない。天井からは、王冠のような形をしたシャンデリアが吊り下げられ、自分が寝ているベッドも天蓋つきの豪奢なものだ。衣装戸棚の四方に埋め込まれているものは本物の宝石だろうか。テーブルに置かれた香合から流れ出している煙が、部屋にたなびいて花の香りを広げている。

「お城みたい・・・」

「はい。ここは、サロニア城の『西の塔』の中です」

「なんでわたし、こんなところにいるんですか?」

 メグは、記憶をたどった。ユウが飛空艇から落ちた直後、また新たに黒い球体の攻撃を受け、それで船は完全に大破してしまったのだ。宙に勢いよく放り出され、茂みの中に落ちた・・・ような気がするが、はっきりとは覚えていない。

「あなたの乗った飛空艇は、城の砲撃を受けたんです。兵士長さんが、倒れているあなたを見つけてここまで運んできました。茂みに落ちたのが幸運だったんですね、かすり傷だけですよ」

「それで・・・ユウとジョーは無事なんですか?あの、旅の仲間なんですけど」

 メグの問いに、女性は首を振り、

「それはわかりません。ここに収容されたのはあなただけですから」

 この答えを聞いたときは一瞬目の前が真っ暗になったが、「自分がここにこうしているのだから、あのふたりが死ぬわけない」と必死で自分に言い聞かせた。そうしないことには、平常心を保つことはできなかったから。

「そ、そうですか・・・あ、わたし、メグといいます。あなたは?」

「申し遅れました、アンといいます」

 アンと名乗った女性は一礼した。

「それで、アンさん。なんでお城はあんなことをしたんですか?警告もなしにいきなり攻撃するなんて・・・」

 彼女に当たっても仕方ないとはわかっていたが、それでも声は苛立っていた。

 メグの問いに、アンは暗い表情を作って答えた。

「戦争・・・なんです。この国の軍隊は、陛下の命令でふたつにわかれ、仲間同士で戦うことを強いられているんです・・・」

 リリーナの言葉は真実だったと認めざるをえない一言だった。