右。いつも右に曲がる道を、
「おい、こっち行ってみようぜ」
 ジョーが左を指して言った。彼がこう言うのは初めてのことではない。
「ダメだよ。森のほうは危ないって言われてるじゃないか」
 判を押したような答えを返すユウ。
「チェッ・・・いい子ぶっちゃって」
 このやりとりは、最早両手の指では数え切れないくらい繰り返されていたのだが・・・なぜかユウの心の底から、いつもと違う感情がわきあがっていた。
 右でいいのか?本当にいいのか?
 誰かが自分に問いかけてきた。聞き覚えがあるような、ないような声だった。ジョーのものではない。
 あたりまえじゃないか、右に曲がらないといつもの広場に行けないだろ?左に行って何になる?
 じゃあさ、左に行ったらどうなると思う?
 じっちゃんや母さんに怒られるに決まってるじゃないか。
 なぜ?左に言ったってこと、黙ってりゃ済む話だろ?
 そういう問題じゃない!決まりは決まり、守らなきゃいけないんだ!
 年寄りみたいなことを言うねえ。七歳で年寄りの仲間入りなんて、あーかわいそかわいそ。決まりってのは、破るためにあるもんなんだよ。

 ここまで聞こえたところで、ユウはジョーのほうを振り向いた。彼はつまらなさそうな顔で、近くに立っている木の枝にぶらさがったりしている。そのまま三回連続で逆上がりを決めて見せた。
「またやってる・・・」
 枝が折れるから危ない、といくら言っても聞かないのだ。七歳児には似合わないしかめっ面でジョーに目をやるが・・・またもや、不思議な感情がわきあがってきた。ありえないくらいムズムズ、ムズムズと。
 素直になればあ?本当はやってみたいんだろ?
 また、あの声が聞こえてくる。
 ほら!
 何かに背中を押されたような気がして、ユウは木の側まで近づいた。そして次の瞬間には反対側の枝に飛び上がり、ぶら下がっていた。
「何?やるのか?」
「逆上がりくらいぼくにも出来る!」
 足を上げ、枝まで持っていこう・・・とするが果たせなかった。ユウの足はあがったことはあがったが、枝には遥かに届かなかったのだ。それどころか、ユウの体重に耐えられなかった枝が、ミシミシと音を立てて折れてしまったのだ。そのまま盛大なしりもちをつく。
「いてて・・・」
 ぶつけたところをさするユウを見て、ジョーが大笑いする。
「あはは、ユウって勉強は出来るけど、こういうのダメなんだな!オレが教えてやるよ!この太い枝にしな、これなら折れねえよ!あ、もし出来なかったら、左の道に行くと約束してくれるか?」
「馬鹿にするな、逆上がりくらいすぐに出来るようになるよ!」
 それから小一時間の間、ジョーの指導で猛特訓したユウだが、逆上がりの達成まではとうとう至らなかった。
「約束だな。左に行くぞ!」
 ユウは服についた土を払いながら無言で立ち上がったが、心の中はなぜかワクワク感でいっぱいだった。
 ジョーが自分に背を向けたとき、ユウはもう一度枝にぶらさがり、地面を大きく蹴った。身体を持ち上げ、そのまま弧を描くようにクルリと・・・。
 出来た。初めて逆上がりが出来た。だが、それをジョーに言うことはせず、地面に降り立つとそのまま彼の後をついていった。

「うわあああ!」
「すげえ!」
 左に行って十数分後。ふたりは感嘆の声をもらした。
 暗い森のうっそうとした木々が唐突に途切れて最初に見えたのは、
 木の隙間からさす陽光を浴びて輝く、澄んだ泉。木いちごやりんごなどの果実がたわわになる木。色とりどりの花畑。あたりを飛び回る小鳥と蝶々。
 絵本から飛び出してきた、楽園そのものの光景だった。
「森の中に、こんなところがあったなんて・・・」
「な、な、ここオレたちの秘密基地にしないか!?」
 興奮した様子で言うジョーを見ながら、ユウは初めて感じる興奮を味わっていた。

「――ここを見つけてからもう五年か・・・」
 楽園という名の秘密基地に腰を下ろし、ユウはひとりごちていた。弁当のサンドイッチをつまみあげながら顔をあげると、とうに弁当を平らげたジョーは木からもいだ果物を美味そうにかじり、メグは花畑の絵をスケッチしている。
 肩に止まった白い蝶々に視線を送りながら、そっとつぶやいていた。
「決まりを守らないのも悪くないな。まあ、たまに、の話だけど・・・」