ジョーの飛び蹴りが魔物に迫ったが、何の感触もなかった。勢い余って地面に転がる。同時にユウが打ちかかった。ユウの身体が魔物ぎりぎりに接近し、木刀がローブめがけて薙ぎ払われる。刹那、木刀が激しく燃え上がった。
「うわああ!」
 放り投げた木刀が、魔物の杖をかすめる。
「ぬっ!」
 ローブの隙間から、窪みのような黄褐色の両目がゆがむのが見えた。
「くそっ!」
 体勢を立て直したジョーが背後から拳を繰り出すが、手ごたえの代わりに強力な冷気を感じ、ジョーはうめき声を上げた。動きを止めたジョーを紫の杖が吹っ飛ばす。
「わあっ!」
「ジョー!」
 ユウはジョーをかばうように立った。彼らに容赦なく吹雪と氷の槍が襲い掛かる。ユウはオーブをかざした。
「白き炎の帝よ、今ひとたび我らの盾となれ!」
 ブリザガの魔法がふたりをのみ込む寸前、巨大な炎が現れた。炎は帳となり、悪しき魔法からユウたちを守る。
「くそ、これでもか!」
 魔物は躍起になって何度も魔法を唱えるが、すべてイフリートの守りの力にかき消される。帳が消えたときには、魔物の魔力は消耗していた。
「今度はこっちの番だぜ!」
 イフリートの力で回復したジョーが勢いよく飛び出した。先程と違うのは、魔物そのものではなく、魔物の持つ杖に狙いをつけていたことだった。
 イフリートに守られているとき、ふたりの間でこんなやりとりが交わされていたのだ。
「あいつを攻撃したとき、まったく手ごたえを感じなかった。どうなってるんだよ!?」
 ジョーが苛立ちをぶつけるように言うと、対照的に冷静なユウが話す。
「きっと、本体は別の部分にあるんだ」
「どこに!?」
「おそらく、あいつの杖だと思う」
 ユウは最前攻撃したときの魔物の反応を思い出しながら答えた。
「よし、おまえに生命預けるぜ!」
 ジョーの爪が狙い違わず杖を直撃した。素早く飛びのいた直後、ユウのラムウが闇を貫き、杖に突き刺さる。
「があっ!」
 魔物が苦しそうに悶えた。真っ二つに切れた杖から黒い珠が転がり落ちる。ジョーが素早く拾い上げて、
「なるほど、こいつが本体か。ほらよ」
 宙に高く放り投げられた珠に、再び唱えられたラムウの電撃が炸裂した。珠はあっけなく砕け散った。
「ぐあああっ!」
 絶叫する魔物の内部から黒い光が勢いよく噴き出し、その全身は紙切れのようにちぎれて四方八方に飛び散った。が、それも溶けるように消えてしまった。
「やったか・・・」
 ユウがそう言ったきり、黙り込む。そのとき、強烈な光があたりを真昼のように照らし出し、ふたりの身体を射た。
 光源はメグの両手からだった。強力な癒しの魔法は、リーアとメリジェを包み込み、ふたりの生命を活性化させようとしていた。だが、メグの気力も限界に近づいていた。少しでも気を抜くと、そのまま気絶してしまいそうだ。これが、最後かもしれない。
「我と絆を結びし女神よ、生命の螺旋促せ、禍々しき傷を浄めよ・・・」
 魔法を唱え続けるメグの頭の中に、ひとつの単語が浮かんできた。まだ使ったことのない魔法の名。今なら使える。メグは、それを口にした。
「ケ・ア・ル・ガッ!」
 
 その言葉の響きと共に、光はすべて収束された。光はふたつの珠となり、ひとつはリーアに、もうひとつはメリジェの身体の中に吸い込まれる。そして、一瞬――本当に一瞬だったが、ユウとジョーの目に、メグの背中から生えた白い翼が映った。
「メグ――!?」
 ユウたちが駆け寄ったときには、ふたりの傷は綺麗にふさがり、顔には赤みが差していた。白い翼はどこにも見当たらなかった。
「メグ!」
 ユウの呼びかけにも、メグは動かなかった。精神を消耗しきっていて、身体と心が分離してしまったかのような感覚に襲われていた。正直、座っているのもやっとだった。
「は、早く・・・リーアと、メリジェさんを・・・」
 やっとのことでそれだけ言うと、そのまま気を失って崩れ落ちた。慌ててジョーが抱き起こす。
「おいメグ!」
 メグは、真っ青な顔をして、水をかぶったようにひどく汗をかいていた。
「メグッ!」
 血相を変えるジョーに、ユウが冷静に言った。
「魔力を使い果たして疲れたんだ、早く休ませてやれ」
「あ、ああ・・・」
 ジョーがメグを宿屋に運ぶのを見届けると、ユウはリーアとメリジェの状態を見た。いつの間にか、周りに村人たちが集まってきている。ユウはリーアを抱えあげると、
「誰か、メリジェさんを運んでくれませんか?」
 拒むのは許さない・・・そう言っているような目で、ユウは村人たちを凝視した。進み出たのはラミレだった。手に厚手の板を抱えている。担架の役目を充分に果たせそうだった。
「これで運びます。ハーズさん手伝って」
 ハーズがおそるおそる近づく。メリジェを板に乗せたとき、彼女の意識がわずかに戻った。
「嫌・・・あの家には、帰りたくない・・・」
 それだけ言うと、再び目を閉じた。ユウたちは、ふたりも宿に運ぶことにした。
 東の空が白く霞み始めていた。
 ――後にラミレはユウにこう語った。
「今更こんなことを言っても遅すぎますが・・・旦那さまは亡くなる間際に、財産のほとんどを私たち村の人間に分けてくださったんです。宿を大きくできたのもそのおかげで・・・その点は、旦那さまに感謝しています・・・」
 その気遣いがもっと早く出来てればな、とユウは思った。

 ジョーが冷水で絞った布で顔を拭いてやると、メグが目を開けた。
「ジョー・・・あのふたりは?」
 かすれた声で呟いた。
「安心しろ、ふたりとも無事だ」
 メグは、青ざめた顔に安堵の微笑みを浮かべた。
「そう・・・よかった・・・」
「おまえのおかげだ。よくやったな、ゆっくり休め」
 そう言ってジョーが部屋を出ようとしたとき、メグの声が聞こえた。
「あのね、わたし、やっと・・・」
「何だよ?」
 ジョーが続きを聞こうと思って振り向いたときには、メグは再び眠りについていた。扉を閉じる直前、ジョーはそっと言った。
「おやすみ・・・」

 ヘキナは、遠くから戦いの様子を見ていた。唇の端に嘲るような笑みを浮かべながら。
「人間の闇の部分を利用する、か・・・着想はいいかもしれないが、そんな不安定なものに頼りきるのではな。楽をしすぎた報いだ」
 そして、音もなく姿を消した。