村の酒場は、閑散としていた。魔物の凶暴化で観光客が来なくなったのは前々からだが、デュオが来てからは、村人たちもほとんど寄り付かなくなったらしい。来ても、家で飲む分を買いに来るか、料理の出前を頼むだけだという。ユウたちが訪れたとき、店内にいたのはヒマを持て余している主人と、手持ち無沙汰に竪琴を奏でている女性だけだった。ふたりの前には、杯と葡萄酒の皮袋が置かれてある。客がいないのは店にとって死活問題だが、話をするには好都合だった。

「地主さんに、『デュオの音を聞いてしまったら、あたしの歌なんて聞くに耐えない』と言われたのよ・・・だから、今の仕事は専ら御用聞きってところね」

 リリーナと名乗った酒場の歌姫は、皮袋から注いだ葡萄酒をユウの前に置いてぼやいた。ジョーはといえば、夜食にと注文したジャガイモとソーセージのチーズ焼きと、キノコと野菜のサラダを堪能している。

「夕食を食べたばかりなのに、よく入るな・・・」

 ユウは呆れたが、その数分後には美味そうに料理を頬張っていた。料理が半分ほどなくなったところで本題に入る。

「おい、本を見せてくれ」

 ジョーは、卓上に本を置いた。本の中身は、前半はダスターの歴史で占められていたが、後半は吟遊詩人が作った詩が並べられていた。ふたりは、目的の項がないか慎重に目を通す。

「・・・あった!」

 「詠み人知らず」の欄に、その三つの詩はあった。ユウはゆっくりと読み上げる。

 

オーディンは自分の力が利用されることを恐れた そして自らを封じた 優しき心を持つ騎士

湖の大きな影 リヴァイアサン 自分を闇の鎖から解き放つ そのときを待っている

竜王バハムート もしも倒す者が現れたなら そのよき心はさらなる力となって 大いなる技を与えるだろう

 

「・・・それだけ?」

 読み終わると、ジョーはフォークを置き、拍子抜けしたような表情で訊いた。いつのまにか、彼の皿は空になっていた。

「それだけだ」

 ユウは本を閉じ、残りの料理に取り掛かった。ジョーはパラパラ本を捲ったあと、食卓の上にぽんと放り投げた。苛立ったように頭をかきながら、

「ちっ、もうちょっと具体的な場所を書いておけば良いものを・・・どこの誰だか知らないが、不親切なヤツだ。幻獣に会える方法や仲間にする方法のほうが知りたいんだよ」

「まったく手がかりなしというわけじゃないぜ。たとえば、リヴァイアサンは湖に封印されたことはわかるだろう?」

「湖なんてこの世界にどれだけあると思ってるんだ・・・ほかには?」

「バハムートは・・・デッシュを捜しにジェノラ山に登ったとき、竜に襲われたのを覚えているだろう?あれがバハムートだったんじゃないかとおれは思っている」

 山頂で竜と対面したときに感じた威圧感と緊張を思い出しながら、ユウは自分の考えを述べた。

「それに・・・あのとき、竜はおれたちに危害を加える気はなかったように見えた。メグの魔法を食らったときも、ほとんど効いていないにも関わらず動きを止めてしまったんだ。その気になれば、攻撃することなんてたやすいことだったのに、だ」

 もうひとつ疑問があったが、それを口に出すことはなかった。それは、「この詩を書いたのは誰か」ということだった。可能性はすでにいくつか考えているのだが・・・。

「結局あまり役に立たなかったな、この本。金払って損したような気分だ・・・でも分厚いから盾の代わりくらいにはなるかな?」

「なら、おまえが使え。・・・さ、そろそろ行くか」

 ユウが残りの葡萄酒を飲み干すと、めざとく見つけたリリーナが皮袋を持ってくる。

「お代わりいかが?」

「いや、もう出るからいいよ、ありがとう」

 ユウはリリーナに代金を渡して立ち上がったが、ふと思いついたように、

「おれ、一度あんたの歌を聴いてみたいんだけど・・・ここで歌ってくれないか?」

 突然言われたリリーナは、驚きと戸惑いの混じったような表情を作ったが、すぐに首をふった。

「今日はだめ、お酒が入ってるから・・・明日の夜また来てくれない?」

「わかった、楽しみにしているよ」

 ユウとジョーは酒場を出た。宿からは、まだメグの竪琴の音が途切れ途切れに聞こえていた。

 

「デュオの歌を聴きたい?」

 宿に戻ってきたユウとジョーは、メグから頼みごとをされていた。「もう一回デュオの歌を聴きたいので、出発を延ばしてほしい」ということだった。次の演奏会がいつになるかわからないが、とにかく聴いておきたいと言うのだ。リリーナとの約束のこともあり、ユウは承知することにした。ジョーは不満そうな顔をしていたが・・・。

「じゃ、もう寝るか。おいメグ、今日はもう竪琴は弾くなよ。近所迷惑だからな」

 ユウはベッドに入ったが、気になることがあってなかなか眠りにつくことができなかった。

宿の食堂に戻ってきたときのことだった。セキトはもう部屋に戻っていたが、明日の朝食の仕込みをしていた主人と話してみたところ、

「デュオのことですか?不思議な人だと思いますよ。どこからやって来てどこに行くのかわからない。村に住んでいるわけでもないし・・・まるで、風の精みたいな人ですね」

 

 翌朝。宿の主人に、メグの希望でしばらく宿に滞在することになったことを告げると、快諾してくれた。

「それはこちらとしても大助かりです。実はよくある話なんですよ、歌聞きたさに長期滞在することは・・・私が子供のときに来たとある金持ちの老人は、三年間ここに泊まり続けたんですよ。当時酒場に雇われていた吟遊詩人が目当てでね」

 ジョーは一瞬唖然として、

「三年も!?で、そいつは満足して宿を出たのか?」

「いや、急病で亡くなったんです。葬儀のときは、その吟遊詩人が鎮魂曲を演奏しました。これなら思い残すことなく旅立てたんじゃないでしょうかねえ」

 メグが部屋で竪琴の練習をし続けていたので、ヒマを持て余したユウとジョーは、宿の仕事を手伝ったり、島を散歩したりしてその日を過ごした。

 

 その夜。ユウはリリーナとの約束どおり、酒場に向かった。ジョーも「どうせヒマだから」とついていくことにした。扉には「CLOSE」の札がかけられていたが、構わず開けると、

「来てくれたのね」

 素面のリリーナは、昨日とは打って変わってきらびやかな衣装に身を包み、竪琴を持って待っていた。客席に座った酒場の主人が手を振ってみせる。

「約束したからな」

 席に着いたユウの言葉に、リリーナは微笑んで竪琴を奏ではじめた。同時に、透明感のある声が旋律に乗って流れ出す。甘いが、力と張りのある声だった。旋律と歌声が優しく、そして熱く溶け合って調和し、その場の人間を魅了する。デュオの歌が聴き手を引き込むのなら、リリーナの歌は優しく抱擁するという感じだ。「天使の歌声」と形容してもよかった。そして、竪琴を奏でるその指は、「女神の指先」といったところだろうか。

 ユウたちは目を閉じて歌に聞き入っていた――が、それは乱暴に扉を開ける音で遮られた。ギョッとしてそちらのほうを向くと、

「リリーナ!」

 怒りと苛立ちで顔を赤く染めた男が――村の地主とあとで知った――ずかずかと入ってきた。そしてうろたえるリリーナの竪琴を取り上げると、床に叩きつけてしまった。勢いで胴が折れ、弦が切れた。

「おい、何をするんだ!」

「人がいい気分になっているのに、何邪魔してんだよ!」

 ユウとジョーが男に迫るが、

「うるさい!こんな音を聴かされるこっちの身にもなってみろ!おいリリーナ、おまえの歌なんかデュオに比べたら雑音同然だ!文句があるなら、村を出て行ってもらってもいいんだぞ?追い出されないだけありがたいと思うんだな!わかったら二度と歌うな!」

 捨て台詞を残し、男は酒場を出て行ってしまった。あとには、呆然とするユウたちと、壊された竪琴のそばにうずくまって涙ぐむリリーナが残された。

「なんてヤツだ・・・!」

 ジョーは怒りを露にし、

「あんな人じゃなかったのに・・・」

 酒場の主人は独り言のようにつぶやき、

「ひどい・・・母さんの形見なのに・・・」

 リリーナは竪琴を拾い上げて涙を流していた。ユウは結局口には出さなかったが、リリーナの歌のほうがいいと思っていた。

 

 なんとかリリーナを落ち着かせて家まで送り届けたあと、ユウとジョーは宿に戻った。まだ竪琴の音が聞こえてくる。

「あいつ、まだやってるのか!?」

 部屋の扉の前には、酒場に行く前にユウが運んでおいた夕食の盆が手付かずのまま置かれていた。今日は、朝食も昼食もとっていないのだ。

「メグ!」

 扉を開けると、真っ暗な部屋の中で人影がかすかに動いていた。窓から月明かりがさすと、梳いていない髪はボサボサになり、クマが浮いて血走ったうつろな目で竪琴を弾き続けているメグの姿が見えた。その表情には鬼気迫るものすら感じられた。曲が終わっても、

「まだ、だめ・・・」

 と言って再び弦に手をかけようとしたが、ユウがその手をつかんだ。そのときになって初めて、ユウはメグの指が傷だらけになっているのに気づいた。

「もうよせ!そんなに根つめたところで急に上達するものでもないだろう。その前におまえがぶっ倒れちまったら意味ないだろ!?」

 が、メグはユウの手をはねのけるように振り払い、キッと睨みつけた。もともと色は白いほうだが、血の気がうせて更に蒼白になり、頬はこけ、唇はカサカサになっていた。

「放っといて!もっと練習して、強くならなきゃいけないの!邪魔しないで!」

 メグは口をきくのももったいないという様子で演奏を始めた。と、一瞬ユウの目に、メグの身体から異様な気が出ているのが見えたが、すぐに消えてしまった。

 

「あいつを・・・デュオを捜そうぜ。面と向かって『才能がない』と言われたら、メグだって諦めるだろうよ」

 メグに追い出されるようなかたちで階下の食堂に行くと、ジョーは言った。

「ああ、そうするしかないかもな・・・しかし・・・」

 ユウにはひっかかることがあった。メグの表情だが、いくら集中して練習し続けたからと言って、一日位であんな病人のような表情になるだろうか?もはや、悪霊にとり付かれたようといっても過言ではなかった。あれは別の力が働いているのではないかと思った。デュオを捜して説得させること自体には賛成だが・・・と、

「デュオを捜すのか?」

 不意に聞こえてきたほうを見ると、いつの間にかセキトが立っていた。

「じいさん、聞いてたのか!?」

 ユウは思わず立ち上がったジョーを制し、

「ああ・・・今のままだとちょっとまずいことになりそうでね・・・」

 ため息をつくユウにセキトは、

「この村から西に、小さなほこらがある。以前そこから気配を感じたことがあってな・・・おそらく、デュオのものじゃろう。ヤツには気をつけたほうがいいぞ・・・どこか普通じゃないからな・・・」

 と言うと、セキトは階段を上っていってしまった。

「西のほこら、か・・・とりあえず行ってみるか」

 なぜセキトがそんなことを知っているのか疑問に思ったが、ためらっている余裕はあまりない。一応装備を身につけておき、ユウとジョーは村を飛び出した。