「――なぜ、メグに竪琴を渡した?」
 弦の連続攻撃をやりすごしたあと、ユウはナイトメアーに疑問をぶつけてみた。最後の一本を完全に避けることが出来ず、頬に切り傷を作ったが、大して深いものではなかった。
「わざわざあんなことをする必要性があったとは思えないが・・・」
「単なる気まぐれですよ。あの娘が私の演奏を熱心に聴いてくれたので、少しばかり世間話をしてみました。彼女は『今のままじゃ何も変わらない。強くなって、仲間を助けたい』とおっしゃっていました。そこで、私特製の竪琴と『死神の囁き』の出番です。練習を重ねれば重ねるほど、そして彼女の意志が強ければ強いほど、生命力を削る代わりに腕はどんどん上達していく。まさに彼女の望みどおりになるわけです」
 ユウは、指で頬の傷をぬぐいながら、
「つまり、あいつの気持ちに付け込んだわけか。そういうヤツは死ぬほど嫌いだ」
「で、死ぬほど嫌いな私をどうすると?」
「殺す」
 ユウは剣の柄を両手で握り締め、冷たい口調で言い放った。それとは逆に、心は熱くたぎっていた。
「では見せてあげましょう、本物の悪夢を!」
 ナイトメアーは大きく口を開けると、自らの牙を折り取ってしまった。即席の短剣の完成だ。右手に牙の剣、左手に竪琴を持った魔物が、ユウに向き合う。
「両手に武器か・・・数が多けりゃいいってもんでもないぜ!」
 ユウは猛然と斬りかかった。長剣と牙が激しくぶつかり、火花を散らした。ユウはそのまま剣にありったけの力をこめる。押され続けていたように見えたナイトメアーだが、すばやく横っ飛びにかわして剣を払いのけた。
「くっ!」
 バランスを崩して前のめりになりかけたユウだが、剣を軸にして転倒を免れることが出来た。剣をつかんだまま、勢いを利用してナイトメアーにまわし蹴りを放つ。たしかな感触があった。剣を引き抜き一気に振り回すと、空を切り裂く音とともに、紫色の血が飛び散る。そのまま魔物に突っ込むと、全体重をかけてぶつかった。
「ぐあっ!」
 魔物の身体が吹っ飛び、木に激突した。牙が手から離れ、地面にカラカラと転がる。倒れたナイトメアーの口から、ひゅうっという口笛めいた息が漏れた。
「死ねえっ!」
 大上段に構えた剣を振り下ろそうとしたとき、ユウの身体に異変が起こった。
「ううっ!?」
 それは頬から始まった。最初はほんの些細な違和感だったが、直後に激しい痺れに襲われ、それは瞬く間に血液のように身体中に広がっていく。以前、サスーンの近くでキラービーに刺されたときの感覚とよく似ていた。程度は今のほうが格段に上だが。
「ど・・・どうし、て・・・」
 自分の意志に反して剣を落とし、脱力感でその場に膝をつくユウ。一方ナイトメアーは、先ほどのダメージなど微塵も感じさせない様子で立ち上がっていた。
「弱いふりをするのもなかなか骨が折れますね。まあ、時間稼ぎと思って我慢していましたが・・・これがただの竪琴に見えましたか?」
 ナイトメアーは、竪琴をピンピンと弾いた。
「そう・・・か。弦に、毒を・・・ぐっ・・・」
 毒は既に全身にまわり、口も思うように動かすことが出来なくなってきた。声の代わりに流れるものは、かすれたうめき声と涎だけだ。
「ふふ、いい眺めですねえ・・・こうすれば、もっとよくなりますかね?」
 ナイトメアーは不気味な歌を歌い始めた。と、それに応じるように勢いよく伸びた弦が、ユウの身体に巻きつき高々と持ち上げる。ナイトメアーの声が高くなると、弦がいっそう強くしめつけ、肌に血がにじむ。
「う・・・」
 ユウの顔がみるみるうちに土気色に変わる。と、ナイトメアーが放った歌声の精神波が蛇の形になって、身体に食いつくように突き刺さった。身体の底からこみあがってきたものを無意識のうちに吐き出す。口のまわり、服、地面が赤く染まる。攻撃は二度、三度と続くが、致命傷を負うことはない。更に振り回され、大木の幹に数度叩きつけられる。全身の骨が砕けてしまったかのような衝撃と激痛に襲われたが、声をあげることすらできなかった。
「実にいいですねえ。私に絵心があればぜひこの光景を描きとめておきたいところです」
 悪趣味が。ユウは心の中で毒づいた。目はかすみ、痺れも痛苦も感じられなくなっている。ナイトメアーの声だけがやたら大きく聞こえてくる。
「・・・さて。宴もたけなわといったところですが、そろそろお開きにしましょうか。あなたの背後にある枝、それで串刺しにしてあげましょう。何、あっという間ですよ」
 負けたら終わりだ。そう思ったが、今の状態で形勢逆転は到底望めそうにない。自分が戦わなくては、ジョーもメグも助けることはできないのに・・・。と、先のナイトメアーの言葉をふと思い出した。自分は人でも獣でもない存在だという。なら、もしかしたら人間離れした力が自分の中にあるかも・・・ここまで考えたとき、ユウの心臓がそれを肯定するかのようにドクンと高鳴り、身体が赤く輝きだした。ナイトメアーが狼狽した声をあげる。
 ――思い出せ、自分の中に眠る力を!――
 男の声が頭に響き渡ったとき、ユウは考えるより先に詠唱の言葉を吐いていた。
「炎神イフリート、我は求め訴えん。怒りの炎で焼き尽くせ!」
 ユウの全身が、さらに強い赤光で覆われた。光は束縛していた弦を焼き切り、炎となってナイトメアーに突っ込んだ。
「うわああっ!」
 炎をまともに浴びたナイトメアーは、弦から解放されたユウを恐ろしい形相で睨みつけた。が、ユウは倒れたまま動こうとしなかった。いや、意識を失ったのではなく、動けなかったのだ。
「今ので力を使い果たしてしまいましたか・・・悪足掻きにしてはよくやりましたね。ですが、それも終わりです」
 満身創痍のナイトメアーが牙の剣を手に歩み寄ってくる。自分の剣を取って、ヤツにとどめをさせばそれでいいとわかっているが、肝心の身体が指一本たりとも動いてくれない。そのとき、どこからともなく竪琴の音が聴こえてきた。心安らぐ音色だった。
「こ、これは・・・?」
「ぬっ・・・?」
最初は幻聴かと思ったが、ナイトメアーの反応からすると、どうやら本物のようだ。と、
「ユウ!大丈夫!?」
 駆けつけてきたのはリリーナだった。抱え起こされたユウは、身体の痺れがなくなっていることに気づいた。
「リリー・・・ナ?なぜ、ここに・・・」
「あたしにも分からないの。さっきセキトさんが家に来てね、何も言わずここに連れてこられたの」
「爺さんが?」
 音がするほうに目を向けると、竪琴を抱えたセキトがやって来た。
「誰だ!?」
 予想外の闖入者に、丁寧語を使うことも忘れたナイトメアーが叫ぶ。セキトは目を閉じたまま顔を上げると、
「吟遊詩人デュオをよく知る者・・・とでも言っておこうか。おぬしがデュオの名を騙って、好き放題やっていることに耐えかねてしゃしゃり出てきただけじゃよ。あ、そうそう、おぬしが呪い殺そうとした娘さんは、わしの曲で眠らせておいたから、もう演奏は出来ないし、しばらく目覚めることもない。残念じゃったな」
「なんだって、それは本当か!?」
「ええ・・・宿から竪琴の音が聴こえなくなったわ・・・」
「そ、そうか・・・」
 ユウは安堵のため息をついた。と同時に疑問がわいてくる。デュオというのは、魔物がでっち上げた架空の存在だと思っていた。だが、セキトの台詞から察するに、デュオは実在の人間のようだ。とすると・・・ユウはゼザやゴールドルの事例を思い出した。
「まさか、本物のデュオは・・・!」
「いいや、彼は無事じゃよ。もののついでに、おぬしが彼のことをどれだけ知っているか訊いてみたい。おぬし、デュオの本名を知っておるか?」
 セキトの余裕しゃくしゃくとした態度が、ナイトメアーを苛立たせていた。
「そ、それがどうしたというのだ!そんなもの知るか!」
「じゃあ、豆知識として教えてやろう」
 セキトは自分の顔に手をかけると、皮膚を一気にはがし取ってしまった。その瞬間、白髪は艶やかな銀髪に変わり、シワだらけの顔は端正な顔立ちになり、開いた目は月明かりを浴びて一瞬赤く光った。
「ああっ!?」
「う、うそ・・・!?」
 ユウもリリーナも、そしてナイトメアーも自分の目を疑った。最前まで老人が立っていたところには、容姿端麗な男性が立っていたのだ。しかも、初めて見る顔ではない。男性は、唇の端に笑みを浮かべて会釈した。
「初めまして、デュオに化けていた偽者さんと光の戦士さん。私は本物の吟遊詩人デュオ。ちなみに本名は、セキト・バートンと申します。以後よろしく」