村から歩いて数分のところに、そのほこらはあった。ユウとジョーがそっと中に入ったときには、デュオは愛用の竪琴の手入れをしていた。
「何か・・・御用ですか?」
 ふたりの気配に気づいたデュオは、ユウが口を開くより前に訊ねてきた。が、竪琴を磨く手は休めないままだった。敵意をむき出しにしたジョーがズカズカ近づき、
「御用があるから来たんだ。とりあえずオレたちの話を聞いてもらおうか」
 「こっちを向け」とばかりに手で合図すると、デュオはやっと手を止め、ユウたちのほうに顔を向けた。
「ああ・・・あなたたちは昨日の・・・今の時期旅の方は珍しいので覚えてたんですよ。あの娘はどうしてますか?」
「どうしたもこうしたもねえよ!てめえのせいであいつはおかしくなっちまったんだ!」
 慇懃な態度が苛立ちを倍増させたらしく、ジョーはつかみかからんばかりの勢いでデュオに噛みついた。当のデュオはきょとんとした表情で、
「私のせい・・・それはどういうことですか?最初から説明していただけませんか?」
「何をぬけぬけと・・・」
 憤るジョーをなだめ、ユウは要点をかいつまんで話した。メグが竪琴の練習に打ち込むあまり、周りが見えなくなってしまったこと。腕を上達させることばかりに固執していること。そのせいで人が変わったようになってしまったこと。
「あいつは食事もとらず、部屋に閉じこもってとりつかれたように練習している。おれたちが何を言っても聞き入れようとしない。まるで幽鬼のようだよ・・・」
「だから、あんたに直接説得してほしいんだよ。あんたに直接『才能がないからやめろ』と言われたら、あいつだってさすがに言うとおりにするだろうよ」
 デュオは少し考えてみせ、冷静な表情を崩さず言った。
「そうですか、そんなことが・・・事情はわかりましたが、才能がないと言ってしまうのはいささかもったいないような気がしますね。彼女には秘めた力があるようです。それはあの音を聞いてみればわかります」
「才能があるかない以前に、あいつの身体のほうが余程の大問題だ!その才能とやらのために無茶をさせて身体がボロボロになったり死んじまったりしたら意味ないだろう!?それはあんたもわかってるんじゃないのか!?」
 ユウはいつの間にか声を荒げていた。というのも、ウルの住人ジニーの姉コニーのことを思い出していたからだった。といってもコニーと面識はなく、村のお喋りおばさんに聞かされただけなのだが。

 コニーは、物心ついたときから酒場でピアノを弾いていた。その腕前は、村人たちだけでなく旅で立ち寄った吟遊詩人をも唸らせるほどだった。中には、「彼女の伴奏で歌いたい」と遠くからわざわざやってくる者もあった。コニーはどんな曲を要望されても完璧に弾きこなし、不満をもらす者は皆無だった。
 歯車が狂い始めたのはコニーが十二歳のときだった。コニーの評判を聞きつけたある大富豪が会いたがっていると、遠くから使者が迎えに来た。自分の誕生日祝いに曲を演奏してほしいというのだ。父親は最初のうちは渋っていたが、報酬の額を聞いたとたんに目の色を変え、娘に何も言わず了承してしまった。詳しい額は不明だが、おひねりというには高額すぎるものだったことは容易に想像がつく。それに、ジニーが生まれたばかりなのと、それと引き換えに妻を亡くしたばかりで何かと物入りだったのだ。
 演奏会は大成功に終わったようだった。ここで終わればまだよかったのだ。「辺境の村に住む天才少女」で済むうちは・・・。
 これに味を占めた父親は、コニーを金の卵を生む鶏にしようと謀った。報酬で家にはそぐわないほどの立派なピアノを買い、練習用の地下室を作り、昼夜問わずコニーをしごいた。それと同時に酒量は増える一方だった。要するに、飲む金がほしかっただけなのだ。そうして、少々酒癖は悪いが働き者だった父親は、単なる飲んだくれと化していった。だからジニーは変貌する前の父を知らない。
 父親の口は酒を飲むかコニーに罵声を浴びせるか報酬を要求するため、左手はラッパ飲みする酒瓶を持つか金を受け取るため、そして右手はコニーを打つためのムチを握るか金を数えるために存在しているようなものだった。地下室から声や音がもれることはなかったし、服で隠れるところだけが打たれていたから、村人のほとんどはコニーが受けていた仕打ちを知る機会はなかった。せいぜい父親の状態に眉をひそめるだけだった。
 それだけではなく、興行に出た先々で、コニーをひとり宿に残し、娼婦漁りと博打に手を出すようになった。勝てばその金を握って酒場行き、負ければ報酬を吊り上げる、その繰り返しが五年続いた。
 終わりは突然やってきた。いつものように興行で演奏している最中、コニーの両手が突然思い通りに動かなくなったのだ。父親からうけた仕打ちのせいか、精神的なものかはわからなかった。そして前夜から出かけたままだった父親も、路地裏で倒れているところを発見された。その街で埋葬されたので、詳しい死因は不明だった。村人のほとんどはコニーに同情的だった。
 自由になるのと同時に大きな代償を払ったコニーは、翌年興行先で知り合った男性のもとに嫁いで平凡な鶏に戻り、ジニーは自分を世話してくれていた夫婦の家に、そのまま引き取られることになったのだ。

「・・・だから、あいつを止めてほしい。竪琴自体をやめさせろとまでは言わないけど、せめて急ぐことをやめさせてほしい」
 コニーの話を思い出すうちにいつもの冷静さを取り戻したユウは、先ほどと違い穏やかな口調で言った。自分たちは幼いころから剣や格闘技、魔法を勉強していたが、必要以上のことを強いられたりはしなかったし、逆にこちらが求めても「まだ早い」と却下されるだけだった。今ならその理由もわかる。「自分はもうなんでも出来る」と錯覚して先を急ぐほど愚かしいことはないからだ。
「私が言って止めさせることはたやすいですが・・・あなたたちは、一日の遅れを取り戻すのにどれくらいの時間がかかるかわかりますか?私も思い知らされましたが・・・気づいたときには取り返せないこともままあります。とくに、始めたのが遅いときには尚更です。まあ、いつから始めても遅すぎる、ということはないですが、その分努力で補わないとね。あの娘の努力を邪魔する権利が誰にあるんでしょうか?宝を生めるはずの鶏を、自分たちの都合で普通の鶏のまま終わらせてしまうのは、自己満足に過ぎませんよ」
 はぐらかすようなデュオの回答に、ジョーは怒り心頭に発した。ただでさえ口が滑りやすいほうなのに、怒りがそれに拍車をかけてしまったようだ。
「てめえ・・・バカにするのもいい加減にしろ!あいつに才能があるだって?悪いがそれは買い被り、過大評価ってヤツだ。いいか、本当のことを教えてやるよ。少なくとも、竪琴に関してはあいつ自身の実力じゃない!あれは単にクリスタルの・・・」
「ジョー!」
「あ・・・」
 ユウが止め、ジョーは慌てて口をつぐんだ。だが、遅かった。デュオは唇の端をゆがめ、嫌な笑みを見せた。
「クリスタル・・・?そうですか、あれはクリスタルから授かった力だったんですか・・・といっても、私はとっくの昔にあなたたちのことを存じていましたけどね、光の戦士・・・」
「な、なぜそれを!?」
 ユウは思わぬ返事に狼狽しながら答えた。剣を鞘から抜くのは忘れなかった。デュオは立ち上がってふたりを見た。
「なぜ・・・?それは簡単なことです。私はザンデさまに仕える者だからです。本当の姿をお見せしましょう」
 デュオは、竪琴を一気にかき鳴らした。悪寒が走る音があたりに響き、デュオの身体がバリバリ音を立てて、殻のように破れる。中から出てきたのは、馬と人間を掛け合わせたような姿の魔物だった。赤い目が怪しく輝くと、裂けた口が大きく横に広がった。どうやら笑ったらしい。
「人間体というものは窮屈でいけませんね・・・。私はナイトメアー、以後よろしく・・・と言っても、あなたたちとはここでお別れですがね」
「オレたちに倒されるからか?」
 ジョーが軽口を叩いてみせる。
「逆ですね、私があなたたちを倒すんですよ。あの娘は努力に免じて、楽に逝かせてあげてもいいかなと思いますが」
「メグを?そりゃどういう意味だ!?」
 ユウが訊くと、ナイトメアーは再びクックッと笑い、
「あの娘が『悪夢の竪琴』で練習し続けているのは、私が作曲した『死神の囁き』という曲です。あれを淀みなく演奏し終えたとき、あの娘の生命も尽きます。完奏の達成感とともに、苦しむこともなく、眠るように逝くことができるんですよ。これもひとつの幸せじゃないですか?」
「何言ってんだ、死んだこともないくせに・・・」
 ジョーが再び軽口を叩く横で、ユウは先ほどの出来事を思い返していた。昨夜と比べてメグの演奏の腕は格段にあがっていた。時々止まったりつかえたりしていたが、それを除けば完璧だったと思われる。
「あの様子だと、夜が明けるころにはすべてが終わるでしょうね」
 それを聞きふたりは焦ったが、それを表情に出すことなく、
「それまでに貴様を倒す!」
「そして、あいつの演奏を止めさえすればいい!」
 ユウとジョーが身構えると、ナイトメアーは竪琴を構えた。
「あなたたちに、目覚めることのない永遠の悪夢を与えましょう」
 ユウが斬りかかるより前に、ナイトメアーの奏でる旋律がふたりに襲い掛かった。呪いを表現したような旋律は、目に見えない衝撃波と化してふたりを襲う。
「うっ!」
「く、くそ・・・!」
 武器が重い音を立てて手から滑り落ちる。ユウとジョーは少しでも逃れるべく両手で耳を塞いだが、旋律は容赦なく手と頭皮を貫き、頭の芯に直接突き刺さるように攻めこんでくる。たまらずその場に膝をついた。
「悪りい、ユウ・・・」
 ジョーは目を閉じると、そのまま動かなくなった。ユウは必死に頭を振って音に抗おうとしたが、その意志とは裏腹に、まぶたはどんどん狭まってくる。
「ジョー・・・メグ・・・」
 ろれつが回らない口調で呻くように言うと、ユウもまたその場に突っ伏した。意識を失う寸前、メグの竪琴の音と、ナイトメアーのあざ笑う声が聴こえたような気がした。