時は少し遡り、この日の夕方。メグは、ユウとジョーが先に村へ行ったことにも気づかず、竪琴の音とデュオの歌声の漣の間をたゆたっていた。
「――もし、お嬢さん」
 デュオの演奏が終わり、村人たちがおひねりと賞賛の言葉を残して去っていっても、メグはその場に立ち尽くしたまま動こうとしなかった。まだ唄の余韻が残っているらしく、目はうつろで頬はかすかに上気している。夢うつつ、という状態がまさにぴったりだった。もしかしたら、歌が終わったということも理解していないのかもしれない。それを見たデュオが声をかける。
「大丈夫ですか?・・・お嬢さん!」
 強い口調で呼ばれ、ようやくわれに返った。
「え・・・?あ、ごめんなさい!ぼーっとしちゃって・・・その、すごく素敵な音楽だったので、つい・・・」
 メグがしどろもどろになりながら言うと、デュオは微笑んだ。
「お褒めの言葉、ありがとうございます。あなた、村の人じゃないですね」
「あ、はい。旅をしてるんです。仲間と一緒に・・・あれ?」
 振り向いてみて、メグは初めてユウとジョーの姿がないことと、ポケットに入れられた紙片に気づいた。デュオから宿の場所を訊くと、
「あの・・・演奏会って、毎日やってるんですか?」
「それは私にも分りません。恥ずかしながら、調子がいいときと悪いときの差が大きくて・・・人さまにいい加減な音は聴かせたくないので、練習で上手くいかないときは人前には出ないことにしております。・・・ところで、私からもひとつ訊いていいですか?あなたたちの旅の目的はなんですか?」
 デュオの問いに、
「そ、それは・・・あの・・・とても、大事な目的なんです」
 メグは一瞬詰まったが、曖昧な表現でごまかすことにした。自分たちが光の戦士ということを不必要に喋りまわるのは、あまり得策とは思えない・・・というのはユウの意見だった。だから誰かに訊かれたときは、大抵旅の傭兵やトレジャーハンターだと名乗って切り抜けていた。
「そうですか。あなたのようなか弱い方が、今の時勢に旅をしなければならないとは、よほどの事情があるんでしょうね。では、魔物と戦ったりなども?」
「それは何度もあります。もう慣れたけど・・・でも、いつも思うんです。わたしは何の役にも立ってないんじゃないかって・・・」
「役に立ってない・・・?なぜ、そう思うのですか?」
 デュオの問いに、メグは、今まで心の中で思っていたことを打ち明けた。
「わたし、白魔法しか能がないから、攻撃の援護がほとんどできなくて・・・ユウとジョーが戦っている間も、何もせず突っ立っていることがしょっちゅうで・・・そりゃケガしたときは魔法で治せるけど、それだけじゃ助けることにはなってないと思うんです。ほかにもっといい方法があるんじゃないか、このままじゃ変わらないって考えると夜も眠れなくて・・・未だに、答えは見つかっていません。わたしはふたりを助けたいのに・・・」
 メグの吐露に、デュオは少し考える素振りを見せてから、
「随分、助けることに拘っているようですが・・・何か理由でもあるんですか?」
「わたし・・・小さいころからずっといじめられていたんです。その度に、ふたりは助けてくれました。だから・・・今度はわたしが助けたいんです。そのためにはもっと強くならなくちゃと思うけど、何をどうすればいいのかがわからない・・・」
 言葉が進むたび、段々声がか細くなってくる。デュオは俯いたメグをじっと見ていたが、
「上手く言えませんが・・・焦るとかえって悪い方向に進むだけだと思います。白魔法が使えるのなら、それを伸ばすことに集中してください。せっかくあなたに備わった力なのですから、もっと自信を持つことです。人を癒して助けることは十分尊い行為です。私の場合は、こうして人の心に潤いを与えるのがたったひとつの生きがいなんです。というより、それしか出来ないんですけどね」
 デュオは竪琴を爪弾き、短めの曲を弾いてみせた。重い心を洗い流してくれるような音色だ。聞き入るうちに、メグの心は少しずつ晴れていった。
「ありがとうございます・・・たしかに、焦りすぎていたかもしれません。わたしは、わたしなりにやっていきます」
「それが一番です。あ、そうだ・・・竪琴の経験はありますか?」
「え?あ、ちょっとだけなら・・・」
 昔、酒場にあった竪琴を触らせてもらったことと、水のクリスタルから授かったジョブに吟遊詩人があったことを思い出しながら答えると、デュオは荷物袋から別の竪琴を取り出し、差し出した。
「前に使っていたものですが・・・よろしかったら、使いませんか?竪琴の音は不思議な力を持っていると言われています。使い方によっては癒すだけでなく、人を力づけたり、魔物を退けたりもするそうです」
「で、でも、それは大事な竪琴なんでしょ?受け取るわけには・・・」
 固辞するメグに、デュオは首を振り、
「楽器は、使わずにいるより奏でてこそ価値があるんです。それに・・・この竪琴はあなたを求めているような気がします。あなたの手を借りて唄いたい、と・・・」
 と言われてもしばらくためらっていたが、結局メグは受け取ることにし、荷物袋の中に入れた。
「大事に使います」
「ありがとう。それでは、機会があったらまた会いましょう」
 デュオは会釈すると立ち去った。足音ひとつ立てず歩く姿も優美だった。
「・・・あ!」
 名前を聞かなかったことを思い出し、メグは慌てて追ったが、既に彼の姿は見えなくなっていた。後に村人から訊き、デュオという名を知ることができたのだった。

 曲をひと通り奏で終わると、メグはふうっと吐息をついた。うっすらと汗をかいている。演奏している間、息をするのを忘れそうなくらい集中し、緊張していたのだ。
「さすがに簡単にはいかないか」
 今のジョブは吟遊詩人だが、まだなりたてなので竪琴を奏でるだけでも精一杯だ。デュオのように演奏しながら唄うというような器用な真似はできない。
「もっと練習しなくちゃ」
 気を取り直すと、再び弦に指を絡めた。そして、演奏会のときのデュオを思い出しながら竪琴を弾き始めた。先ほどとはまた違う、よく言えば妖艶、悪く言えばどこか不気味な旋律が部屋を満たした。
 演奏中目を閉じていたので、竪琴が暗赤色の光を放ったことにまったく気づかなかった。

「――竪琴の音がするな。デュオか?」
 食後のお茶をゆっくり味わっている最中、聞こえてきた竪琴の音色に真っ先に反応したのはジョーだった。

「いや、時々音が途切れてるから違うだろう。それに、聞こえてくるのは二階からだ。もしかしたらメグが弾いているんじゃないか?以前、『クリスタルから吟遊詩人の力をもらった』って言ってたからな」
「まさか、デュオの影響か?単純なヤツ・・・三日坊主にならなきゃいいけど」
 ジョーが呆れたように言った。
「おまえと一緒にするな。そういえば、吟遊詩人の本を買ってきたんだろう?見せてくれないか」
「ああ」
 ジョーが本を取り出して捲ろうとしたときだった。杖の音を鳴らしながら、食堂にひとりの老人がゆっくり入ってきた。腰は曲がり、その両目は閉じられたままだった。老人はふたりのほうを向くと、錆びたような声で、
「そこのお方たち・・・勝手なことを言ってすまぬが、ちょいとばかりほかのところへ行ってくれんかのう?ここでしたいことがあるんじゃ・・・」
 と、老人に気づいた宿の主人が入ってきた。
「セキトさん、いつものですか?」
「ああ、頼むよ」
「今用意します」
 そう言うと、主人はいそいそと受付に戻り、帳面と羽ペンを持って戻ってきた。
「あの爺さんは?」
 食堂を辞する際、ユウは老人の正体について訊いてみた。
「セキトさんとおっしゃって、一週間前から滞在している旅の詩人の方です。目が不自由で詩が書けないので、私が口述筆記しているわけですよ。・・・では、失礼します」
 自分たちの部屋からはまだ竪琴の音が聞こえてくるので、ユウたちは村の入口近くにある酒場に行き、本に目を通すことにした。