昼とも夜ともつかない色をした、灰色の空の真下。

 冷たい風が容赦なく吹き荒れ、真っ白い雪で覆い尽くされた急峻な崖の上に、三つの人影があった。白い外套をまとった人物を、黒い外套と青い外套をまとった人物が、はさむように立っている。

「覚悟は出来たか」

 黒い外套を着た男が抑揚のない声で白い外套の人物に問いかける。

「・・・」

 問われた側は、のろのろと生気のない顔を上げた。その顔は若い女性のそれであり、彼女の腕には生後間もない赤子がしっかりと抱えられている。うつむいていたのは、赤子の頬と自分の頬をくっつけていたためであった。

「もう決まったことなのだ、諦めろ」

 青い外套の男が、非情な言葉を投げつける。女性は、感情のない目で男をにらんだ。

「なぜこうなったのか、おまえが一番よく知っているはずだろう。掟を破ったおまえが悪いのだからな」

 青い外套の男に続けるように、黒の外套の男が、

「冷静になって先のことを考えてみろ。許されざる存在であるその子が成長しても、この世界の中で受け入れてくれる者は誰もいないだろう。迫害され続けながら生きていくのと、何も知らぬままここから去るのとではどちらがマシだと思う?」

 女性はゆっくりと口を開き、反論した。

「ジック・・・例え許されざる者だとしても・・・この子は私の全て。それは変わりないわ」

「母親なら、子供の幸せを一番に考えるべきではないのか?」

 ジックと呼ばれた黒い外套の男は、女性の視線に表情ひとつ動かさずに言い返した。

「あなたたちにはわからないでしょうね・・・ただあいつの命令を聞くことしか出来ないあなたたちのような人形には・・・」

 女性の皮肉な言葉に、青い外套の男はわずかに顔をしかめた。目ざとく気づいたジックが、

「言いたいヤツには言わせておけばいいさ、ゼック・・・さあ、グダグダ喋ってる時間はない。さっさと済ませたほうがいい」

 ジックがせかすように女性の腕をつかみ、

「嫌なら、私が代わりに執行してもよいのだぞ?」

 女性は激しく首を振り、ジックの手を振りはらった。

「あなたたちなんかにこの子は渡さない。それくらいなら、私の手で・・・!」

 女性が赤子を強く抱きしめると、目を覚ましたのか、赤子がけたたましく泣き出した。が、それに構わず、女性は崖っぷちまで走ると、
「さよなら。私の赤ちゃん!」
 ためらうことなく赤子を投げ落とした。泣き声の余韻を響かせながら、赤子は深く暗い闇に吸い込まれていき・・・消えた。

「・・・ああ。ああ!」

われに返ると、女性は雪の中に崩れ落ちるように腰を落とした。顔を両手で覆い、自分の行いを悔やむが、目に焼きついた闇の中に映えていた産着の白さと、耳に焼きついたわが子の泣き声はぐるぐると渦巻いて消えることはなかった。今心の中にあるのは、限りない悲しみと自責の念だけだった。

 ――守れなかった――

 ジックとゼックはそれを見届けると、女性のもとに歩み寄った。

「これでいいのだよ、これで・・・」

「さあ、戻ろう。悪い夢を見ていたと思って、これからまた新しい生活を始めるがいい」

 ゼックは女性の肩に手をかけたが、それは激しく振り払われた。

「触らないで!」

 女性はすばやく振り返った。先ほどとは違い、目は憎悪と憤怒に燃え上がっている。常に冷静さを崩すことのないジックとゼックが一瞬たじろぐほどだった。

「こうなってしまったからには、私がここにいる意味はないわ・・・私も、あの子の後を追います・・・あの子に、さびしい思いはさせたくないから・・・」

 思わぬ言葉に、ジックとゼックは慌てた。

「よせ!そんなことをして、おまえの子供が喜ぶとでも思うのか!?冷静になれ!」

「あの方はおまえのことを思ってこうすることを決めたんだぞ!それがわからないのか!?」

「・・・ジック、私は十分冷静よ。冷静じゃないのはあなたたちのほうじゃない。まあ、最後に慌てるあなたたちを見られたのは幸運だったかもしれないわね。人形でも慌てることがあるなんて初めて知ったわ」

 女性はクスリと笑って立ちあがった。先ほどまでとは打って変わって饒舌になり、悲壮感が感じられなくなったのは、子供に追いつくことが出来ると思っているからなのか、心の中の何かが壊れてしまったからなのか。

「あなたたちの大事な、『あの方』に伝えておいてちょうだい。『化けて出るつもりはないから安心して』って。じゃあね!」

 ジックとゼックが駆け寄る暇も与えず、女性は崖から身を躍らせた。白い外套をはためかせ、遮るものもないまま堕ちていく。

 先ほど赤子を飲み込んだばかりの闇が目の前に来ると、女性は歓迎するかのように両手を広げた。その表情は幸せそのものだった。

 今、行くからね。あなたは私のものなんだもの、誰にも邪魔はさせないわ!私はどんな姿になってでも、あの子の側にいてみせる!
 次の瞬間、女性の意識はさーっと溶けるように消えた。