その日の昼過ぎになって、三人はやっと目を覚ました。メグは竪琴を弾いていたときの記憶は残っていたらしく、「ふたりに迷惑かけた」と、悄然としていた。それでも前日飲まず食わずだった影響か、出された昼食をしっかりとっていた(ジョーがやや強く言ったせいもあるが)。セキト――本物のデュオの部屋の扉を叩いてみたが、出かけているのか反応はなかった。

 食後にリリーナを訪れてみると、ちょうど青ざめた顔の地主が彼女の家から出てくるところを見かけた。

「地主さん?あたしの竪琴を壊したことを謝りに来ていたの。まあ、怒ってないといえば嘘になるけど、あいつのせいでおかしくなっていたと思えばね。それに、竪琴がなくてもあたしにはこの喉がある。演奏なしでも歌えるようにしておかないと」

 三人に飲み物を出したリリーナは、昨夜とはうってかわって明るい表情で言った。

「デュオは?ここには来てないのか?」

 ユウが訊ね、リリーナが首を振ったとき、不意に扉が開いて酒場の主人が入ってきた。

「おお、皆さんも来ていましたか、ちょうどいい。今からデュオが演奏会を開くそうです。もうみんな行ってますよ」

「デュオが?」

 「本物の?」と言いかけ、ジョーは慌てて口を閉じた。村人たちは何も知らないのだから、余計なことは言わないほうが賢明だろう。

 ユウたちはとるものもとりあえずといった感じで外に出た。メグは最初渋っていたが、ユウの説得に応じて着いていった。会場は、偽デュオと同じ場所だった。

 村はずれの泉に到着したときには、すでに人だかりが出来ていた。おとといのそれを凌ぐほどだ。

「このままじゃ何も見えないな・・・この木に登って見るしかないかな?」

「やるならひとりでやれよ」

 冗談とも本気とも思えない口調でジョーが言い、それにユウが返したとき、ざわめきが一段と大きくなった。どうやら、デュオが現れたらしい。メグが背伸びをして、なんとかデュオの姿を見ようとしたとき、

「お待たせしました」

 あたりに涼しげな声が響き渡った。とくに大声を出しているわけでもないのに、後方にいるユウたちにもそれははっきり聞こえた。

「皆さま、お集まりいただきありがとうございます。今回お送りする歌は、伝説の勇者を称える『騎士の歌』です。短い時間ではありますが、お付き合いくださいませ」

「今日のデュオ、なんだか雰囲気が違うような気がするんだけど・・・気のせいかな?」

「前は、近くにいるってだけで緊張したのにそれがないよね。むしろ安心するとか、癒されるような感じだわ」

 ユウたちの耳に、近くにいた少女たちの話し声が聞こえてきた。と、またデュオの声がした。

「さて今日は、いつもと趣向を変え、ダスター村髄一の歌姫リリーナさんと一緒に歌っていただきたいと思います。リリーナさん、前にどうぞ」

 突然の名指しに全員の注目を集めたリリーナは、明らかに狼狽した。

「え、あ、あたし!?いきなりそんなこと言われても・・・」

 下を向いて対応に困った様子のリリーナに、ユウがそっと耳打ちした。

「行ったらどうだい?おれはあんたの歌、好きだぜ」

 そのまま背中を押してやると、リリーナはひくにひけず、村人たちがいっせいに開けた道を歩き出した。ただし、顔を伏せ、少しでも先延ばしにしたいという思いからか、牛のような歩み方で。やっとデュオのもとにたどり着いたときには、リリーナは汗をびっしょりかき、頬は赤らんでいた。歌絡みでこんなに緊張したのは、六才のとき、初めて競演会に出て以来だった。

「デ、デュオさん・・・」

 助けを求めるようにデュオのほうを見ると、彼は微笑んで囁いた。

「さっきと同じように歌えばいいだけですよ」

「そんなこと言われても・・・!」

 心の準備はまだ出来ていないが、デュオはお構いなしに竪琴を奏で始めた。美しい旋律が空気に流れてとけこんでいく。そして序奏はあっという間に終わろうとしていた。ここまで来たとき、リリーナは腹を決めた。というより決めさせられた。唇を開くと、

 

騎士は立つ 黒き牙を研ぐ者に勇気の剣で挑まんとす

 彼の武器は揺るぎない正義 力 優しさ そして負けない心と本物の強さ

 きみはひとりじゃない 大切な人はいる あなたを愛する人は必ずどこかにいる だから私も諦めない

 ひとつひとつは小さくても 集まればそれは無敵の力 だけど使い方を誤ればたちまち無と化す諸刃の剣

 人と人とが信じあい助け合うことが一番の武器 だから私は征く たとえその先にイバラの道があろうとも躓こうともけして止まりはしない

 その武器を皆に伝えるため・・・

 

 ユウは、つい半日前にも聴いたその歌を、目を閉じながら聴いていたが、ふと思った。

 デュオとリリーナ。このふたりの合唱を一日に二回も聴けるなんて、こいつは役得だったかもしれないな・・・。

 歌がすべて終わっても、その場にはしばらく静寂が広がっていた。だが、ひとりが大きく手を叩いたのを皮切りに、ほかの人々がつられるように手を叩き始め、やがてそれは島全体に響き渡るほど大きなものになった。おとといのそれを遥かに凌ぐものだった。もちろんユウたち三人もそれに加わり、メグもボーっとすることはなかった。

 

「ああ、ちょうどよかった。セキトさんを見ませんでしたか?」

 しばらくしてから宿に戻ると、宿の主人が慌てた様子で近づいてきた。手に紙片を握っている。ユウが否定すると、

「いえね、さっき戻ったら、今日までの宿代と一緒にこんなものが置いてあったんですよ」

 主人が持っていた紙片には「お世話になりました」という一文が書かれてあった。荷物も一緒に消えていたという。ユウたちにはその理由はわかっていたが、口に出してもややこしくなるだけなのでやめておいた。

「そういえば、セキトさんに頼まれて書いた詩の内容と、デュオさんたちが歌った歌詞の内容がよく似ていたと思うんですよ。偶然かなあ・・・?」

 主人が首をかしげたとき、入り口の扉が開いてデュオが入ってきた。驚くユウたちを尻目に、デュオはさっさと宿帳に名前を書いた。

「デュオさん、今までどこにいたんですか?」

「いや、実はずっと森の中で自然と生活を共にしていたのですが、雲行きが怪しくなってきたので泊まらせていただくことにしました。雨に降られて体調を崩したらシャレになりませんからね」

「は、はあ、そうですか・・・では、ごゆっくりどうぞ」

 鍵を受け取って二階に行く途中、デュオはまだ呆然としているユウたちのほうを向いて片目をつぶって見せた。

 

「――随分まわりくどいことをするんだな」

 デュオにあてがわれた部屋――セキトだったときにも逗留していた部屋だった――に、ユウ、ジョー、メグ、デュオ、リリーナが集まっていた。デュオが言ったとおり、外からは雨音がシトシト聞こえてくる。

「デュオとセキトの一人二役を演じることも考えましたが、それはさすがに面倒だと思いましてね。それに、老人になりきるのも結構大変なことなんですよ。人前ではずっと曲げておかなきゃいけないから腰に来る」

 と言って、デュオは腰を叩いてみせた。

「・・・で、オレたちを呼んだのはここに泊まる理由を説明するためかい?」

 ジョーがやや皮肉めいた口調で言うと、デュオは本題に戻った。

「いえ、お訊ねしたいことがありまして。ユウさんたちは、これからどこに向かわれるつもりですか?」

「サロニアだよ。さっき話し合って決めたんだ」

 ナイトメアーの最期の言葉を思い出しながらユウが答えた。

「そうですか・・・それではお願いしたいことがあります。トレーズ団のことを調べていただけないでしょうか?私が以前所属していた旅芸人の一座なのですが、サロニアで王政を批判する劇を演じて捕まったという噂を聞いたことがあるんです。サロニア行きの連絡船はとっくに廃止されていて、私ではどうしようもないので、噂の真偽を確かめてほしい」

「そういえば、あたしも聞いたことがあるわ。サロニアが真っ二つにわかれて紛争が起こっているとか・・・」

「わかった、調べておくよ。そのトレーズ団とやらのことをもっと教えてくれないか?」

「劇団の人数は五人ほどの小さなものです。団長の名は演出と脚本を手がけるトレーズ、彼の妹である歌姫のユイ。このふたりが団をとりしきっています」

 ここまで言ったとき、ずっと黙っていたメグが初めて口を開いた。

「デュオさん、ぶしつけなことを訊いて申し訳ないんですけど・・・もしかして一座にいたとき、そのユイさんと組んでいたんじゃないですか?いえ、なんとなく思っただけなんですけど・・・」

 この質問に、デュオは少し驚いたような顔で、

「よくわかりましたね。たしかに、ユイは私の相棒でした。かけがえのない・・・リリーナさん、あなたの頼みを断ったのは、あなたの声質がユイとよく似ていたからなんです。それだけの理由で、すみません」

「いえ、もう気にしていないから。わけがわかってすっきりしたわ」

 おそらく、相棒以上の関係だったのかもしれない。デュオの表情を見ながら、メグはふとそう思った。

 

 翌朝。雨で洗い流されたのか、カラッと晴れた空の青が目にまぶしかった。ユウたちはデュオとリリーナに別れを告げ、出発した。村を出ると、追いかけるようにデュオとリリーナの歌声が聴こえてきた。このふたり、これから一緒に歌うかもしれないとユウは考えていた。それだけデュオの演奏と声、リリーナの声は調和していたのだ。長い間離れていた半身と半身が融合したかのようだった。

 そして飛空艇を出発させようとしたとき、上空から無数の物体が近づいてくるのが見えた。物体の正体はアイスフライの群れだった。メグがすかさずエアロを唱えようとしたとき、

「待て、おれに任せろ!」

 メグを制したユウは赤いオーブを取り出すと、詠唱を始めた。その間にもアイスフライはどんどん肉薄してくる。

「今はナイトだから、魔法なんて使えないはずなのに・・・」

 怪訝そうなメグの言葉を否定するかのようにオーブが輝き、中から炎の外套を身にまとった少年が現れた。勢いよく翻された外套が生き物のように少年から離れ、激しく燃えながらの群れに突っ込んでいく。アイスフライたちはいっせいにブリザラの魔法を唱えたが炎の嵐の前にあっさり消されていき、やがて魔物をも飲み込む。一瞬の間に戦闘は終わった。

 ユウたちがわれに返ったとき、既にイフリートの姿は消えていた。務めを果たして幻獣界に戻ったのだ。

「ナイトなのに召喚魔法が使えるの?」

「そりゃ便利だな。二刀流ってヤツか?」

 メグとジョーはそれぞれの思いを口にしたが、一番驚いていたのはユウ自身だった。ナイトメアー戦のときとは比べものにならない威力だ。今はオーブを使ったからかもしれないが・・・。

 ――これも、おれが人でも獣でもない存在だから出来る芸当なのか?それとも・・・?

「まあ、これでオレも少しは楽が出来そうだな。正直羨ましいけど・・・」

「おれはおまえのその性格が羨ましいよ」

 ユウは軽口で返したが、内心複雑なものを抱えていた。人でも獣でもない存在なら、おれの正体は一体なんなんだ・・・?

 

 その日の昼。メグは甲板に出ていた。竪琴を弾いていた間はずっと部屋にこもっていたから、随分久しぶりに外の景色に見入っているような気がする。天気とは裏腹に、彼女の表情は暗い。

 ダスターでの出来事は、結果的には自分の強くなりたいという心につけこまれてしまい、ふたりの足を引っ張り、旅を妨げただけだ。あんな状態になったのは、わたしの心の底に闇の部分があったからで、それが表面化したのかもしれない、と思うようになっていた。

「本当、何やっているんだろう、わたし・・・」

「何やってんだよ」

 急に聞こえてきた声にぎくりとして顔を向けると、ジョーが立っていた。

「昼飯出来たから早く来いよ。おまえの分は多めにしておいたからな。頭に栄養が行き届いてなかったら、いい考えもできねえよ」

 いつもの言い方だが、メグはドキリとしていた。

「わかった、すぐ行く」

「・・・まあ、元気出すんだな」

 メグは行きかけてジョーのほうを向いた。もしかしたら、彼なりに気遣ってくれているのかもしれない。

「ありがとう。あのね、わたし、ジョーのそういうところ・・・す、好きだから!」

 言うなり、そのまま走り去ってしまった。一方残されたジョーはというと、

「好きだって?何を今更・・・まだ正気に戻ってないのか?」

 わけのわからない顔をしていた。